親の体調が悪くなったとき、子どもの心はどう動く。
#20230712-164
2023年7月12日(水)
咳は残っているが、今日一日ノコ(娘小4)の熱が上がらなければ、明日は登校させても大丈夫だろうか。
そろそろノコの安静が限界だ。「学校に行きたい」と顔を至近距離まで近付けていう。
「ママとパパにうつったら困るから、もう少し離れて」
そういった矢先に目の前で咳込む。
思わずため息が出る。
「ママとパパにうつったら、ノコさんも困るでしょ」
「困んないし。またよそのお家に預ければいいじゃん」
ノコを受託した直後、私が高熱を出し、寝込んだことがあった。
児童養護施設から我が家へ来たばかりのノコは、当時幼稚園児で具合の悪い私をとてもじゃないが、寝かせてくれなかった。急なことでむーくん(夫)も欠勤できず、児童相談所を通して、先輩里親さんに1泊のレスパイト・ケアをお願いした。
レスパイト・ケアを利用したのは、この4年間1度きり。
その後も何度か私かむーくんが体調を崩したことはあったが、なんとか協力して乗り切った。どうやらノコはそのときの記憶が抜け落ちているようだ。
たった1度しか利用していないのに、ノコはレスパイト・ケアをすればいいという。
確かにレスパイト・ケア先では、ノコはお客様ということもあり、心細くないよう至れり尽くせりだったらしい。レスパイト・ケアが嫌な思い出ではなく、楽しかったのはよい。
だが、風邪などうつるような病気になったら、家庭内でお互いうつらないよう気を配ってほしいと思ってしまう。パパとママの具合が悪くなったら大変だ、という危機感が感じられない。
気になるのは自分のこと。
「私のお世話は誰がするわけ?」とノコはいう。
私のご飯、私の服の洗濯、学校のこととかとかとか。
委託直後はノコも幼かったし、家族というものがわからなかったので仕方がないと思った。
今は、なんだか物悲しい。
ノコに軽んじられているようだからか。
ノコの言葉が自己中心的に聞こえるからか。
お世話さえしてくれる人がいればいいように取れるからか。
レスパイト・ケアでよそのお宅に行くということは、この家を離れることであり、私たち夫婦から離れることである。
風邪どころでなく、万一どうしようもない事態になり、本当によそのお宅にいてもらわないと困る状況になった場合、我が家や私たち夫婦にノコが固執して「行かない」といい張られるのも困る。
聞き分けのよさは、ときにありがたく、ときに薄情に見える。
所詮、ないものねだりなのだと自分にいい聞かせる。
ノコが心から我が家と私たち夫婦にこだわらないのなら、それはまだノコにとってここと私たちが安心できる存在ではないということになる。
その場合、私が悲しんでいる場合ではない。
またどこかへ行けばいい、とノコが本気で思っているのなら、ノコのその所在ない心を見ねばならない。
接し方を見直したほうがいいのか。
それとも、これはただ「時」が解決するのなら、淡々と昨日、今日、明日とノコがここに「いる」ことに向き合って毎日を過ごせばいいのか。
4年なんて、まだまだだ。
地道に毎日を越えていく。
ただ、それだけ。
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