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人は死ぬし人生はいつでもやめられるけどさ。 キラキラの灰 / リーガルリリー

アニメ『ダンジョン飯』を見た。2クールがあっという間の面白さだった。

放送直前に完結巻が発売され、Xの方で話題になっていたのを覚えている。夏コミでは「マルシル現地調達」なんてワードがバズっていたのも記憶に新しい。

そんな人気作品を数ヶ月遅ればせながら観てみたわけだが、これほど素晴らしいとは。老若男女に薦められる、令和の国民的サブカルアニメと言っていいのではないだろうか。ダンジョンという概念への馴染みさえあれば、食という多くの日本人が食いつく話題と物語をハイクオリティで楽しめる。

『ダンジョン飯』は、ダンジョン深奥でのドラゴンとの戦闘で全滅しかけ、仲間の身代わりにドラゴンに食べられてしまった妹ファリンを助け出すため、ライオス率いる4人パーティが再度ダンジョンへ潜るという物語である。装備やお金を深奥に置いてきてしまったため、ダンジョンのモンスターを食べ自給自足するという「普通ならやらないこと」を味わうことになる。

アニメは2クールでOPとEDは合わせて4曲。その中で私が一番気に入ったのは、第2シーズンEDのリーガルリリー「キラキラの灰」だ。配信サイトで音源データを買ったあと、やっぱCDも欲しいと買い直したのは初めてだろう。

(Youtubeにはこの曲のアニメMVもあるけど、本編の重大なネタバレを含むので先にアニメを見よう!)

私がこの曲で一番好きなのは、楽器とボーカルの温かな音色が徐々に増えていくところだ。イントロはギターのみ。歌唱と同時に冒険の一歩一歩踏みしめるようなベースとドラムの質感がやってきて、サビで豊かになる。2番ではハモリに加えて少しだけアクセントで鳴る楽器が増えたりして、丁寧な作りのブリッジが最高潮に盛り上げて迎えるラスサビはブリッジに登場したきらきら星のバックコーラスまで加わる。私はこういう、緩急を盛り込み曲全体で徐々にテンションの上がっていく構成に弱い……。

「キラキラの灰」はぜひ、静かな場所でひとりゆったりとした姿勢で聴いてほしい。そうすることで、より多くの音たちを味わえるし、何より、ラスサビ後の静寂を堪能することができる。

この曲のラスサビはボーカルの「離さないよ。」と共にスッと終わる。そのあと音源には4秒間たっぷりと無音の時間が用意されている。ここで耳に残る余韻は、周りが静かであればあるほど楽しめる。逆説的に、この余韻が最も味わい深いとさえ思う。そして4秒後、リピート機能によってまたイントロのギターが聞こえてくる……。


ここからは、24話のアニメの中で私が最も好きな第19話Bパート「夢魔」のネタバレを多少しつつ、歌詞について触れていきたい。

アニメを見た者ならば直感的に、「キラキラの灰」はパーティメンバーのマルシルからファリンへの感情をイメージした曲だと感じるだろう。歌詞中の「魔法」「魔法陣」という単語やサビの「二度目はもう離さないよ。」は、魔法学校からファリンと仲良しの魔法使いであるマルシルを連想させる。

というか、実際にCDジャケットもマルシルだ。

CDジャケット

うそ!
みんな私と一緒に走ることを諦めて、あいつに飲み込まれてく
パパもピピも、ファリンもみんなみんな!
だからわたしは魔術をたくさん勉強したのに
それがファリンをこんな姿にしてしまったのなら
私は……どうしたら

19話Bパート セリフ書き起こし

第19話Bパートでは、悪夢の中でマルシルの抱く恐怖が描かれる。長命種のハーフエルフである彼女は、パパが死んだとき、ママから「(あなたは)これからもたくさんの人を見送らないといけない」と告げられる。長命種と短命種では、命の進んでいく速さが違うのだ。マルシルは、時間経過によって親しい人が先に死んでしまうことが怖い。

ここで、「キラキラの灰」の歌いだしを見てみよう。

今まで僕が作り上げてきた魔法よ
しっかりしてよ 手すりのない階段を登りつづけて
 
扉をいつまでも開いたままにしても
しっかりしてよ ふらふらの両足を蹴っ飛ばした!

