【私】と【自分】は別の人!やりたいことが見つかる哲学的・仏教的な考え
現代社会では、「自分」と「私」という言葉は、一人称としてほぼ同義に使われています。
しかし、「私」が単に個人を指すのに対して、「自分」には深い意味が含まれています。
「自分」とは「自らの分」と書きますが、この「分」は儒教の教えに基づき、「全ての物や人に対する、個々の正しい位置」を意味します。
「自分探し」とは、「自らの正しい位置を探す」こと、つまり「自分がどんな人間になりたいか」を見つけることです。
仏教では「私」という感覚や「自分としては」「個人的に」といった考え方は、"自我"や"自分だけの価値観"に執着している状態に過ぎないとされています。この考え方を学べるのが「諸法無我」です。
成功者たちの例を見てみましょう。
松下幸之助さんや本田宗一郎さんは、手段や方法に囚われず、自分がどんな人間であるべきか徹底的に考え成功を収めました。
彼らの情熱や考え方、人格が協力者を引き寄せ、新しい発想を生み出し、絶対諦めずに続けることで知恵と工夫が生まれ、それが技術や知恵となっていったのです。
このように、どんな仕事をしていても、全力で取り組むことで自分の正しい位置を見つけることができます。
相談者たちとの会話で、多くの人が「やりたいことが見つからない」と言います。
しかし、やりたいことが明確にない場合でも、目の前のことを全力で行うことで、自分の本当の正しい位置を見つけることができます。
私も独立当初はフルコミッションのセールスマンとして毎日営業していましたが、日本一を獲得し、起業し、さらに大学への道も歩み始めることになりました。このキャリアの変遷は一見繋がらないように見えますが、それぞれの経験がリンクし、今の私を支えています。
これは「自分の本当の正しい位置」を見つける第一歩です。
少しうまくいかないだけで他に移るのではなく、目の前の仕事に全力で取り組むことが重要です。地味な仕事でも、きつい仕事でも、学べることはたくさんあります。
そうした「自らの正しい位置」を見つけることが、「自分探し」の本質なのです。
「自分」と「私」の違いを理解することで、より深い自己理解が可能となり、自分の人生を豊かにする一助となるでしょう。
では、また次回♪