【映画】「ゴジラ-1.0」を観てきました!
#20231227-328
2023年12月27日(水)
朝8時の街なかで。
むーくん(夫)と2人、大人時間になった。
どこかに行きたいが、ほとんどの店は開店前だ。美術館も開館していない。こういうときは映画に限る。
ここから近くて、ほどなくはじまる映画を探したら、「ゴジラ-1.0」があった。
事前情報は ほぼなし。
時代は、神木隆之介が演じる特攻隊が出てくるらしいから戦中か、という程度だった。
期待もなければ、不安もなく、とてもフラットな状態で観た。
戦闘機「零戦」で敵に突っ込む片道だけの特攻を命じられた敷島浩一少尉(神木隆之介)は、機体の不調を偽り、任務から逃げる。
特攻から逃れた先の守備隊基地の大戸島でゴジラと遭遇するが、そこでもゴジラから逃げる。
恐怖を恐怖として感じ、逃げる敷島の姿はとても真実味を帯びている。
恐怖のあまりパニックになって敵に背を向けるのではなく、突っ込んでしまうことはあると思う。また恐怖のあまり武器の引き金を引いてしまうこともあると思う。結果として、それらは敵に立ち向かったように見えるが、冷静さを欠いての行動ゆえ、逃げた敷島と違うとはいいきれない。
大きな恐怖を前にすれば、人は平時には思いもしないことをしそうだと私は思っている。
敷島は逃げる男だ。
任務から逃げ、ゴジラから逃げ、本土へ無事帰還した後に出会った女性、大石典子(浜辺美波)との関係からも逃げる。典子と戦争孤児の明子と3人、血のつながりのない疑似家族を作るが、幼い明子に「とうちゃん」と呼ばせないし、典子を「妻ではない」と否定する。
敷島は「逃げた」ことで、自身の戦争はまだ終わっていないという。
逃げたことは本人の「生きたい」という意思であるのに、亡くなった両親の位牌には「生きろっていいましたよね」と吐く。
生きようとしたのはいわれたからではなく、自分の意思だと認める物語。
生きたいのは、まぎれもなく敷島自身なのだ。
演出はベタなところがあったが、それはある意味、見る側がこう来るだろうと思うところへ監督がわざと置いているようにも感じた。
中だるみもなく、テンポよい展開で上映時間を楽しむことができた。
映画は第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)からはじまり、戦後――ゴジラが本土に上陸する1947年へと向かう。時折、表示される西暦が母の生まれた年に向かって進んでいった。
時代考証がどの程度正確になされているかはわからないが、母が生まれた頃の東京はこんな状態だったのかと重ねてしまった。当時、母は東京から遠く離れた土地に住んでいたので被害の規模はかなり違うだろう。それにいくら記憶力がよくても生まれた当時のことを覚えている人はいない。物心がついた5歳頃からだとすれば、母の目に残っている景色は1950年以降となる。
それでも、第二次世界大戦は遠い過去ではないと感じた。
戦後を描いた映像作品は今までもたくさん目にしてきたはずなのに、怪獣映画で先の大戦の近さを実感したのが自分でも不思議だった。
ゴジラという怪獣を挟んだからかもしれない。
フィクションが私と映画内の時代背景の間にあったからこそ、そこにあるノンフィクションを探したのではないか。
おととし、西武園ゆうえんちでアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」を楽しんだ。その映像と似ていると思っていたら、本作品の山崎貴監督が携わっていた。
誰しもそうだと思うが、ある一定の量の情報や知識が入ると、言語化していなくとも傾向のようなものが自分のなかで生まれ、ふと同じ作り手だとわかる瞬間がある。美術展やギャラリーに通っていると、よくそれを感じる。
作者当てクイズをしているわけではないが、私には作り手が浮かぶと心が躍る。
映画館を出た私はむーくんと顔を見合わせ、にんまり。
平らな気持ちで観たからだろうか、満足感があふれた。
「面白かったね」
その後、ランチをしていても、店を覗いていても、「あそこの場面のさ」「ここね、私はこう感じたんだけど」と映画についての言葉が口をついて出た。私は興奮すると、むーくんへのお喋りが盛んになる。
上映時間の125分。
私はここではないところにいた。