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学級担任が『マネジメント―基本と原則―』を読んだら

 ドラッカーは、マネージャーに選ばれる人間について、それはそれは厳しい発言をしている。
 『真摯さなくして組織なし』の部分において、彼は、「(真摯さは)すでに身につけていなければならない」という身も蓋もない表現で「真摯さ」の重要性を説く。
 「真摯さ」の定義は難しいが、マネージャー失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくないとして、次の5つを挙げている。
 マネージャーを学級担任と読み替えて、この5つについて雑感を記したい。

①強みよりも弱みに目を向ける者をマネージャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。

…しょっぱな、ストレートパンチのごとく一部の教師の存在を否定する強い表現が飛び出す。要は、子どもたちのできなさを指摘したり、指導したり、評価してばかりいる教師は、向いていないということを意味する。何ができるのか、そしてそのできる部分を生かして学級経営を行っていくにはどんなことができるかという思考が重要だというのだ。

②何が正しいかよりも、だれが正しいかに関心を持つ者をマネージャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。

…教師と子どもの相性、合う合わないで判断するのではなく、「正しさ」に注目してそこに目を向けろというのだ。普段、反社会的な行為が目立つからという理由で、正しいことをしたとき十分に認めてあげられているだろうか。自問してみる価値はある。

③真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネージャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。

…「通常なおらない」…これは最も厳しい言葉である。改善の余地なしともとれるこの言葉にドラッカーの本気度を感じ取れる。「勉強ができる」からという理由で、評価されがちな学校組織。学校において、成績の大半は学習における評価であって、頭のよさ=人の価値、とも捉えられなくもない。真正面からドラッカーは否定する。

④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。

…また出ましたパワーワード。「人間として弱い」。これは、「子どもに脅威を感じるものを担任にしてはならない」と読み替える。つまり、それまでの人生経験の中で、子ども(というよりも人間)理解が十分になされ、人間関係構築力、多様性を受容できる感度、寛容さなどを持ち合わせていることで、脅威という感覚は持ちにくい。つまり、そのような力がないのは人間として弱いと言っている。

⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネージャーに任命してはならない。そのような者をマネージャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。

…要は、マネジメント1.0に該当する「安定」を求める人間は担任としては不適格ということである。成長欲求を持ち合わせ、常に今よりよくなりたいと思つ必要があると説く。

まとめ

 以上、ドラッカーの言葉を教育現場に置き換え読んでみたが、実際、マネージャーと担任とは異なる部分が大いにあることにも気づかされる。マネージャーは、ある程度仕事の年数が経ち、その仕事ぶりを反映されての昇格の結果であるが、担任業務は採用後すぐである。したがって、便宜上そのまま〈担任〉として読み替えたが、上記の厳しいお言葉の数々をそのまま受け取ってしまうと、気持ちが萎えてしまうかもしれない。実際は、担任業務は子どもたちと共に成長していくものであり、ドラッカーの「通常なおらない」という部分については少し違和感がある。

 また、ドラッカーは企業のコンサルティングをとおして得た知見を体系化してまとめたのであって、そのまま教育の組織へ転用することは難しい。したがって、エンタメ的にセンセーショナルな表現で記したが、実際はもっと肩の力を抜いて職務に励むほうがいい気もする。
 ただし、中堅、またはそれ以上の教員については、上記の5点についてはそれこそ『真摯に』受け止める必要がある。 
 日本の経済的地位の低下や、国際比較における日本人のイノベーションマインドの低さと創造性のなさの原因を自分たちに求め、社会という荒野をたくましく、そしてしなやかに生きていける子どもたちを育む環境とはどのようなものなのかをもう一度考え直してみたい。


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