「〇〇していい?」って尋く娘。自分で判断していいのに、私の言葉を免罪符にする。
#20230713-165
2023年7月13日(木)
「ねぇ、ママ、TV見ていい?」
「ママママ、もう寝ていい?」
「あのさ……ママ、宿題ここまででいい?」
ノコ(娘小4)がぐいっと近付き、上目遣いに私の顔を窺いながらいう。それも聞き返してしまうほど小さな声で。
おずおずとためらいつつ尋いてくるということは、私に「ダメ」といわれるとノコは思っているのだろうか。
TVは宿題を含むやるべきことが済んだのなら見ていいし、眠いのなら寝ればいい。眠いのに「寝るな」なんていわない。宿題の範囲は私に尋ねることではなく、先生の指示による。
どれも私の許可は不要だ。ノコ自身で判断できることだ。
それでもいちいち尋ねてくるということは、「ママが”いい”っていった」という免罪符がほしいからか。
ちょうど学期末。
宿題は漢字ドリル、計算ドリルのやっていないページを済ませること。それぞれの進行具合による。ノコはここ数日体調不良で欠席していたため、進んでいない。広範囲だ。
下校後、おやつを食べたノコの心のなかは外遊びしかない。
「ママママ、外で遊んできてもいい?」
「宿題の量が結構多いはずだけど、外遊びをしてからで終わらせられるの?」
ノコは病み上がりだ。夜更かしはさせたくない。
「まだ咳してるんだから、宿題が終わらないからって夜更かしはしてほしくないな。遅くとも9時までにはベッドに入ってね。それでも大丈夫なの?」
「大丈夫!」
玄関先で仕事から帰ったむーくん(夫)とかち合ったようだ。
「宿題は?」
「ママが”いい”っていった!」
叫ぶノコの声が聞こえる。
私はむーくんを出迎えに玄関へ行く。
「ママが”いい”っていったってさ」
「いってません。量が多いけど大丈夫なの?とはいったけど」
むーくんが苦笑する。
「終わらねぇな……」
不吉な予言だが、当たりそうで私も苦笑いを浮かべてしまう。
結局。
漢字ドリルは漢字ドリル用のノートを学校に忘れたため、やり残したページがわからないから「できない」とのこと。算数ドリルは使わないソロバンを出してしまったことから、一気にお遊びに変わってしまい、カチャカチャいじってしまい進まない。
久し振りの学校で疲れたのだろう。20時半には「寝ていい?」といった。
「寝ていいけれど、残っている宿題はどうするの?」
「漢字は明日学校でやる。算数は明日早起きしてやる」
「それで間に合うの?」
「大丈夫、大丈夫」
信憑性がもはや沈下レベルの”大丈夫”を連呼し、ノコはふらりと席を立った。
眠い頭では、何をやっても時間の無駄だ。
明朝で宿題が終わることを祈りながら、ベッドに向かうノコの背を見送った。
寝ることは止められないので、つい「寝ていい」と返してしまったけれど、これをまた「ママが寝て”いい”っていったから」と宿題が終わらなかった理由にしてほしくない。
「〇〇していい?」という言葉は厄介で、「いい」といった人間に責任を転嫁できる。
私に尋ねず、判断してほしいが、なかなか難しいようだ。
どうしたら「〇〇していい?」といわなくなるだろうか。
ノコ自身はいちいち許可をもらわないと、何かできないことが窮屈でないのだろうか。ママが「いい」っていえば何をしてもいいのだから、むしろ楽なのだろうか。
どうしたら、責任を持つことが「わかる」のだろうか。