無意味に生きることができるか。 アナザーストーリーで三島由紀夫のことが取り上げられていた。彼の知り合いの雑誌記者の人がいっていたが、「彼は静かに老いることができなかった」といっていた。前にみたALSの人が「自分が何もわからない状態になってしまう前に死にたい」とスイスに渡って尊厳死するのを追ったドキュメンタリーを見た時にもおもったけれども、動物的に考えると「生きて」「死ぬ」それだけのことに「意味」を求めたい気持ちがどうしても出てくるのが私たちなんだなと思う。 「生きて」「
人間自分に集中しすぎると逆に苦しいんだなって最近思う。 推しとか、自分以外の人間に集中したい。 それがある人には旦那であり、こどもであるかもしれない。 自分以外に応援したくなる人がいたり、夢中になれることをたくさん持ってると楽しい。わたしはあんまり推しとかが無いから、苦しいのかもしれないな。 怒りや悲しみが、年を追うごとに持続しなくなってきてるのも、段々と自分という存在に慣れてきたり、ほかに夢中になれることが増えるからかも。 「自分の感受性くらい 自分で守れ馬鹿者よ」とい
休日には窓を全開にする。むっとした空気と耳をつんざかんばかりのセミの声が聞こえる。 自己肯定感を高めるために、今年もまたチャレンジしている。 今年は、通信制大学で学んでいる。 仕事と両立だと意外と忙しい。 やれる限りやって、淡々と。 苦しい時には考えない方が良い。 淡々とやるべきことをやる。暇がなくなると考えなくても良くなる。 来年の目標も一応決めている。 変化の激しい時代になったと思う。 でも、今、手の中にあるものを大切に。 積み重ねたい。
ずっと、生きにくいと思っている。今まで楽しいこともあったし、嬉しいこともあった。 恵まれてることもあるし、自分でそのためにも努力してきた。それでも、いつも胸にモヤモヤしたものがある。 昨日、学生の頃に一際優秀で目立ってた人たちを調べたらやっぱりとても立派になっていた。好きなこととは言え、多分たくさん研鑽を積んで周りが無難な道を選んだなかで、将来の確約もない切実で孤独で険しい道だったろう。 私は彼ほど自らの可能性を信じきれなかった。だから、無難な道を選んだ。 緑黄色社
「ヘルシンキ 生活の練習」を読んだ。 とても面白かった。 フィンランドには空港の乗り継ぎでだけ降り立ったことがある。 素敵な空港だったけれど、その時の印象としては、人はそれほど優しいという印象はなかった。 空港のムーミンショップに寄った際に、前に同じツアーに参加した日本人のおばさまが辿々しい英語を話していたが、ショップ店員は明らかに「英語も喋れないやつが来るな」という態度であった。また、その後に来た別の外国人にその事を明らかに愚痴っていた。 外国に行くと良くも悪くも
休日になった。 まずすることは、部屋の換気。寝室やキッチン、風呂、トイレは必ず休日に換気する。 風がめぐると、自分も元気になるような気がする。 桜が咲いたのがこの間と思っていたのに、いつの間にか散って鶯が鳴いている。 すべてがめぐっていく。 友情というのも、まためぐっていくもののようだ。 長いことずっと友達でいれる人もなかにはいるのかもしれないけど、だんだんと疎遠になる人がいる。 自分は案外寂しがりで、自分でも嫌なのだけれども一人だけで悩みを抱え込むと壊れそうになると
怨憎会苦とは簡単にいうと恨み憎むものにも会わなければならない苦しみのことで仏教で説く八苦のひとつ。 昔からの苦しみにも挙げられているように、人付き合いって本当に悩みの多い問題だと思う。 私も人づきあいには苦労してきた。いまだにどうしたら人といい関係が紡いでいけるのかそれははっきりとした答えはでていない。失敗したときも自分が悪いと思える時はまだいいが何が原因かわからないときもある。こういったなかでも、利害関係ある人間関係では多分そうだなと思うことがいくつかある。
今日は私の人生で自分がのびのび過ごせるために必要なことをあげようと思う。 第一に、自由であること。私には、時間の自由と経済的自由と場所の自由がそれぞれ必要だ。行き詰まりを感じやすい自分にとって、日常から場所を変えたり、時間とってあえて気分を変えることは必要だと思っている。そのための資金くらいは稼ぎたい。多分これが人によっては「推し」であったり、テーマパークだったりするのだと思う。言わば「非日常」というものだ。 第二に、繋がりがあること。第一の自由に過ごせないことは人
