子どもの習い事。「やめたければやめていい」といいつつもいざいわれると戸惑う私。
#20230517-108
2023年5月17日(水)
ノコ(娘小4)は小学校に上がる直前の3月にピアノを習いはじめた。
きっかけは幼稚園の先生が弾くピアノだった。ピアノを習っているお友だちがいたのもある。
正直、私は反対だった。
それは私自身の経験によるものだ。
幼稚園の年長から中学2年生まで私はピアノを習っていた。母は厳しく、1日ピアノを弾かなければ取り戻すのに3日かかるといい、1日たりとも練習を休ませてくれなかった。泣きながら練習した日もある。それでもピアノは嫌いにならなかったのだから不思議だ。
ピアノをやめたのは受験生になり、塾通いがはじまって練習する時間がなくなったからだ。
その経験があるため、どうしても練習をせずに先生のレッスンを受けることに抵抗があった。習うなら、私の子ども時代のように――1日ウン時間とはいわないが、1日1回はピアノに触れてほしい。
練習せずに先生のもとへ行くことは大変失礼だ、という思いが強かった。
だから、習いたいというノコにもいった。
「習うんだったら、1日1回は練習してほしいな。それはとっても大変だよ」
あと1ヶ月もすれば小学生とはいえ、まだ幼稚園児。そういっても実感できないことはわかっていたが、いわずにはいられなかった。
「大丈夫! 大丈夫!」
ノコはひるむことなくいい切った。
そりゃあ、習いたい気持ちのほうが強いもんね。
「ねぇ、ママぁ。ピアノって私が習いたいっていったの?」
ピアノの練習中にノコがいった。
「そうよ。ママは習うんだったら毎日練習だよっていったんだけどね」
「ふぅーん」
ノコは口をとがらせ、不機嫌そうに斜め上へ視線を投げる。
「ママぁ……ピアノやめたい」
「そっか。わかった」
ただ3年間お世話になったのだから、電話で「ピアノやめます、ハイさようなら」は先生に申し訳ない。最後にきちんと先生のお顔を見てお礼をいおう、とノコに伝えた。
そこはノコも異議はなく、今月いっぱいレッスンに通うことになった。
ピアノをはじめ、楽器は1ヶ月そこらで形になるわけでなく、ある程度練習を重ねた先に見える景色がある。3年目のノコはまだひとりで練習ができるわけでもなく、譜読みも怪しい。やめたら――大人になったらわからないが、少なくとも子どものうちは恋しくなって戻ってくることはないだろう。自分でピアノに対してどうするか考えられる年齢になるまで、あともう少しだけ続けてほしいとは思ってしまう。
この3年間がもったいない。
だが、やりたくない習い事を続けるのも時間とお金と労力がもったいない。
3年の間、ノコは発表会が近付くにつれ、「やめたい」といった。
レッスンがいつもより厳しくなるからだ。それなら、やめるかといえば、ドレスが着たくて結局「発表会が終わるまでは続ける」になる。そして、発表会が済み、レッスンが通常通り和やかになると「やめる」といったことを忘れる。その繰り返しだった。
ノコには常々「習い事はやめたければやめていい」といっている。
そういいながらも、ピアノに関してはある程度練習をしないと楽しさがわからないと思ってしまい、はじめてノコが「やめたい」といったときは即「わかった」といえなかった。
言葉に詰まり、なんていおうとぐるぐる悩んでいるうちに、ノコがいった。
「ママが悲しそうな顔したからやめるのやめる」
あぁ、「やめたければやめていい」といっているくせになんて様だ!
私ったら、口先だけだ。
それから反省し、ノコがまた「やめたい」といったときにきちんと応じられるよう、心の整理をしていった。一朝一夕ではとても無理だった。
どうしても未練が残る。
もう少し続けたら、自分で譜面も読めて楽しくなるのに。そう思ってしまう。
やめたらピアノにさわらなくなるだろう。今、やめたらあっという間に弾けなくなる。
だから、今日のように「わかった」といえるまでの道のりはとても長かった。
いったものの、苦いものが残る。
「じゃあ、先生にやめることをお話するね」
「うん!」
明るいノコの声に迷いはない。
心の整理をするなかで、ノコがやめたら、先生に私のレッスンを見てもらえるか尋ねることに決めていた。
それを実行しよう。
私が弾けばいい。