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タマネギみたく|高瀬隼子『新しい恋愛』感想

歳を重ねるごとに、知識や経験が蓄積され、思考のレイヤーがだんだん外側に広がっていく。見えるものが増えていき、感じとれるものも多くなっていく。大人になるということはそういうことで、それはいいことだと思っていたのだけれど、恋愛のことになると逆に、視座が高まるにつれて足場が狭くなっていく感覚がある。

一日中そのことだけを考えて、考えているだけで楽しい、そんな恋愛をしていた学生時代の熱量は何処へやら。社会に出て、すでに「大人」になった人たちに触れると、仕事とか健康とか結婚とか資産形成とか世間体とか、そういう恋愛に付随する諸々の比重が大きくなっていく。ただ「それ」だけを語ることが難しくなってくるのだ。知れば知るほど身動きが取りにくくなり、選べる道も少なくなっていく。

経験を積んだことでひと皮むけたように見えて、手放すつもりのなかったものまで手放してしまっているような、そんな感覚。むけていった先に、目的地が存在しているかもわからない。むしろ、はがれ落ちたものこそが本体であるのかもしれない。タマネギみたく。そして、一度落としてしまったものは、もう元には戻らない。

高瀬隼子さんの新刊『新しい恋愛』は、そうやってはがれていくものを、取り戻そうとするわけでもなく、しがみつくでもなく、ただただじっと見つめているような、そんな短編集だ。読んでいると、たしかにこの感情、この熱量は自分からこぼれ落ちていってるな、と感じる。それがつまりは、大人になりゆくたしかな証拠なのだろう。

表題作「新しい恋愛」では、交際相手からのプロポーズを予感して戸惑う主人公と、純真な恋愛を称揚する中学生の姪っ子との対話が繰り広げられる。リアルに浸りきった大人の思考と若さゆえのピュアなロマンの対比が際立つが、それだけにあらず、あっと言わせるようなフックも仕掛けられている。

五本収録されているなかでもっとも好きだったのが「花束の夜」だ。新入社員の主人公と、指導係の先輩との話。はっきりとはしないけどどうやら先輩には彼女がいるようで、なんとなくそれを感じ取りつつも関係は続いていた。

多分、自分はこの人を好きなのだろうとうっすら自覚した。同じように、好きだけどそれは毎日同じ場所で同じ業務にあたっている信頼と距離の近さに、年齢相応の性欲が重ねられた程度のものだろうという生真面目な自己分析も捗った。

高瀬隼子『新しい恋愛』(講談社)p.16

熱っぽさと、一歩引いたメタ的な視線の同時発生、そして揺らぎ。大人のリアルに触れたことで、自分もまた大人に近づいているという実感を、ひしひしと感じている。大人は情動をコントロールすることができる、できてしまう。それがいいことなのか悪いことなのか、またはどちらでもないのか。それはこれまでもこれからも、はっきりとわかることはないのだろう。

どの話も「恋愛」にとどまらない人間同士の関係性とそれに対するスタンスが緻密に描かれていて、とても好きな一冊でした。ぜひ。


高瀬隼子
『新しい恋愛』
講談社
1600円+税
978-4-06-536802-2

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