「怖い」は「淋しい」。
#20240121-346
2024年1月21日(日)
久し振りの雨。
学生だったとき、会社勤めをしていたときは、雨だろうが雪だろうが、寒かろうが暑かろうが外に出る時間があった。
専業主婦の今はそれが減った。
自分だけの予定ならば天気予報を見て決められる。自転車で行くスーパーへの買い出しはずらせばいいし、洗濯物もベランダではなく室内干しにすればいい。
雨って、こんな匂いだったっけ。
ノコ(娘小4)の習い事に向かうため、玄関ドアを開けた途端、ひんやりとしっとりとした気配に包まれた。乾燥した冬の空気も今日は重みがある。傘を開けば、ぱつぱつと雨は音を立て、足元からは土と埃が混ざった古い校舎のような匂いが這い上ってくる。
ノコの習い事が長時間の日は近くで待機せず、一時帰宅している。
外にいるより、家で家事のひとつでも済ませたほうがよい。洗濯だって、皆の着替えが済んだ後に洗濯機をまわせば、一時帰宅時に干すことができる。出掛ける前に慌てる必要がない。
だが、それは自転車で行ける日だ。雨だとバスを使うため余裕がない。習い事には自転車かバスで駅まで行き、そこから電車に乗る。
「ノコさん。今日は、ママ、1つ前の駅で降りていいかな」
ノコが眉を思いっきりしかめた。
「なんで?」
「いつもはお家に帰って洗濯物干したりしてるんだけど、今日は雨でしょ。バスの時間が合わないから、ちょっとお買い物に行こうかと思って」
朝食に目を落としたノコの唇が尖っている。
ノコの習い事先は、低学年でも電車で1人で通ってくる。小学4年生で親の送迎が常にあるのはノコだけだ。場所とて駅前のバスロータリーに面しているので、人通りもあり、迷うことも危険なことも少ない。
「ノコさんを送り届けてから、また電車に乗って1つ戻るとそれだけ電車代と時間がかかるんだ」
出勤の準備をしていたむーくん(夫)がノコを見て笑った。
「行けるだろ。パパのときはやってるだろ」
そうなのだ。
むーくんはすでに何度か1駅前でノコと別れて下車し、自分の用事を済ませに行ったことがある。
パパのときはよくて、私のときはダメということがノコにはある。
習い事の送迎でどこまで同行するかもむーくんと私とで違う。学年が上がるにつれ、むーくんが送迎のときは駐輪場や習い事のビルの入口で別れ、習い事先まで一緒に行かないことが普通になってきている。
「だって、怖いんだもん」
「怖いって、2年生だって1人で行ってるのにか。パパのときは大丈夫じゃないか」
むーくんは私の負担を少しでも軽くしたいのだろう。
「・・・・・・行くまでに決める」
ノコがついっと視線をそらしてつぶやいた。
電車に乗れば、すぐに着く。
「ノコさん、ママはどうしたらいい? 1つ前で降りていい? それとも習い事先まで一緒に行ってほしい?」
口に入れた飴をガリガリと噛みくだきながらノコが私の腕に顔を寄せた。
「ねぇ、ママママ、ママママ。私ね、怖いっていうかね、淋しいの」
あぁ、ノコの「怖い」は「淋しい」だったか。
ノコは寝る時間が近くなると、起きていたいのか渋りはじめる。
歯を磨くのを面倒くさがり、明日の学校の準備はたらたらとし、ふと思い出したように「あのねあのね」という。
夜が遅くなればなるほど、ノコに睡眠をしっかり取ってほしいのでつい苛立ってしまう。
しまいには、2階のノコの部屋へ行くのも嫌がる。
「怖いから、パパかママ、一緒に行って」
それが就寝時刻ならばよい。もう寝かしつけは不要なので、ノコの部屋まで行けばいい。あれやこれやと「寝ない、寝たくない」と先延ばしした後だとこちらも語気が強くなる。
「家のなかなのに、怖いっていわれてもなぁ。家が怖いんかい」
怖いというので、こじれてしまう。
ノコは「淋しい」というのが恥ずかしいのだろうか。
それとも「淋しい」というより「怖い」っていったほうが、大人が動いてくれると思っているのだろうか。
怖いのなら恐怖の対象を除こうとするが、淋しいのならそれはノコの心だ。
「淋しいのかぁ。それなら仕方がないね。一緒に行こうか」
私は1つ前の駅で下車することを諦める。
ノコが素直に「淋しい」といったのだからそれでよい。
「ママの淋しン坊ちゃん、じゃあ、行きましょうか」
雨はまだまだやみそうもない。
「ママ、あっちから行けば傘差さなくても行けるよ」
バス停にある屋根沿いにうまく歩けば、遠回りになるが傘を差さずに習い事先まで行けそうだ。
「そうだね、そっちから行こうか」
私はノコの淋しさが軽くなるよう、そっと手を引いた。
多分この手もすぐ離れる。
親と呼べる存在と一緒に暮らしはじめたのが遅い分、その分だけ時間がかかっているのであって、遅いではない。
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