【和訳】露ラブロフ外相 2022年3月23日モスクワ国立国際関係大学訪問時のスピーチ 1/2
前書
日本のウクライナ情勢に関する報道は偏っていることは言うまでもない。そこで、たまに露側の主張も日本人に届け、判断をするうえで状況を多面的に見て頂きたく、微力ながら(たまに)露→和訳をすることにした。今回はその第一弾として、露のラブロフ外相が母校のモスクワ国立国際関係大学を訪問した際に学生におくった言葉を共有したい。調べた限りではこれの英訳も和訳もなく、一方、ウクライナの現在の状況に至るまでの経緯が分かりやすく説明されているので、これはより多くの人に届ける価値があると勝手に判断した。そして長文につき、分けて投稿する。ウケが良かったら、質疑応答の部分もやってみようかと。<露語の原文はこちら>
本編
前略(挨拶および母校への感謝の言葉)
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今日の世界情勢を考える際、ウクライナを見るのではなく、新世界秩序が構築されようとしているのを見ないといけない。今から10年程前、西側諸国が(国連が設立以来準拠を呼び掛けている)『国際法』という概念ではなく、『ルールに基づいた世界秩序』の遵守をみんなに強要し始めた。この『ルール』は誰からも提示されていない、なぜならば存在すらしておらず、個別事案に合わせて新たに作られるからだ。西側諸国限定の輪で作られ、そして最終的に唯一無二の真実として取り上げられる。ウクライナはこれを象徴する。西側が実現したい『ルール』の一つは、競合先の全排除であることだと確信している。今はその競合先はロシアであり、そして中国が既に次に指名されている(若しくは、動きが平行して進められるのだろう)。この『ルールに基づいた世界秩序』の目的は、世界一極化の完全復活なのだ。
北大西洋条約機構(NATO)は、利口『道具』に過ぎない。いつもそうだった。EUが『戦略的自治』の必然性についての議論やアイデアを沢山提示しており、例えばフランスのマクロン大統領もこの方面で多大な努力を費やしている。しかしEUは既に独立を失っている。故に、EUの様々なアイデアが実現されたのは、5千人の即時展開軍事部隊の『戦略的コンパス』のみであり、概念的な部分ではEUは既にNATOおよび米国と一体化している。遥か昔から、EUの中立国家であるはずのNATO非加盟諸国が、NATO軍事演習用に自国インフラを提供し続けている。東への拡大を目的とした『欧州の機動性』はNATO加盟国と中立国家を分けたりしない。何れにしても、この動きは(全ての約束に反する)NATOの東への拡大のためにとられている。
NATOは、今までOSCE内およびロシア・NATO間で交わしたはずのどちらも他国の安全を損害する自国安全強化をしないという約束の実行に関する我々の数多くの呼びかけを無視してきた。この約束事は、安全保障の一体性における最重要部分であり、複数の国家首脳レベル会合で確約されている。その際、我々が言われたのは、安全保障関連の約束事はNATO加盟国のみで、ロシア連邦との契約関係はあり得ないということだった。即ち、以前ワルシャワ条約機構に加盟s国からすると、NATOに入る意外に安全保障の約束を得られないことになる。目的はロシアのみならず、世界の舞台で独立した動きをとれるすべての国の制圧だった。具体的にロシアに関しては、ウクライナがロシアの独立を制圧するための道具として選ばれている。ブレジンスキーも、ウクライナとの友好関係時とそうでない時のロシアについて言及している。ウクライナと友好的な関係に無い時は、大国ではなく地域国家に過ぎなくなる。
ウクライナが有効な制圧道具であるためには、プーチン大統領の言葉を借りると『アンチ・ロシア』にならないといけなかった。ウクライナは、ネオナチの称賛し、所謂『反共産主義』および、(本来はニュルンベルク裁判で裁かれるべきだった)シュヘビッチ、バンデラを含むドイツ・ナチ軍の協力者を称賛する『第二次世界大戦勝者の英雄化』法案を可決した。しかし、これに誰も関心を示さなかった。『文明化』の西側は、黙認だけでなく、国の支援を受けナショナリスト愛国主義教育を浸透させるスカウト集団の設立企画等、積極的に協力してきた。かつてバンデラ、シュヘビッチ等が軍事・イデオロギー訓練を受けている『プラスと』という組織の稼働が再開されている。第二次世界大戦勝利の日(5月9日)には、戦争参加者が殴られ、ゲオルギー・リボン(ソ連軍の象徴)を引き剥がされていた。ロシア正教会が分断された。米国とコンスタンティノープル総主教庁の協力の下で偽組織が作られた。全てが『脚本』通りに進んでいた。
