州侯・麒麟の実権について
最近コロナウイルスに於いて、特に日本とアメリカの対応に関して、中央政府と地方自治体の取り組み方や乖離などを見ていて、その対応によって問題がどのように悪化したり改善されたり、民衆を指導・誘導できるのかというのを考えさせられていました。そんな中、最近TwitterのTL上で以下の呟きを拝見してhttps://twitter.com/tokihito_qal3/status/1261495260196134916?s=21、十二国世界では中央政府=王と地方自治=州侯との関係・構造はどうなっているのか(具体的にはどこまで州侯の独立的権限があるのか)。また、そこから派生して、十二国特有な麒麟の位置づけに関して、勝手な考えが湧いてきたのでここでまた吐き出してみました。今回もかなり自己先入観に基づいた意見になっているので、拝読される際は何卒ご注意ください。
州侯
位で言えば、公>侯の侯にあたり、冢宰や三公と同じ。六官長よりも二つ上。位から見ても州侯はかなり上位にあり、また州内でも国府と同じような構造になっているので(六官や軍構造等)、それを管轄すると言う意味でもかなり重要な役職。
州侯の独立性を保有していると思われる点の一つが、州内の人事権に関して。州侯には州内の人事権があり、それに関して王や国府の承認は不要。
事実、州侯が州宰を任命するにあたり、王の承認も冢宰の承認も必要ない。
『白銀の墟 玄の月』二巻301項
台輔の任命によって瑞州州宰を任す
『白銀の墟 玄の月』三巻266項
下の阿選の抜粋部は微妙・・・。阿選は正式な王でなかったので「(偽)王」として瑞州の州宰を任命できたのかという疑問が残る。
他にも、原典抜粋は割愛するが、尚隆と白沢のやり取り(『東の海神 西の滄海』165項)や浩瀚が桓魋を召し上げた例など(『華胥の幽夢』の『乗月』105項)からも、基本的に州侯が王や国の確認・指示なしで州官任命権があるのは間違いない。
州侯の独立的権限のうちで他に強いもので王からも恐れられるものが、軍事力。つまりは州師。以下の部分で、八州の州師が団結すれば、最高権力者である「王」をも討てることを述べており、またそれが実際に行使されたのが、芳国月渓らの例。
常備の軍兵は本来なら王師六軍に七万五千、各州師に最大四軍三万で、侯の叛乱など問題ではない。反対に八州が連合すれば最低の場合でも十二万、もしも王が道を失い、玉座にあるを危険とみれば八州師をもって王を討てるというわけだ。
『東の海神 西の滄海』157項
芳国月渓らの例は個人的にはこのケースがうまくいった稀な例だと考えている。というのも、上で述べたように、王が意図的に州侯の権限を法的に制限することが可能だと思われるため。また、常備の役職かはわからないけれど、実質王(国府)より派遣された牧伯という監視付きの場合、八州揃ってのクーデターはかなり難しい気がする。
諸侯同士が邪に盟約を結ぶことがないよう、どうあっても州侯城の中に入って監視する者が必要になる
『東の海神 西の滄海』213項
尚隆のようにこの可能性を十分に認識している王であれば、州侯反逆の対策はやはり講じているだろうし。基本的に王や国府に反旗を翻す際は、こういった国から派遣された監視の国官も懐柔する必要がある。
この八州が協合して王を排除できるというのは、王が道を失った場合の救済法に思えるが、逆の危険性も孕んでおり、それが利用された場合の方が多かったのではないかと推測している。逆の危険性というのは、空位の時や新王が立ったばかりの頃、前王が指名した州侯が道義を知っているものばかりではなく、八州全州ともいかなくても多数の州で邪な州侯だとしたら、あっという間に仮朝や新王朝が転覆されるという危険性がある。
州侯の権限と法的拘束
州侯の独立的権限はある程度あるとして、ただここで厄介になってくるのが、法的権限の問題。「法」だけで言えば、太綱 > 地綱 (王決定) >州侯制定の法律(『月の影 影の海』下巻64項)とある。
