みつしまあかり

祈り。

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最近の記事

人は死ぬし人生はいつでもやめられるけどさ。 キラキラの灰 / リーガルリリー

アニメ『ダンジョン飯』を見た。2クールがあっという間の面白さだった。 放送直前に完結巻が発売され、Xの方で話題になっていたのを覚えている。夏コミでは「マルシル現地調達」なんてワードがバズっていたのも記憶に新しい。 そんな人気作品を数ヶ月遅ればせながら観てみたわけだが、これほど素晴らしいとは。老若男女に薦められる、令和の国民的サブカルアニメと言っていいのではないだろうか。ダンジョンという概念への馴染みさえあれば、食という多くの日本人が食いつく話題と物語をハイクオリティで楽し

    • 生まれもった役割にもがき空回りする愛しき男の娘『三咲くんは攻略キャラじゃない 1 』

      単行本発売やったー!  Twitterのカラー短編の頃から追っている身としては、紙の本という実物がこの手にあるというのは感慨深いものがある。 ナツイチの『三咲くんは攻略キャラじゃない』は、ギャルゲー世界という自覚がキャラ全員にある世界で、親友ポジションの男の娘を攻略したい季原くんと、ゲームクリアにならない親友エンドではなくちゃんとしたヒロインと結ばれて幸せになってほしい男の娘三咲くんのすれ違いを描くラブコメだ。 やっぱ三咲くんかわいいですね……。 そして男の娘へのこだ

      • <男>からは降りられないよ 『おかえりアリス』評 後編

        慧ちゃんは降りたって言ってるけど。 『おかえりアリス』の性に関する評、後編。 前編では、三谷と洋ちゃんの視点から綴られる性の息苦しさについて解釈してきた。いよいよ後編では、慧ちゃんの視点から見た性の息苦しさとその解決について見ていこう。 前編はこちら。(一応、前編を読まなくてもこの記事の主題部分は読めるようにしたつもりだ。) 引き続き、ネタバレ全開である。 慧ちゃんストーリー前半の慧ちゃんは、物語上の謎として場をかき乱す役割を与えられていた。高校入学と同時に帰ってき

        • 何も知らない彼女は救われてない 『おかえりアリス』評 前編

          男の娘が出てくるということで読み始めた押見修造の『おかえりアリス』。1巻から、男の娘慧ちゃんの妖しげな魅力に取り憑かれてしまった。小悪魔のような仕草でどこかへ導こうとするかに見える慧ちゃんが、その実、道に迷っていることに気づかぬまま――。 『おかえりアリス』(全7巻)は、高校で再会した幼馴染3人組の慧ちゃん(男の娘)、三谷(女)、洋ちゃん(男)の三角関係を中心に、性欲による苦しみや葛藤を描いた作品である。 前編となる本記事では、三谷と洋ちゃんという2人のキャラクターに焦点

          じっくり網焼きしてたお肉に自我があった【掌編】

          パチンコとラブホテルと廃墟寸前の小さな遊園地以外に面白いものは何もない寂れた街の駅前商店街も、流石に今夜ばかりはと思ったのだろうか。広場から見える辺り一面は色とりどりのライトアップで明るくけばけばしい光を放っていて、賑やかな雰囲気を演出しようと出来る限りの苦心をしているようだった。 午後6時。夏ならまだ明るい時間帯でも、冬至を過ぎたばかりとあって既に日は落ちている。厚手のコートを着てきたはずなのに身震いする体をさすりながら彼を待つ。 いや、おしゃれは我慢なのだ。もこもこの

          じっくり網焼きしてたお肉に自我があった【掌編】

          鳩のための教会【掌編】

          退屈だ。礼拝堂の一番うしろの席で牧師の話す聖書解釈を聞きながら、鮎沢は下を向いてこっそりあくびをした。 この仕事を課長に振られたのが金曜日の昼だ。原稿を依頼していたライターが急に雲隠れしてしまい、雑誌に空いてしまった穴。火曜日の入稿に間に合わせるため、急遽当たり障りのないインタビュー記事をはめこむことになった。 それで、こんな日曜の朝から町外れの丘に建つ教会まで取材に来ているというわけなのだ。 前にちらほらと見える大人の信者たちと十数人の子供たちの後ろ髪をぼんやり眺めて

