【ドラマ 恋をするなら二度目が上等】最終回後、崇について考えたあれこれ
人のこころが動く瞬間を見せてくれるドラマが大好きです。
過去にXに投稿した感想postを整理して載せていきたいと思います。
もとがXのpostで、短文を連ねる形だったので、noteにしたら読みづらくなっているかもしれません。ごめんなさい。
ドラマ『恋をするなら二度目が上等」最終回を終えてから(けっこう時間が経ってからのものもある)ぽつぽつと考えたpost達です。
お洒落な身なり、上品な物腰、感じがよく底を見せない振舞い、夜景、ホテル上階のバー、間接照明、モノトーンの部屋。
「都会っぽさ」の象徴のような岩永先生は、因習と噂話の田舎から離れよう離れようともがいていたのか。
一度正面から向き合って、やっと本当に自由になれたのだけれど、それは今だからこそできたことで。
時が癒したもの、自己の確立、固めた足場、そして宮田くんとの再会。すべてかみ合った奇跡のような巡り合わせに、よかったね、よかったねと2万回ぐらい言いたい。
母親と話す岩永先生の語尾が揺れる。
おかあさん。おかあさん。
親子の会話に、突然他人行儀な敬語。
「ある意味では感謝してるんですよ」
それはまるで、自分はもう大人でここから独立した存在だという通告のようで。
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そしてまた親子に戻る。
自分を責められても表情を動かさなかった母親が、我が子がずっと自分を隠して生きてきたと知った時には苦しげに下を向いた。
だって親子だもの。
この人も母親なんだもの。
2/3
この母子の結末が、
「戦って言い負かして家を出る」
とかにならなくてよかった。
この母子にも、会わなかった時間を少しずつ埋めていくような、そんな時がやってきたらいいな。もっと先でもいいから。
3/3
高校時代のただ一度のキスは、崇少年が桟橋で泣いていたより後の出来事なのかな?
だとしたら。
この恋によって世間から受ける痛みを、崇は知っていて、宮田くんは分かっていなかったのか。「どうして謝るんですか?」ってなるよね。宮田くんには嬉しいだけだもの。
だったら「ごめんね」の意味がすっごく重くなっちゃうじゃない。
えー!そういうこと?自分からキスをした星澤先輩の背負ってるものが重い。
最終回までいってから前に戻ると、見えるものが違うなー。ちょっと呆然。
え?そしたら大人宮田くんの
「好きなら謝んな」も。
もう大人だからこの恋の意味も分かる。どういう問題が起こるのかも。(だからこそためらっている)
でも分かった上で踏み込んでくるなら、もう中途半端に謝ったりするなってこと?
この時点でもう、後戻りできないところまで来ちゃってる。
「ところでさぁ。あの日」「なんで来なかったの?」
第一話で、微笑みながら上目遣いに相手の目を覗きこんでいるところで、わたしは岩永先生(と呂敏さん)に恋をしたんだなぁ。なんてチャーミング!
でも「深刻な話を、深刻でない顔で相手に伝える」というのが、彼の身につけた「世の中を渡る知恵」だとしたら、それはとても悲しいことだなぁ。
そんな経緯を考えても、やはりどうしようもなくチャーミング。出会ってしまったら、好きになってしまう。