なので、王がこの地綱で、州への人事権や州内の権限を制限するなどの「法」を制定してしまうと、州侯の権限はかなり限られてしまう事が考えられる。
州侯の自分が権を踏み越えて国を治めることは許されない
『華胥の幽夢』の『乗月』88項
例えば、これは実際に地綱として立法化されていたのかは不明だが、尚隆が『東の海神 西の滄海』で州侯の実権をほぼ奪っていた。
王は州侯から治水の権を取り上げておしまいです
『東の海神 西の滄海』109項
――それは危険だ、とかつて六太は尚隆に進言した。
王の統治だけでは国土の隅々にまで治は行き届かない。ゆえに権を分割し、州侯を置いて州の統治を委ねているのだ。いくら先王が任じたにしろ、彼らから権を取り上げて、果たして王一人で九州の統治が成り立つか。
『東の海神 西の滄海』109項
なので、極論から言えば「王」が地綱で定めたのであれば、州侯が実権のない王の傀儡になる場合もある。実際に王が民を虐げる場合は、それを無理に断行している気がする。
王は国権を束ねる。国の最高権力者だ。その王が何かをしようと決意すれば、止める方法はないに等しい。梟王の暴虐を誰も止めることができなかったのと同様に。
『東の海神 西の滄海』110項
――確かに、わしは王に阿った。逆臣を捕らえよ、謀反は取り締まれと仰るのでそのようにした。民を殺さねば生き延びることができなかった。
『東の海神 西の滄海』267項
ただ、その法に関しても解釈の仕方や抜け穴的なもので回避することもできなくはないよう・・・。
月渓の権が届くのは恵州のみ、……それも国の方針に逆らい通すことなどできない。事実、仲韃の布いた酷法は、恵州においても法だった。可能な限り、罪にあたらずとして処置はしたものの、それでも恵州の民が仲韃の残虐を免れ切ったわけではない。
『華胥の幽夢』の『乗月』128項
他に、戸籍を弄って半獣の桓魋を麦州師の将軍に任命していたり、予王が女を国から追放させようとした時に、浩瀚がなんとか「体裁」を作って保護した事例など(『乗月』105-106項)。
だから、王が定めた「地綱」がどこまで強制力をもっていたか、強制力をもたせる仕組みを王が布いていたか・・・というところにもある気がする。天綱の覿面の罪みたいに、犯したら即罰がくだるような仕組みがない限りは、基本的には州侯の裁量に任されている気がする。
麒麟の権限
と、ここまでは一般的な州侯についての権限に関して考えてみた。「王」に対抗できる勢力として個人的にもっと気になっているのが、その王を選び一番の下僕であるはずの麒麟の潜在的権限に関して。
麒麟は国の要、仙籍にある張運ら官僚とは違い、王と同じく神籍に入る別世界の住人だ。位のうえでも朝臣で唯一公位を持ち、権力においても本来は冢宰の圧倒的上位にいる。宰輔は王に働きかけても、直接官吏に働きかけることはないし、ましてや直接なにかの命を下すこともない――それが慣例だから意識していなかったが、ひとたび泰麒がその気になり、官に対して権を行使し始めたら、それを止められる者は王しかいない。
『白銀の墟 玄の月』三巻74項
と、白銀では今まで実権がないとされていた宰輔である麒麟の実権とその権力の大きさに関して、かなり明確に述べられている。位で言っても、最初に述べた王の臣下の爵位順列で、一番上に来るほど。(一般的に爵位は臣下・貴族に当てはめられるものとしてみなし、王や君主はその枠内に当てはめられないようなので。)
それに加えて以下の表記で、実は 麒麟 > 王 である可能性を小野先生が婉曲に示唆している気がする・・・。
王は麒麟の許可なく住まいである仁重殿に立ち入ることができない。明確な法があるわけではない……が、慣例としてこれ以上ないほど堅固に維持されている。これは王朝末期、王と麒麟が対立することがあり得るからだ。だが、麒麟のほうにはこの制限がない。玉座は麒麟が王に与えるもの、ならば王宮もまた麒麟が王にあたえるものなのだから。
『白銀の墟 玄の月』三巻26項
ここの箇所は捉え方にとってはすごい事を示唆している気がする。言い換えると
