恋愛は嗜好品
金曜日は大概飲み過ぎる。
仕事をちょうどひと段落させるのを
世間にならって金曜日に設定しているので
やりきった感と1週間の疲れを持て余して
とりあえず酒を煽る今日この頃だ。
独り身だった頃なら
浮き足立って夜遊びに耽っていただろう。
こんな夜は恋愛について考える。
いつもながら、
自分の恋愛観や人生観を考えるのが好きだ。
もっぱら最近のテーマは常々
恋愛観、セクシャリティ、LGBTQなどなどだし。
アラサーのおれ!
立派なフェミおばさんに成長した!
ふと思い出す。
うら若き高校生だったわたしは、
「恋愛は嗜好品」
そう断言して、胸に刻んでいた。
その認識はつまり、
恋愛はあったらそれはそれで楽しいし
ハマったりもするけれど、
生きる上では必需品ではないということだ。
我ながら偏屈で
斜に構えたJKだったと思う。
当時は未確定な将来や進路を抱えて
恋愛などに左右されている場合ではないと
そう思っていて、
それは今考えても
なかなかに妥当ではないかと思う。
なのにオトナと呼ばれる年齢になったら
突如として
恋愛至上主義、
恋愛を軸として
人生を変えねばならない事態に
直面したりして大混乱だ。
つまり恋愛の延長線上に
結婚があり妊娠があり出産があること。
それによって
人生設計が180度変わってしまうこと。
(これは主に女性に
よく課せられる課題であるし
現実問題、女性であることで
変化することを
物理的に余儀なくされるし
社会からも求められる。)
それまで、
恋愛なんぞにかまけてないで
勉強して、
良き大学に行き、
良き進路を見出せと言われてきたのに、
オトナになったら突如として
結婚だの出産だの
恋愛から産まれる何某に従って生きろ、
そんなこと言われたってふざけんな、
である。
だが実際、
わたしは妊娠出産を経験しているから
思い描いていたキャリアを
(これといった素晴らしいキャリアは
なかったが、それでも
わたしなりのプランはあった。)
一旦全て手放さざるを得なかった。
妊娠した当初、
苦楽を共にしてきた先輩に
「わたしにはもうできない、
40歳くらいになったら
まあ夢を再開しようかと思う」
そう言ったらしく、
彼はものすごく落胆したと
後に聞かされた。
それでも
わたしはなんとか模索して
20代ギリギリ前半から
夢の続きを泳ぎ出し今に至るわけだが、
あの時、
「わたしのキャリアは
全て終わってしまった」
そう思うくらい
どうしようもなく、
太刀打ちできない(ように見えるし、実際そうだった)
巨大な壁にぶち当たったことは
本当だし、
それをなかったことに、見えないことに、
したくない。
「恋愛は嗜好品」
そう思っておきながら、
わたしはやっぱり、
恋愛に付随する
結婚妊娠出産で、
人生の舵を大きく切らざるを得なかったのだ。
男性である先輩には
多分、分からなかったのだろう。
我々の人生がそれらによって
どれだけ大きく覆されてしまうのか。
そのジェンダーギャップが憎い。
そうなってくると
紆余曲折、
結婚して妊娠して出産して離婚したわたしには
改めて
「恋愛は嗜好品」
この言葉が、心に勝手に突き刺さる。
JKのわたし、
真理を得てるよ、賢いじゃんって。
(それの良い悪いは差し置いて)
恋愛や結婚のために
キャリアを捨てるのは
現代社会において
往々にして女性であるが、
そんな事のために
我々のキャリアを、実績を、
捨ててもいいものか?
物凄く問いたくなってしまう。
勿論、各々に
いろんな考え方があるだろうが
正直言って
オトコは裏切るが、
キャリアや実績、積んできた経験値は
絶対に裏切らないのだ。
どちらが価値があるか…。
今のところわたしには
恋愛よりもキャリアのほうが
余程価値があるように思える。
だから詰まるところ結局、
恋愛で人生を左右されたくないし
誰かに依存したくないし
自分の人生の舵は自分が持っていたい。
そう思うと、やっぱりどうしても
「恋愛は嗜好品」なのだ。
君に全ては開示できない。
わたしはわたしの人生の舵を
自分で握っていたいから。
嗜好品。
それ以上でもそれ以下でもない。
そう思ってないと自分がグラつくのだ。
なんかそれってすごく冷たいことだ。
そんな恐怖心を凌駕するくらいの愛は
私の中にあるんだろうか。
そもそも愛することと
依存することの違いは何処に?
そればかりは
いくら考えてもわからない。