シンプルに疲れた人のためのクラシックプレイリスト#2
秋風吹き荒ぶ今日この頃、師走に向かって忙しさも増していき、「あ~もう何もしたくない!!来世は絶対ドバイの大富豪宅にある観葉植物とかになって念願の一生直立不動生活を送ってやるからな!!」と固い意志の下に宣言してしまうような方も多いでしょう(そんな奴いねえよ)。
今回もそんなシュールな転生願望を抱いてしまうほど干涸らびかけている方々の心の渇きを潤すべく、筆者セレクトの癒やしクラシック音楽をご紹介致します。
ラフマニノフ/『14の歌曲 Op.34 第14曲 ヴォカリーズ』
ラフマニノフは甘美な響きを感じさせる曲が多いが、このヴォカリーズに関しては甘美さだけでなく儚げな哀愁をも感じさせる。
僕がこの曲を聴いて思い浮かべる情景は11月の人気のない公園、ベンチに一人孤独に座ってるキューティクル死滅おじさん、落ち葉を撫でるようにして吹く木枯らし、といったところか。絶対おじさんじゃなくて可憐な少女とかの方が画的に良いけどな。でもキューティクル死滅おじさんとかじゃないとこの曲にあるような悲哀感が出せないじゃんか。
シベリウス/『悲しきワルツ』
フィンランドの巨匠、シベリウス。シベリウスってなんか星座の名前っぽくないか?もしかして世紀の大発見の糸口掴んでしまったか?と思ったが、ただ既存の星「シリウス」に引っ張られすぎてるだけだった。まあそんなことはどうでもいいとして、この「悲しきワルツ」は死をテーマにした曲であるらしく、序盤の方は厳粛な雰囲気があるのだが、中盤にかけてはだんだんとドラマティックな美しさが現れてくるようなメロディーとなっている。労働で疲弊しきった後に聴いてるとうっかりそのまま天に召されそうになる、そんな曲です。
マスネ/『タイスの瞑想曲』
言わずと知れたタイスの瞑想曲。この『シンプルに疲れた人のためのクラシックプレイリスト』は筆者の嗜好故に図らずも悲哀な曲調のものが多くなってしまっている気がするので、時にはこういう優美さだけを純真に感じとれるようなものも必要だろうという余計な配慮によりラインアップに追加。しなやかに響くヴァイオリンの音色が澱みきった精神を浄化してくれる。そういや最近アップルウォッチで瞑想(マインドフルネス)やってないの思い出した、この曲流しながら再開しよう。
モーツァルト/『ピアノ協奏曲第23番 イ長調 第2楽章』
あくまで個人的な所感だがモーツァルトの曲は良くも悪くも全体的に軽いものが多いので(対照的にベートーヴェンは重い)、その特性上疲れた時にはストレスフリーで聴ける。
実は筆者は音楽性としてはベートーヴェンの方が好みなのだが、ベートーヴェンは聴くと更に体力消耗したような気分になってしまうのでなんか疲れた人向けでない気がするんだよな。
……とか何とか言って、本当はモーツァルトのことも同じぐらい好きなんだろ?いつもの天邪鬼が発動して素直になれないだけなんだよな、俺は知ってるぜ。モーツァルトの曲は確かにシンプルでわかりやすいから万人に好かれやすいよな。お前から見たら八方美人的な感じに見えてるのかもしれねぇよ。でもな、その裏には深淵を感じさせるエッセンスが確固として存在してるんだ、人生の苦悩ってヤツを極限まで経験しないと出せない妙味ってモンがあんのさ。よくオリンピックとかで体操選手が人間業とは思えないような技ポンポン繰り出すだろ、アレ、いとも簡単にやってるように見えるけどその技が出来るようになるまでには常人では想像も付かぬような数の失敗を繰り返してんだよ、モーツァルトの曲もそれと一緒だ。シンプルなようで奥深い、この曲も例に漏れずそうさ、そのことを肌で直感的に感じ取ってるからお前もこの曲を聴かずにはいられないんだろ?(この前の旅行記といい、いちいち寸劇めかさないと文章書けないのか)
ブラームス/『交響曲第3番 ヘ長調 Op.90 第3楽章』
この曲が醸し出す雰囲気の「冬の寒空」感ハンパじゃなくないか?
僕がこの曲を聴いて思い浮かべる情景はクリスマス、新宿の都庁近くにあるそこそこ広い公園、そこでキャッチボールをしてる仲睦まじい親子、そしてそれをベンチに座りながら眺めてるキューティクルが死滅したおじさん、そのおじさんの毛髪が抜け落ち、風に吹かれてキャッチボールをする親子の間にひらりと舞い落ちる、ハッハッハ、おじさんからのささやかなクリスマスプレゼントだよ坊や、もしもし警察ですか、あの、新宿の某公園に自身の毛髪をクリスマスプレゼントと称してウチの子に与えてくる不審人物がいるんですが、いいかショウヘイ、あのおじさんは身をもってこんな大人にはなるなよと間接的に教えてくれたんだ、その教訓自体があのおじさんからのクリスマスプレゼントなんだよ、そんな毛髪拾わずに捨てなさい、一寸の毛にも五分の魂なんて諺この世に存在しないんだからね、ほらさっさと捨てなさい、もうまったく…………そう、この時の少年こそが後の大谷翔平であり、この時彼に後生大事に拾われた毛髪の生まれ変わりこそがあのデコピンなのだ。
というのは真っ赤な嘘であり、もう途中からブラームスというかクラシック音楽すら関係なくなってるし『疲れた人のためのクラシックプレイリスト』を紹介してる人間の脳が一番疲弊しきって使い物にならなくなってるじゃないかという元も子もないオチがついたところで今回は締めさせていただく。
読者諸賢の皆様も各々自由にクラシック音楽を聴いて想像を膨らませてみては如何でしょうか。ではまた次回。
つづく