最近の流行り言葉で『否定の文化』(キャンセル・カルチャー)を知っていますか。これら全て、共通の歴史を否定する文化が、ロシア連邦の抑圧に向けられている。1991年モスクワで開催されたOSCE特別会議で発信された、自国内・国外問わず如何なる情報にでもアクセス権利についての言葉に誰も従おうとしてこなかった。『我々は一つなのだ。共通の運命を持っている、同じヨーロッパという家に、ウラル山脈までそしてウラジオストクまで広がる単一地域で暮らしている』。これと並行し、ウクライナをロシア連邦から可能な限り引き離す政策が構成されていた。2003年のウクライナ大統領選挙時にEU職員やEU加盟国の外務省らが選挙活動に関与し、ウクライナ人が欧州につくかロシアにつくか選ぶべきと主張していた。こんな論調だった。当時既に『どちらか一つ』な状態だった。その後の選挙戦の際『どちらか一つ』の選択肢が『EUにとって不都合』だった場合は、彼らはウクライナ憲法違反してまで最高裁に選挙の第三ラウンド実施の必要性に関する判決を出させ、そしてさすがに第三ラウンドでは『必要な形』に持って行った。
常に『アンチ・ロシア』を作り続けるこのメンタリティーは長年にわたって定着されてきた。結果的に、2013年にウクライナがEUと連携協定について協議をやはり『どちらか一つ』の思考を基に進めていた際、我々はウクライナがEUと協議している関税の撤廃がCIS枠組内のウクライナ・ロシア間免税に影響を与えかねないと指摘した。一方EUとは、我々のWTO加盟に向けて、17年間の苦しい交渉を行った結果漸く達成出来た防御仕組を導入していた。つまり我々はウクライナとの関税を撤廃したままウクライナがEU関税を撤廃すると我々とEU間の合意事項が遵守されなくなる重大なリスクがあると、率直に伝えた。この課題を解決すべく、三者(ロシア、ウクライナそしてEU)が膝交えて協議しようというシンプルな提案をした。これに対しブリュッセルが上から目線で、あなた方には関係しない筈、EUがロシアの中国との貿易に口を出していないと答えた。当時のロシア・ウクライナ間貿易規模が絶大だった。上から目線だったわけだ。これは2013年のことだ。
ヤヌコヴィッチ大統領は、ロシアの市場を失わないために折衷案を探す必要があると察した(さもなければ、我々がEUとの関税撤廃から自国を守る必要があったからだ)。彼はEUに、協定締結の延期を提案した。『マイダン』に大衆が『出された』理由はまさにこれだ。ヤヌコヴィッチは自国の経済的利益を考えていたのに対し、EUと仲間どもは全く違うことを考えていた。即ちロシアの抑圧し成長をさせないための最有力手法を狙っていた。その後『マイダン』が大量の血が流れる要因となった。協議が実施され、合意書の保証人としてドイツ、フランス、ポーランドが名を連ねた。だが翌朝はクーデターが起きた。後に『保証人』となった諸国になぜそうなったかと尋ねた。なぜ非保証者に約束事項を守らせられなかったのかと。まして、早期選挙の実施が決まっており、いずれにせよ政治的変貌が起きていた筈だ。これに対し彼は『マイダン』を『民主化プロセスの一部』と称する様になった。
ご存知の様に、2014年イエメンにもクーデターが起き、すぐさまにハディー大統領が国外に亡命していた。今だ、先進人類が彼をイエメンの大統領として認め、彼の復帰を求め続けている。これは真面目に協議され続けている案件なのだ。しかしウクライナはなぜか違う。政権を握ったのはロシアとの友好関係に賛同し西側の友人たちに反対する者ではなく、西側の手元にある利口『道具』になりたがる者たちだった。反乱者たちから結成された新政権の初期本能は、ウクライナの法律で定められていたロシア語の地位の即時却下およびクリミアからのロシア人の追放に向けられていた。彼らはクリミアに、議会の建物を強襲するための兵隊を送り込んだ。その後のことは皆さんのご既知の通りだ。
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