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芸術の鑑賞という行為について【基礎教養部】

芸術作品に対する鑑賞とは、つまるところ言語化に尽きると考える。どのような作品であれ、そこには製作者の意図や思想が必ず存在している。芸術作日の鑑賞とは、その意図や思想を受け取り、解釈し、自らの思考を動かすコミュニケーション行為である。

私は、2年ほど前から大学の同回生と複数の分析手法を用いてアニメの分析を行い、その結果をまとめた同人誌を執筆している。用いる手法の例としては、カメラ配置などの映像構成、また映像中の心理描写である。分析対象となる作品としては、「リコリス・リコイル」、そして「葬送のフリーレン」であった。

普段は何気なく鑑賞し受容しているアニメ作品ではあるが、一旦「分析する」という行為を前提として鑑賞してみると、様々な事柄に気づく。例えば映像構成について述べると、映る対象が威圧感を持っていることを視聴者に与えることを制作側(実際は絵コンテを担当する人物を指すが、広く制作者側とする)が意図したい場合、その対象は上向きのカメラで映されることが多い。映る対象は弱々しいという印象を与えたい場合、その逆となる。また、いわゆる「見せ場」となるシーンでは作画枚数が多くなるなど制作側が入れる力は大きくなる。映像上に現れる心理描写についても、登場人物たちの関係性が変化していくにつれ段々と遷移していく。
これらの要素に気づくことが出来るようになると、より「深く」作品を鑑賞、つまりは制作者側と作品を通す形でよりコミュニケーションが取りうる。

もちろん、これは「深い」コミニュケーションを取らなければならないという言説ではなく、作品という文脈に対しても人間どうしと同じように「深い」コミュニケーションが成立しうるというものである。人との会話にも何気ないもの、抜き差しならないもの、切羽詰まったものがあるのと同じように、作品鑑賞でも無心で見るもの、意識して見るもののそれぞれが存在するというわけである。

この「意識して作品を見る」という姿勢は、実は作品を制作する時こそ有効なものである。何かしら人の心を動かしたい作品を作りたい場合、その際に必要なのは「今まで、自分がある作品に対しどの要素に対し感動したのか」を言語化し、体系だてた知見である。もちろん、莫大な作品鑑賞、作品制作経験から無意識に体系化してしまいそれを自由に振るえる人は別であるが、一般的には感動した要素を言語化し、それぞれを道具だてした方が見通しは立てやすいだろう。

ChatGPTやStable Diffusionなど生成AIが隆盛を誇りつつあり、あらゆる人に「創作」の門戸が開かれたように思われる今日では、特にこの「鑑賞体験の言語化」を行った経験が重要であると考える。生成AIでは、インターフェースとして基本的に自然言語を用いるため、より優れた、人の琴線に触れるような作品を生成しようとした場合どうしても自然言語にて出力を微調整する必要が生じてくる。もちろん、ユーザ傾向などからある程度はサービス側も忖度してくれはするが、「自らがどのような作品を作りたいか」を理解しているのは己自身しかいないのである。「汝自身を知れ」とまで高尚な言説を引用しはしないが、自らが感動した作品について、どのような要素に注目したか、意識的にならねば少なくとも自分が心動かされるような作品を生成AIを用いて制作することは難しいであろう。

この、「対象について意識的に視る」という芸術作品への鑑賞行為に関して重要な姿勢は、例えばプログラミングや数学など何らかの問題を解くという営みにおいても重要である。自らが実装したいコードの要件を整理しなければ、どのような手法を用いる場合でも実現はされえないであろう。数学においても、自分が今解けなかった問題について、どのような原因が存在して解けなかったのか整理しなければまた同じ用な失敗を犯すであろう(この境地に、現役受験生の時に至っていればどれほど良かったか…)

思うに、中学、高校などで芸術科目が存在しているのは、この「鑑賞」という行為を少しでも意識付けして行える素養を身につける訓練のためだろう。中学時代の音楽においても、スメタナの「モルダウ」などを聞きどのような感情を抱いたのか書き下してみるという内容があった記憶がある。(ちなみに、私の出身中学は公立であったが、地方都市内におけるドーナツ化が進んだ中枢部近くに立地していたこともあり人数はかなり少なく、特殊な事例ではあると思う)

ただ、私自身も十分な「鑑賞」経験を積めたといえるコンテンツはアニメくらいしか思いつかない。もちろん、アニメも様々な即面を含んでおり十分総合芸術足り得るが、音樂、文学、映画など他のメディアに着いてももっと深く「鑑賞」していきたいと強く感じる。幸ながら、自分自身あと3年ほどは学生の身分を続けられそうだし、それぞれに知見を有する友人も多い。今という瞬間よりもこの先「鑑賞」経験を積むには適当な時間はないであろう。この記事を気に、よりその意識を強くした次第である。

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