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「友だち地獄」書評〜とはいえ15年前の本だよね

『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバル』は、同じコミュニティのメンバーであるイスツクエさんに紹介していただいた本である。イスツクエさんによる書評およびNote記事は以下を参照


まず,この本は15年前(2008年出版)と,若者文化論を扱う本としては少々古めかしいものと言わざるを得ない.15年前と今とは社会情勢もそれを支える技術,サービスも大きく変化した.iPhoneに代表されるスマートフォンの登場,そしてTwitterやInstagramといったSNSの普及は言うまでもないだろう.15年前はかのリーマン・ショック前とはいえワーキング・プア問題や派遣切りなど若い人など弱い社会的立場にある人を使い捨てるような雇用体制がまだ幅を利かせており,企業は一円でもコストを下げ,安く売ることを至上命題としていた.かたや,今日では(高々2~3%と諸外国と比べ遥かにマシな数字であるとはいえ)物価高対策が叫ばれており,人手不足で倒産してしまう企業もあるくらいである.身近なところでも,居住している滋賀県大津市におけるコンビニやファミレスが募集しているバイトの時給は,ほぼほぼ1000円を上回っている.15〜10年前などそれこそリーマン・ショックが発生し,毎年のように内閣総理大臣が代わるし東日本大震災も起こるしえらいこっちゃな時代だったなとしかぼんやりとした記憶がないが,やはり時代は変わりゆくものなのである.

この前,サークルの先輩と話に登ったのだが,2020年代はコロナ禍,あるいはウクライナ問題やパレスチナ問題など国際情勢は激しく変化しているものの,日本国内に限っては概ね明るい雰囲気ではないのかと一致を見ている.と言うよりも,一周回ってなんか色々諦めがつき,好きにやればいいじゃんという一種の覚悟を決めたのではないかという議論になった.これは,例えば前までは形式や様式を守っているように見えた紅白歌合戦にアニメなどで名を馳せたアーティストが登場していること,何より「オタク」という本書が出版された当時では蔑笑と共に言われていたであろう言葉がもはや市民権を得てしまったこともその表れだと思う.SNSなどを通じて,各人が「推し」を誰にも邪魔されずに見つけ出しそれを応援できるシステムが構築されてしまった.また,「推し」を共有しているものどうしがつながり,「推す」気持ちを共感し高めあい,あまつさえ自分が対象に持つ「推し」の感情を金銭にて表現する場合もある.一昔前,それこそ本書が出版された15年前において,「推し」に類する言葉としては「〇〇は俺の嫁/妹」など強く男性性が固着したものが強力であった.しかしながら,その強いジェンダーバイアスは反面対象へ参与する意志を感じるが,「推し」と言う漂白された表現からは,対象とあくまで一線を引くような意志が見受けられる.ただ,それが故に現在における「推し」文脈のように他人との衝突があまり発生し得ない形式を産んでいるのであろう.このように,本書で提唱されているような他者への配慮に満ちた「優しさ」は,他者を気にせず自己の領域にて満足すると言う「優しさ」にある側面では転換したのではないかと思う.筑波大学准教授,落合陽一氏が言っていた「みんな違ってみんなどうでもいい」という状態が,少なくともコンテンツ,サブカルチャーの文脈では成立しているのではないか.

本書では,学校などの閉鎖環境における人間関係の息苦しさについて記述されているが,その問題はどの時代においても,人間がコミュニティを形成する限り発生しうると思う.古代エジプトにおいても「最近の若い奴は…」と言う言葉が残されていたことからも窺える.ただし,産業社会化,情報社会化を通じ,社会生活を営んでいく上で接触せざるを得ない人間の幅については,封建社会より大幅に増えたことであろう.15年前という,それまで「オタク」の世界にのみ受容されていたSNSやインターネットが,一般人に対し開かれていく途中の時代にて書かれたこの本も,その時代特性を表している.ただ,現代のコミュニケーションは,先に書いた「推し」について扱った文章の通りいわば「積極的無関心さ」を提示しつつあると考える.これから先,さらにその傾向が強まった場合,「友だち地獄」はどのような形態を表すだろうか.若者たちの行く末が気になる次第である.

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