1番 Aメロ

「魔法」は、直接的にはマルシルの扱う魔術のことを指している。けれども、広い意味では、これまで彼女がどんな思いで魔術を習得してきたかを含む技術と思想の全体とも取れるだろう。

マルシルは「手すりのない階段を」、つまり共に同じ悩みを抱えて歩む者や整備された先行理論もないままに「魔法」の勉強を積み上げてきている。しかし、19話で叫ぶように「私の魔術は不完全」なものであることも分かっていて、だからそんな自分に「しっかりしてよ」と優しい声で発破をかける。

ここにはマルシルの孤独と自信の無さが表現されている。

私は、この「しっかりしてよ」に心を奪われていた。

このあいだ友人と哲学の話をしていたときに、「周りの人を褒めるのは上手なのに、自分のことになるとすぐ引っ込んじゃう人がいて、寂しい」と言ったら、「自分の中に共感するものがあるからそう感じる。救うべきはその人ではなく自分」と返された。

それで、なぜ自分に「しっかりしてよ」が響くのか気付いた。私は例えばスカートを履いて一人で家を出るとき、常に、「最悪の場合通行人に殴られることもあるだろうな」と思いながら歩いている。それで実際、過去に何かされたことはないのだけれど、待ち合わせて人に会うまで、片隅でいつもその可能性のことを思っている。それは私の中にある孤独が浮き上がらせる自信のなさで、他人という鏡を介して見えていたものだった。

第19話Bパートのマルシルの叫びは私の心を捉えて離さないし、「キラキラの灰」の暖かく包み込むようなサウンドは癒やしてくれる。

だから、マルシルのことも、「キラキラの灰」のことも私はすごく気に入っている。


ここで歌詞をあらぬ方向に深読みしてみるとしよう。

今まで僕が作り出してきた魔法陣よ
しっかりしてよ 手すりのない階段を登り疲れて
扉をいつまでも開いたままにしても
しっかりするよ シスター
ふらふらの両足を蹴っ飛ばした!

2番 Aメロ

古代ギリシャの哲学者にエピクテトスというのがいて、彼の言行録に何度か登場するフレーズに、「ドアは開いている」というものがある。人は人生をやめる選択肢を常に持っている、という含意だ。

しかし、大事なのは、ドアが開いていることを忘れないことだ。そして、子供たちより臆病になってはならない。子供たちは遊びがおもしろくないときは、「もう遊ばない」と言うが、君もそう思えるようなときは、「もう遊ばない」と言って、やめることだ。だけど、それをやめないのであれば、泣きごとを言ってはならない。

エピクテトス『語録』1.24.20

これは、「扉をいつまでも開いたままにしても」に通じる。長命種のマルシルにとって、親しい人が先に死んでしまうことが恐怖の対象であった。その恐怖から逃れる方法としての「扉」、ということは確かにあり得る。そうすれば少なくとも、独りぼっちで置いて行かれることはなくなるのだから。

だが彼女は「手すりのない階段を登り疲れ」てもその「扉」を選ばない。だから泣きごとも言わない。(MVの最後にもあるように)その「扉」を閉めて、「ふらふらの両足を蹴っ飛ば」すことを選ぶのだ。

くちずさむのはいつもの羅針盤
届かなくなった距離を選んだ
頬の化粧のにおいが消えなくて
キラキラのハイになって踊った
呪文をひとつ胸に抱き飛んだ
あの日を君を二度目はもう離さないよ。

ラスサビ


『ダンジョン飯』2期楽しみ~~~~~~!!!

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