・王は勝手に麒麟の住まいには行けない。
・麒麟にはこの制限がない=王の許可がなくても王の住まいには行ける。
ここだけを切り取って不等号で表すと、麒麟 > 王 という図式になる。しかも上記抜粋の最後の文がかなり強く、玉座も王宮も元は麒麟が所有権を有しており、それを王に「与える」。「与える」ということは、その実施者の方に与えるかどうかの選択権が委ねられており、そのモノに関してはこの与えるという行動を実施する者の方が立場が上とも考えられる。
自分の所有する物を目下の相手に渡しその者の物とする。
「三省堂 大辞林 第三版」「与える」より
「王」になるまでは、その人は冢宰であっても麒麟より位が高い人はいないので、そうすると立場的に自然とそれ(麒麟の方が立場が上ということ)は当たり前となるかもしれないが、「王」になった後でも、その力関係が維持されるのであれば、やはりこの言い方は実は麒麟の方が潜在的に重要で「天」から守られている存在であるのを示唆しているように、個人的には見えてしまう・・・。
慣例として堅固に維持されているとあるので、「民」目線なのかもしれないけれど。民を虐げる王は民からすると悪でしかないけれど、麒麟はまた新しい賢帝を選んでくれる尊い存在でもあるから。
論点からは外れているのかもしれないけれど、下記のような記述も白銀にはある。
全ての麒麟は人を殺傷した経験がある。ただ、その自覚がないだけなのだ。
……
麒麟は人を殺傷できる。できないとそう周囲も本人も信じているだけだ。麒麟の殺意は特殊な生まれ方をするので、一見そう見えるだけだ。
蓬山で生まれ育った麒麟なら、幼いころからあらゆる暴力と隔絶される。暴力を恐れ、血を恐れることを許容される。許容されるばかりでなく、強く肯定されて育つ。だが、蓬萊で生まれ育った麒麟はそうではない。
――泰麒は暴力を知っている。
『白銀の墟 玄の月』三巻196項
ここの表記からも、今までの慣習で周りや本人がそう思い込んでいるだけで、本当は殺傷をしているし、殺傷が可能。
これも穿った見方をすると、実はすごいことをほのめかしている・・・。つまりは、王に殺傷することもできるということが。これまで麒麟の性質として殺傷は不可能だとされてきた。どこまでが麒麟の生き物としての性質で可能・不可能な行動があるのか分からないけれど、もし殺傷が環境によって不可能だと思い込んでいるのであれば、王を傷つけたり弑することも不可能ではないということ。王でない阿選に跪くことをしてのけた泰麒ならできなくはない気がしている・・・💧。
人を殺傷できると自覚した麒麟は、その国で実は一番強い気がする。失道して事切れる寸前に王を殺すという選択肢はないのだろうか・・・。民は峯麟の例でもあるように、続けて昏君を選ぶと失望するようだけれど(『風の万里 黎明の空』上巻24項)、もし王を選ぶ本当の主体が天や天帝だとすると、その非難は天帝が負うべきものであって、麒麟ではない。逆に麒麟を残しておいて次の王を選んでもらったほうが、時間的にも効率的なはず・・・。すみません、すごい暴論で・・・。
廉麟が麒麟は王のものだとこぼしていたけれど(『黄昏の岸 暁の天』365項)、これらの表記からどちらかというと麒麟は結局のところ天の所有物でしかない気もする・・・。でも、その分実は王以上の権限や能力を付与され保証もされているニュアンスを受ける。
十二国世界での、「慣例」と「実質」的な権限や能力がかなり曖昧で、でもそこを昔から小説内で少しずつ疑問視するような目線やエピソードが小野先生によって挿入されている気がする。これも捉え方の問題だけれど、
既存の考え方・摂理 ≠ 正義や是
ということを密かに伝えていらっしゃるような気がして・・・。
麒麟の「身分」に関しては、以下のようにもはっきり述べられているのだけれど・・・。
この世に麒麟より尊い方は神と王だけ。……この世に麒麟よりも身分の高いお方は、泰王と西王母さま天帝しかおられないのでございます
