手間が楽しみになるとき
#20230612-134
2023年6月12日(月)
梅雨らしい一日。雨がちな空。
強く降ったり、小雨になったり。
今日は今年度初のプール授業だが、玄関でノコ(娘小4)はプール道具を持って行かないと宣言する。そういって家を出たが、鍵を締める間もなく、ドアが開いた。
同じクラスの子がプールバッグを持っていたと慌てて引っつかんでいく。
子ども向けの読み聞かせボランティア活動をしている。
小学校と図書館の2団体に所属しており、今日は図書館のほうの勉強会だ。
家事を手早く済ませ、図書館に向かう。移動時間は貴重な読書タイム。
今は、朝井まかて著作の「ボタニカ」。
この春からはじまったNHKの連続テレビ小説「らんまん」を毎朝楽しく見ている。主人公のモデルが植物学者の牧野富太郎で、「ボタニカ」も牧野富太郎の物語だ。
牧野富太郎が植物に熱中するさまは、刺激的でむずむずしてくる。
50歳を過ぎて気付いたのが自分の好奇心の強さだ。
ノコと暮らすようになって、幼い頃をよく振り返る。
友だちもいたし、3歳下の妹もいたが、私は1人で遊ぶことが好きだった。母親に妹と遊ぶよういわれる度に、正直面倒くさいと思った。本に熱中してここではない世界へ行ってしまうことは日常茶飯事だったし、せっせと手を動かして何かを作ったり、調べたりすることが大好きだった。1人遊びができず、外遊びが好きな妹と「楽しみ」を共有することはとても難しかった。
自分が思い描くものを作るためには、手間を手間と思わなかった。
小さなサイズで試し作りをすることも、素材を変えて同じものを作ることも厭わなかった。「トライ&エラー」は、私にとって面倒ではなく、楽しみでもあった。
そもそも一回で頭のなかにあるものが「作れる」と思っていなかった。
凝り性だった。
こだわりが強かった。
ただただ自分が納得できるものを作りたかった。
ノコにも夢中になれるものとの出会いがあればいいと願っている。
それをしているときは、時間を忘れ、人が手間だと思うことが面倒ではなく、「もっともっと」と手を伸ばしたくなるもの。
ノコを見ていると、まだそのような出会いはないように見える。
TVは大好きだが、受け身であり、その一歩先へ行く強さが見えない。もしや浴びるほど見たら、何か変わるだろうか。
ダンスはいわれなくても鏡ーー姿が映るものがあれば踊っている。4年生になった今も相変わらず身体を揺らし、タッタカとステップを踏むので、ダンスなのかもしれない。
それならば、できるだけ夢中になっている時間を大切にしたい。邪魔したくない。
ノコが興味を持つ「何か」を私は見逃したくない。
さまざまなものにふれ、「何か」に出会える機会をたくさん作りたい。
ノコにはこの世界を楽しんでほしい。