「里親」に代わる言葉がほしい。
#20230825-208
2023年8月25日(金)
「里親」というと、現代社会では犬猫の里親を思い浮かべる人のほうが多いようだ。
noteの「里親」のカテゴリーも犬や猫、うさぎの写真がずらりと並んでいる。そこに人間の里親に関する記事がまぎれている感じだ。「特別養子縁組」というカテゴリーもあるが、それは養育里親、専門里親、養子縁組を希望する里親、親族里親といった里親制度の種類の1つになる。
なんせ委託里親家庭はスーパーマイノリティらしいので、仕方がないのだろう。
以前から、動物の里親が圧倒的に多いため、人間の「里親」に別の名称をつけてはどうか、という話題は目にしていた。
混乱しないためにも私もそうするのもありだと思っているが、抽象的な言葉だと意味がぼんやりするし、外国語をカタカナ表記したものだと浸透率が怪しく感じる。
どんな名称であれ、里親の数が増し、存在が世に広まれば自然と人の耳に馴染んでいくのだろうが、周囲を見まわす限りそのハードルは高い。
変えれば、解決するわけではない。
だが、動かなければ、変わらない。
最近、ノコ(娘小4)が急にTVドラマや物語の登場人物の生い立ちに自身を重ねる言葉を口にしはじめた。
里親になって気付いたが、現実世界よりドラマや本のほうが里親子のような関係にあふれている。ノコの目につかないようにするのは所詮無理だし、排除すればいいわけではないのでその年齢に適切ならばふれさせている。
先日、学校で「動物に詳しくなろう」という授業があった。
帰宅したノコがランドセルからプリントを引っ張りだし、私に寄越した。
1枚・・・・・・2枚・・・・・・
「○○っていう犬がいてね、その犬は毛だらけで毛にウンチもいっぱいついてたんだって。爪も伸びててひどかったんだって」
・・・・・・3枚そろったプリントに目を落とすと、保護犬猫の活動に関するものだった。
動物に詳しくなる授業であることは聞いていたが、保護犬猫についてだったのか。
「あのね、里親の人たちが来て、いろいろ教えてくれた」
ノコは保護された犬や猫がいかに劣悪な環境で飼育されていたのか、保護したときどんな様子だったのか、ことこまかく語りだした。
「エサももらえなくて、ガリガリだったんだって」
衝撃的だったのか、ノコの興奮がなかなかおさまらない。ぴょんぴょん跳ねながら、私とむーくん(夫)の腕を交互にぺしぺし叩きながらノコの話は続く。
ふいにノコが口をつぐんだ。一瞬、視線を落とす。
「でね・・・・・・私は里子」
「そうだね」
私はノコの形のよい額をくるりとなでる。
学校も犬猫の保護活動をしている団体もみんなみんな善意しかない。
命の大切さ、ペットを飼う心構え、世の中にはひどい状況で飼育をされている動物がいるという社会問題。子どもたちに伝えるべきことだ。伝えて悪いことなんて思い浮かばないだろう。
犬や猫の話であっても「里親」という言葉が出れば、里子のノコは自分を思い浮かべる。里親がいれば、必然里子がいるわけで、その里子である犬猫の姿に自分を重ねかねない。動物だからか、保護されたときの惨状の話がとてもリアルだ。
人間である里子もそのような状況で保護されるのかもしれない。
幼稚園年長児で我が家に来たノコは自分の生い立ちを年齢なりに理解している。なぜ自分が実親のもとから乳児院に入ったのか、そこから児童養護施設に移り、里親である我が家に来たのか。
事情はわかっていても実親の記憶がないノコは、自分が施設に入ったときの情景は浮かばない。思い描く余地があるのだ。
善意だからこそ、それがだれかの心の影になると思わないのだろう。
善意の落とし穴。
学校に配慮をお願いするか?
いや、それは違う。
犬猫の保護活動もペットを飼う覚悟も子どもたちに知ってほしい。根本にあるのは、「里親」という言葉が人間にも動物にも使われていることだ。
ノコが周りの出来事に自分自身のことを投影するようになって、私の意識も変わってきた。委託直後はここまで強く思わなかった。
今は「里親」に代わる言葉がほしい。
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