玉葉、とお名前をお呼びになれるのは、身分が等しいからでございます。さま、とお呼びするのは、そのほうが礼儀に適っているからです
『風の海 迷宮の岸』99項
ただ、「位」 = 「実権・政治参与権」とは限らないのがポイントでもあると思う。そこは原典内でも明記されている。
位は実際、礼節の目安であってそれ以上ではない。下位の者は上位の者に道で会えば前途を譲る。――そのように、例をもって待遇される、それを要求する権利がある、それだけのもの
『風の万里 黎明の空』上巻118項
それに加えて、身分的な「位」と実権を伴った「官位」の区別はある気がする・・・。
明嬉と三人の子供には確たる官位がない。正妃として、太子として公主として立てたのちは、特に朝廷に参画することなく、後宮で静かにくらしていると思われる
『図南の翼』404項
例:三公(唯一宰輔の臣下)
位で言えば、六官の長である冢宰、諸侯と同位の侯だが、実際に政治には参与できない。
『風の万里 黎明の空』上巻166項
これはWikipedia情報でさっと見ただけなのでどこまで正確な情報かはわからないけれど、古代中国における爵の起源として、孟子が人徳的な要素を天爵、社会的地位を人爵と分け、社会的地位の人爵を精神的な天爵の下に置く思想と提唱したそう。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D#%E7%A7%A6%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E7%88%B5%E4%BD%8D)十二国記がこの思想に基づいているかは分からないが、上記で抜粋した「位は礼節の目安」という部分はあながちこの精神的な理論と関連づいていないわけではない気もする。
最後に
長々と述べてきたけれど、どこまで州侯や麒麟が王が道を踏み外した際に対抗勢力として成り立つのだろう。王と州侯の勢力図に関しては、王がどこまで道義的な州侯を選ぶのかという所に関わってくる(また王がどこまで法的にその実権を許しているか)。ひいては、麒麟がどんな王を選ぶのかに関わってくる。「天命」の拠り所がはっきりしていないけれど、もしも本当に麒麟の直感だけで、王の素質をもった人物を選ぶのであれば、麒麟の責任が半端ない気がする・・・。小さい泰麒や六太が感じていた重圧はさもありなん・・・。
だけど、その選ぶ実施者が「天帝」だとすると、王らに天帝に反旗を翻す可能性は残されているのか。もしも十二国の創世神話が本当だとすると、天が王らに「枝」を「与えた」のだから(『月の影 影の海』下巻145項)、反抗する余地はないのかもしれない。覿面の罪のような罰を天帝への反抗行為に組み込まれていたら、王らにはその選択肢さえない。
陽子は唐突に思った。――神の庭。
そういうことなのかもしれない。この世界は、天帝の統べる国土なのかも。天の玉座に天帝があり、陽子が六官を選び官吏を仙籍に入れるようにして、神々を選び女仙を登用する。
『黄昏の岸 暁の天』389項
ただ、王が協力して事に当たったことはないと玄君が言っていた(『黄昏の岸 暁の天』282項)。自身・自国の私欲を捨て、よりよい世界を作るため心ある王たちが一致団結し「改革」することを「天」が予測していなかったとすると、それは人が目指す一つの方向性なのかもしれない。
今、社会的にも色んな場面で「分裂」が起きていて、憎しみや苦しみが逆に助長されている気がする。そんな中、逆に大事なのは辛い中でも他を思いやって協力していくことが自身の助けになるのかと、この一連を考えて思いました。自分もまずは自分からそうありたいと改めて思いました。
「人を助けることで、自分が立てるってこともあるからさ」
「そんなもんか?」
「意外にな」
そうか、と呟いて見やった雲海には、すでに何者の影も見えなかった。
『黄昏の岸 暁の天』468項
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