          鳩のための教会【掌編】

          多様性の欺瞞を暴いた先で、僕たちは繋がれるのか 朝井リョウ『正欲』

          私がこの小説を初めて読んだのは2年前、新しく知った多様性という概念を万歳三唱して信じてみたけれど、それで自分の人生が救われるわけではないと気付いた後だった。 発刊間もないハードカバーを定価で買って読み、本棚の一軍エリアにしっかり並べていた朝井リョウの『正欲』。こないだふと、もう一度読み返してみようと手に取った。当時書き散らした未完の感想文も発掘したので読み返したら、ずいぶん多様性に対して反動的な書き味で笑った。揺り戻しもある程度落ち着き、物語のあらすじを理解した今なら、新た

          多様性の欺瞞を暴いた先で、僕たちは繋がれるのか 朝井リョウ『正欲』

          普通のことができない私は間違っている ~女装・男の娘マンガの魅力~

          小2の頃、母親と自由帳を買いに行ったことがある。雨の日だった。地元の文具屋に入って、品物を物色する。今もそうだと思うが、自由帳という商品のラインナップは幅広く、様々なキャラクターや風合いのものから自分の好きなものを選ぶことができた。 平成という時代。今となっては平成レトロとでも呼ぶのだろうか、そこには女の子向けのコテコテなキャラクターコンテンツがあった。私はその中で一冊の自由帳に心惹かれたが、男子が明らかに女子向けな絵柄の自由帳を持つのは、「普通」じゃない。そう思い、無難な

          普通のことができない私は間違っている ~女装・男の娘マンガの魅力~

          代替可能性に死を思い、生きる意味を問う。 『夏とレモンとオーバーレイ』

          その日メロンブックスに入ったのは連載を追っているTSマンガの新刊を買うためだったが、入口すぐの新刊だけが積んである大きな島をなめ回して見ていると、綺麗な彩色のイラスト表紙と共にこんな文字列が目に入った。 「私の葬式で遺書を読んでくれませんか」 キャッチーなフレーズが載った帯。本屋に陳列されたマンガは中身が読めないようシュリンクが巻いてあることが多いが、メロンにはたまに見本として読めるようになっているものがある。それを手に取り、第一話を斜め読みしてすぐに購入を決意したのが、

          代替可能性に死を思い、生きる意味を問う。 『夏とレモンとオーバーレイ』

          あの日止まった物語の紡ぐ先へ Horizon Claire / Endorfin.

          とうとうやってきた。僕らのトゥルーエンドへ行こう。 心の奥にしまい込んで見失ってしまったもう一人の僕を探す旅に出よう。 2016年の「Horizon Note」のリリースから4年、半ば宙吊り状態で終わっていた2人の物語の続きを描くアルバム「Horizon Claire」は2020年にリリースされた。私はリアタイ勢ではなく2つのアルバムを同時に買ったので、この4年という時間の長さがどれほどのものなのか想像することしかできないが、本当に待ちわびた作品だと言っていいだろう。

          あの日止まった物語の紡ぐ先へ Horizon Claire / Endorfin.

          分裂した自意識のメリーバッドエンド Horizon Note / Endorfin.

          CDアルバムを買ってきて、初めて曲を聴くとき。私はだいたい、布団の中に頭まで入ってイヤホンをして、体を休めて聴覚だけに集中する。「Horizon Note」を家に迎えたその日も同じように、PCにwav音源として取り込んだものをwalkmanに移して、もそもそ布団にこもって目を閉じたのだった。 作品世界に溶けていった私は、急角度から牙を剥いてきたアルバム構成にざっくり逝かれて海の底に沈んでいった。物語はジャケットからは想像もつかない方角へと展開して静止した。私は目を開けて、こ

          分裂した自意識のメリーバッドエンド Horizon Note / Endorfin.

