無意味なこの世界で
無意味に生きることができるか。
アナザーストーリーで三島由紀夫のことが取り上げられていた。彼の知り合いの雑誌記者の人がいっていたが、「彼は静かに老いることができなかった」といっていた。前にみたALSの人が「自分が何もわからない状態になってしまう前に死にたい」とスイスに渡って尊厳死するのを追ったドキュメンタリーを見た時にもおもったけれども、動物的に考えると「生きて」「死ぬ」それだけのことに「意味」を求めたい気持ちがどうしても出てくるのが私たちなんだなと思う。
「生きて」「生きるために稼いで」「死ぬ」それだけで満足できない。
かくゆう私も専門性を持ちたいとかずっと思っている。この話題ならずっと話していられるくらい好きとか、ここならずっと話せるだけの専門性があるとかそういうものをずっと探している。何もかも中途半端な自分に嫌気が差してきたんだと思う。
まぁ折角だから、この気持ちの冷めないうちに学びを始めてみたけど。人によったら、私が何故今更リカレント教育するのか、資格を取ったりしたいのか理解できないと思う。
三浦綾子が本で確か「戦争中、私は教え子にお国のために死になさいと教えてた。戦争が終わって教科書を黒塗りしながら私は教え子に何てことをしたのだと思った」みたいなこと言ってた。
社会ほど不確かなものはない。
不確かな世界でそこそこ幸せに生きたい。
その幸せが自分にとっては、意味をもって生きることなのかな。