唯一無二のママ!
#20231223-327
2023年12月23日(土)
ついていないTVの画面は黒く、鏡のように周りを映す。
その前にノコ(娘小4)は立ち、歌い、踊っている。
「ママママ、ママママ、ユーイツムニって何?」
食器を洗っていた手を止め、ノコを振り返った。
「え? 何?」
「ユーイツムニ!」
唯一無二か。
脳内で漢字変換が完了した。
「んー、ただ1つしかない、ほかに代わるものがないっていう意味だよ」
「じゃあ、唯一無二じゃなくちゃイヤは、1つだけじゃイヤっていうこと?」
「いやいやいや」
水を止めて手を拭き、ノコに向き合う。
「ケーキじゃなくちゃイヤっていったら、ケーキがいいの? イヤなの?」
「ケーキがいい」
「だったら、唯一無二じゃなくちゃイヤは?」
「1つだけなのはイヤ」
「……ありゃ?」
思わず、首を傾げてしまう。喩えが悪かったか。
「ノコさんはママの唯一無二の宝物ですっていったら、ノコさんはママにとってほかのものに代えられないたった1つの宝物っていう意味だよ。唯一無二じゃなくちゃイヤは、代わりのないたった1人じゃなくちゃイヤ、つまり、たった1人になりたい、だよ」
「パパよりも?」
おい、そこかい。
「唯一無二の子どもだよ」
ノコが目をくるくる回して考えている。
「ママは、私の唯一無二のママです」
いや、それは違う。ノコは里子だ。
「ノコさんには産んでくれたママもいるでしょ。ママが2人いるから唯一無二じゃないなぁ」
「でも、産んでくれたママは覚えてないもん。ママはこのママしかいない」
ノコに産みの母の記憶はない。
乳幼児を育てたことのない私は、赤ちゃんが喋りはじめるときのことを知らない。「ママ」という発音と今自分を抱いて見つめている女性がつながるのはいつ頃なのだろう。
ノコがママとして「ママ」と呼んだ存在は、私しかいないのだろうか。
5年前、児童相談所にノコを紹介され、児童養護施設で交流がはじまった。ノコが幼稚園年長児ですでに幼稚園に通っていたこともあり、交流は1週間に1回のペースだった。乳児ならば、顔と名前を覚えていられないため、もっと短い間隔で交流を進めていく。
交流中、ノコは私たちを名前で呼んでいた。「新しいパパとママ」という紹介でなかったからというのもある。
外泊がはじまり、長期委託に向けて日数を延ばすことになった頃、児童相談所のケースワーカーさんが改めてノコに私たちを「新しいパパとママ」だと説明した。私たち夫婦はそのまま名前呼びでも構わなかったが、ノコ自身が「パパ」「ママ」と呼びたいといった。
――このママしかいない。
ノコは自分の生い立ちを理解している。
私から産まれていないことはわかっている。
そう遠くない未来、産みの母親に思いを巡らせる日が来るだろう。
それでも、今は私が唯一無二。
TVの画面に向き合うと、ノコはそれを鏡にまた踊り出した。