          走り続けて何も残らなかった心の夜明け 彗星のパラソル / Endorfin.

          Youtubeを徘徊していたら、久しぶりに脳髄からぶっ刺さる曲に出会えた。陽がのぼるすぐ前の窓際のベッドで目を覚まし、外の青白い空を独り見やるような情景が浮かび上がってくる。そんな曲だ。 この曲、Endorfin.の「彗星のパラソル」はぽつりと呟くような囁き声から始まるのだけど、掴みからキレッキレだ。 この歌い出しはすごい。大好き。ただの事実確認に過ぎないのに、語り手がどんな心境なのかが鮮やかに描き出されている。 あてどなく旅する流浪人でもない限り、私たちが寝起きする場

          走り続けて何も残らなかった心の夜明け 彗星のパラソル / Endorfin.

          『まちカドまぞく』リコくんが飄々とした不器用さで親近感を抱かせてくる

          アニメから入った『まちカドまぞく』の原作マンガを最新6巻まで読み終えた。作品全体の構成としてはやはりシャミ子が好きなのだが、私が個人的な親愛のような情を感じるのはリコだ。彼女には独特な孤独の匂いがするのだ。 リコは狐狸精という化け狐で、あすらという喫茶店で調理を担当している。状況に対しての心のブレなさがあって、自分を守ったり長所を発揮できたりするだけの能力があって、柔和な表情。それに加えてアグレッシブさとか空気の読めなさとか図々しさがある。この性格面のスパイスが、日常シーン

          『まちカドまぞく』リコくんが飄々とした不器用さで親近感を抱かせてくる

          もりもり食べる人を見ることの喜び

          おすすめされていた「紲星あかりの休日ご飯!」という動画シリーズを見て、その魅力に取り憑かれてしまった。と同時に、アル中カラカラという人物のことを思い出した。作品と作品を連想で繋げるのは無粋なことかもしれないけれど、彼のエキセントリックすぎる部分がチューニングされて見やすくなっている感じを受ける。 2年くらい前のネットで、アル中カラカラというおじさんの動画が流行していた。彼の動画のフォーマットは、料理をして食べるというごくごく普通の内容なのだが、その中身が色々と強烈だった。

          もりもり食べる人を見ることの喜び

          中身の無さをハイテンションで誤魔化さないでくれ 『目々盛くんには敵わない 2』感想

           先日、約1年ぶりに発刊されたもりこっこ氏の『目々盛くんには敵わない』の続刊を読んだ。このマンガについては、前に1巻を褒めたことがある。しかし、今回の2巻ではその内容面でかなりがっかりしてしまったので、詳しく話していこうと思う。 1巻は良かった 『目々盛くん』は、ある朝目覚めたら突然女の子になっていた元男子(朝おん系TSっ娘)が持ち前のハイテンションな性格で何でも乗り切っちゃうコメディマンガである。  TSモノにおける王道の展開といえば、ある日突然性別の変わってしまった主

          中身の無さをハイテンションで誤魔化さないでくれ 『目々盛くんには敵わない 2』感想

          努力という単語が想起させる報われなさ

          私は、努力という言葉が苦手である。 今までの人生において、自分が「努力」した経験は殆ど無いと思っている。他人から見てどうなのかは知らないが、少なくとも、自分の行いに対してこれは「努力」だったと感じたことは少ない。 こんな風に主張することが、世間においてあまりよろしくないことは知っている。「私は努力ができる人間です!」と言っておいたほうが良いことは間違いないし、何らかの成功体験の理由付けにおいて「余裕でしたね」と言うよりも「いやー努力が実りました」と言ったほうが心象が良い。

          努力という単語が想起させる報われなさ