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ショートショート

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2024年8月の記事一覧

【ひと夏の人間離れ】

【ひと夏の人間離れ】

証券マンの彼が初めて我が家を訪問したのは6月、これから訪れる本格的な夏の前触れのような蒸し暑い日だった。背が高く痩せた身体に丸顔でちょっとアンバランスな印象、担当になったからと恭しく係長の肩書の名刺を差し出した。株を売るタイミングを教えて欲しいというと「わからないのです」というそっけない返事。内心むっとした私に「それでも出来る限りやってみましょう」と真剣な顔で答えてくれた。

株価はトランポリンに

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鋭利なチクワ

鋭利なチクワ

不思議な現象が起きた。多くのお年寄りの認知症の症状が軽くなったのだ。怒鳴ったり、妄想に取りつかれて「財布を盗られた」などと騒ぎ立てることもなくなった。

明真大学脳神経内科病理学研究室の朝田教授は、認知症の人の脳細胞に変化が起きていることを発見した。不思議な形をした細胞が突然変異であらわれ、それにより認知症が画期的に改善されたのだ。その細胞をワクチン化させて他の認知症患者に注射してみると効果抜群、

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嘘のいろ【きわどいはなし】

嘘のいろ【きわどいはなし】

「やっぱりおしゃれな人は下着もおしゃれなんだ」
おとこの手が細いキャミソールの肩ひもを下げる。黒いレースのカゲロウの羽よりも薄い下着がするりと床に落ちる。おとこに導かれるまま、おんなはベッドに入る。ずっと荒んだままの心は動かない。こんなことをして楽しいとも、いや悲しいとももう感じなくなっていた。

「海が見える部屋がとれたからそこで食事でもしない?」
メールの意味はもちろんわかっていたが、知り合っ

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非情怪談

非情怪談

最寄りの駅は2階で、長いエスカレータ―を上がると改札がある。並行して階段もあるが、やっぱりエスカレーターが便利だ。時間ギリギリのときは早足で登れば電車がつかまる。それに、縦じまのある銀色の肌がしゅるしゅると現れ、パックリ割れて角ができるエスカレーターは、夏の怪談、いや階段にふさわしい。

その日は外回りの仕事で帰りが遅くなり、薄暗い駅に着くと人影もなかった。疲れ切った体でいつも通りエスカレーターに

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