昔はもっと単純に世界は優しいと思っていた。ケーキ屋さんとかそういう職業で生きていけるのかなって思っていた。だんだんと、そこまで単純ではないなぁとなんとなくわかり出した。適性やら望む生活やら考えるとその選択肢をとることはできなかった。今に至るまで楽しいこと、嬉しいこともたくさんあったけれども、同時にうまくいかないこともあった。個人的には自分の人生はこれ以上は望まない。望めなくなってきた。現実を知ったということかもしれないけれども、自分が何をしたいか、よくわからなくなってきたの
年上の人と話すのが好きだ。なぜなら、私はいつも自分の望む生き方がわからないから。 私はもともと、多分小学校くらいの時には、仕事だけして生きていこうと思っていた。家庭を作りたいという夢はなかったと思う。高校の時くらいにはなんとなく仕事をしつつ、子どもがいてもいいかもと思っていた。でも特に実は深く考えていなかった。それより今は目の前のことをしていくことが大切だと思っていたから。そうやって、社会人になって驚いたのは、その多様性だと思う。いろんな生き方をしている人がいて、子のい
遅くなりつつ、津田梅子のドラマ見た。 なんだろう、今の日本女性とももちろん当時ほどの厳しさはないかもしれないけれども、いまだに重なる部分もあったかと思う。内容は当時の北海道開拓使の黒田清隆ら中心となって編成された女子留学生制度に参加した女子たちのドラマである。なかでも津田梅子、瓜生繁子、山川捨松にスポットライトがあてられていた。 国に恩返しがしたいと切望しながらもその国に自らの女性というアイデンティティで認められず、失望しながら海外で活路を見出した津田梅子。 自分のアイ
「自負と偏見」 ジェイン・オースティン ある種の年齢を経て、恋愛をするとき、それは感情や情熱だけでつっぱしっていくことはできなくなる。ちょっとした打算が絡むのはどうしようもない。この作品は、そういった恋愛の情熱、打算、結婚ともなると絡まざる得ない親との付き合いなど、何年もかかっても変わらない部分が見事に描かれている。 結婚にともなうステータス変化への虚栄心、無意識の他者へのおごりなど今でもありふれた話だ。 登場人物も、自分のステータスのことしか考えない母、母や下の娘を馬鹿
「スタンフォードの自分を変える教室」ケニー・マクゴニガル 意志力の授業記録。 やり遂げようと思っても気が散ったり、三日坊主になったりしたことがある。そういう時、意志力が足りないからだとか、自分はダメだとか思ってた気がする。 この本は人間のそうした本能的な部分を否定せずに、意志力を有効に使うことの示唆を与えてくれる。 環境や、仕組みをうまくつくり、自分を導いていく方法、これはどんなことにも必要となる。 作者はこの本で自ら実験してほしいという。わたしたちも実験し、自分を変えてゆ
「たゆたえども沈まず」原田 マハ ゴッホ兄弟と日本人画商のお話。 でも、それだけじゃない。 圧倒的な熱量でもって、人間の内包する苦しみと、絆とを描き切った。 私は、ゴッホの絵でもともと星月夜が1番好きだったけど、この本を読んでより好きになった。 作中特に私が心動かされたところは、フィンセントが糸杉に惹かれていくところだ。わたしも杉と言う木が好きだ。真っ直ぐにすっくと立っていて、雪や雨などにも時に枝木を曲げながらも折れないその姿が。 自分で自分がコントロールできないと言うのは
あの子は貴族 山内 マリコ いったいどうすれば自分は幸せになれるのかということを誰も教えてはくれない。 それは個人個人違うから。 何かしら仕事なり、勉強なりで目標をもって達成していくときは、いつも、自分の手を伸ばせば届く自分のほしいものは何かということを明確化していくことが大事だと思う。 美紀はそういう意味で、幸一郎とは世界が違うという手を伸ばしても決して届かないところではなく、自分の性格にあった手を伸ばしたら届く自分のほしいものを求めて幸せになった気がする。 対して、