あの日止まった物語の紡ぐ先へ Horizon Claire / Endorfin.
とうとうやってきた。僕らのトゥルーエンドへ行こう。
心の奥にしまい込んで見失ってしまったもう一人の僕を探す旅に出よう。
2016年の「Horizon Note」のリリースから4年、半ば宙吊り状態で終わっていた2人の物語の続きを描くアルバム「Horizon Claire」は2020年にリリースされた。私はリアタイ勢ではなく2つのアルバムを同時に買ったので、この4年という時間の長さがどれほどのものなのか想像することしかできないが、本当に待ちわびた作品だと言っていいだろう。
今回は気に入った曲をいくつかピックアップして紹介していくことにする。
なお、このアルバムもまた全曲Youtubeで無料で聴くことができる。気に入ったら買ってね。
残光
プロローグとなる語りかけの一曲。初見だとそれほど印象に残らないが、何十回とアルバムをループしていくうち、この曲の帰ってきた感というか、落ち着く感じが身に沁みるようになる。
この物語における「君」とは、社会で上手くやっていくために心の奥にしまい込んだもう一人の自分のことだ。世の中の周りの人の流れに逆らうことなく歩きながら、実は心のどこかで君を探している。
季節は巡り、「変わってしまったのはこの場所か、それとも」僕のほうか。
ミントブルー・ガール
本編1曲目。イントロからブチ上がり間違いなしの軽やかなつよつよサウンドがお出迎え。めちゃくちゃ乗りやすい音色に、リズムの独特の浮遊感が爽やかな切なさを演出している。
このアルバムは全体的に歌詞のパンチラインが良い。言葉選びが巧みで惚れ惚れする。
「炭酸の海に漬け込んだように刺激的な世界」。めちゃくちゃいい。世界全体をシュワシュワの炭酸で満たすという発想。その刺激は、炭酸飲料を飲んだとき爽快な心地よさでもあり、世界を満たすほどの過剰さの中では一気飲みのような息苦しさでもある。
そんな世界で誰もまだ知らないこと、それは自分自身の心の奥ではないだろうか。胸の奥に潜めている心の内部を暴くことは、自身のネガティブな面をあらわにすることに他ならない。だから「綺麗なままで終わりたい」という反実仮想的な語り口になる、つまり綺麗なままでいられると思っていないのである。
ラスサビは、1番サビと同じ歌詞を転調させている。がしかしそれだけではなく、「帆風にこの身預けたら」からボーカルの音程を今までと変えることで、あたかも2度目の転調のような不思議な浮遊感がプラスされている。
ノリやすいのにふわふわする、なんとも絶妙な曲である。
floating outsider
漂う部外者。社会のメインストリームに乗れない者たちの心にあいた空白。世間に馴染めないなりに頑張って馴染もうとするけれど、やっぱり苦しい。でも個を消して心から染まればいつかなんとかなるんじゃないか? そんなありえない希望のありえなさに目を背けながら独りごちる消極的な歌だ。
やっぱり歌詞が良い。「誰かの目を伺ってまた言葉を塗り替えた」とか「支配的な日常からいつもズレていく」とか「肺の重さで潰れてしまいそう」とか。社会の立派な構成員という風に心からなれなかったが故の、やり過ごしや、孤独や、息苦しさが表現されている。
一番気に入っているのはこの2番サビのフレーズだ。汚れた水槽に入れられた魚のような息苦しさ、つまり生きづらさを「僕」は感じている。社会という水槽に上手く溶け込めない僕だけが周囲から「浮いている」のだ。恐ろしく上手な比喩を、恐ろしく簡潔に圧縮した歌詞である。これをボーカルがまたさらりと歌い上げるのだ。
でもやっぱり、自分の中の何かを殺して生きるのは持続性が無い。それ以外に生きる道が無いのならば仕方のないことだが、それではなんのために生きているのか自分に確信が持てなくなってしまう。だから最終的には、この方角の舵取りは捨てねばならない。
彗星のパラソル
前に記事ひとつ割いて紹介した神曲だ。最終曲「Horizon Claire」での飛翔に向けた助走をつける役割を持っている。
Horizon Claire
表題曲にして、アルバム最終曲。イントロのピアノの音がもう良くて、私はこういう赦される感やハッピーエンドが始まる感のある弾き始めに弱い。
爽やかなサウンドに導かれて、離れ離れになっていたふたつの自意識が再び出会い、統合する。
分裂した意識には、社会に過適合した表の私と、社会に馴染めず海の底に沈んでいった裏の私があった。これは、裏の私の言葉だ。
小宇宙という、人間の内面をひとつの宇宙に例えたフレーズを出すことで、この物語が一人の心の中で起きている出来事であることを再確認している。
この曲の一番美味しいところといったら、なんと言ってもCメロだ。
何が良いって、この長い物語を始めた「Horizon Note」のイントロの特徴的なメロディが、移調されて伴奏に入っているのだ。「いつかの音」は明らかに同曲のことを指しているし、「ふわり」は同曲のキーワードだ。「いつか『のおと』」と「Horizon 『のおと』」で音を被せている点も巧みである。
「Horizon Note」というアルバムは、メリーバッドエンドのような終わり方をしていた。それは未解決事件のように、ある種の「呪い」として心の中に残り続けていた。いつまでも、その旋律が解きほぐされるのを待っていた。
ラスサビの「踏み出したら」で1番2番サビと異なるcoda部に入る。「そうしたら」の高音のカタルシスがヤバい。音符運びが気持ち良すぎる。
自我の分裂したままでは、自分の人生を前に進めることができない。あの日止まってしまった「私」の物語は、こうして再び時計の針を動かすことができるようになったのだった。
心の奥に押し込めていた思いを自分自身が認め、二人はひとつになって、幸福への道を歩みだした。
最後に注目したいのは、このラストの歌詞「あの日止まった物語の紡ぐ先へ」の伴奏だ。ここでもまた「Horizon Note」のキーメロディが、今度は同じ調で聞こえる。こうして、ふたつのアルバムはひとつに繋がり、リピート再生の手は自然と「Horizon Note」のほうへと伸びていくというわけだ。
3本に分けて追いかけてきたひとつの物語も、これで終わり。
実は、この感想記事を書き上げるまで他の Endorfin. のアルバムを聴かない縛りをしていた。とても自分に刺さるアーティストなので、他の曲も聴いてみようと思う。
それでは、また。
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