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認められたい!の毒に塗れるな

こんにちは。あさこです。今日はちょっと辛口?😅かもしれません。ご容赦ください。あくまでも一意見ですので😅

私もそういう時期がたっぷりとあったからよくわかるんだけれど「認めてほしい!」「認めてくれない!!」って悩んでいる人が本当に多いなあって思うんですよね。

私もよくわかるんですよ。これ。だってバリ島の師匠とは言語も文化も違うから認めてもらいたいと思っても観点がごっそり違ってね。全く伝わらない時期が長かった。そのほかにもビジネスという点でフリーランスになった当初や、実践し続けて干支が一巡りした今となっても伝わらない思いとか経営者の孤独で悩むことなんていうのはたくさんあります。

だからあえて今日はその点と読書量についての関係性に切り込んでみようかなって思ってます。この「認められたい!」についてはいくつかの記事に分けて書くつもりなので、その時には関連する前号を貼り付けたりしましょうかね😃

さあ、それでは「認められたい!の毒に塗れるな」開幕でございます。


①そもそもどうして認められたいのか?

承認欲求って一体いつからどこからくるんでしょうねえ?考えたことありますか??

人間の持つ欲求のことについてはなんと言ってもマズロー氏が解いているものが一般的だと思うんですよね。Amazonでもマズロー氏のことについて書いてある書籍は本人のものから他の研究者によるものまでかなり相当数が出ています。

一括りにすると心理学という分野になるのだと思いますが、どうもその中で「欲求の5段階」の部分だけが部分的に切り取られてしまっている感があるんだろうと強く感じずにはいられないのですよね。

みんな(ビジネスを目指している人や心理学を学んでいる人なら)知ってるよね、っていう部分で確かにそれはそうなんですが、じゃあ自分がどの部分にいるのかっていうことをみんな理解しているのだろうか?どう対処したらその欲求は塩梅良く治るのだろうか(バランスというか、その人のちょうどいい感覚に至ること)?というのが不明なまま進んでいないだろうか?

っていうことを考えると現代人あるあるではありますがインターネットや情報商材による「情報過多」から不必要な欲求になってしまっているのではないかなあ?と思うわけです。つまり、本来追いかけなくてもいい欲求を求めなくちゃいけない、みんなそうだからっていう流れを強く感じるんですよね。

そのほかに考えられるどうして認められたいのかということをえていくと、「母親(父親)」に受け入れてもらいたかったという内容が大方なんじゃないかな?と思うのです。

私のところにいらっしゃる方の多くが実はこれかなあ?って思うんです。経営者でも一般のお勤めの方でも主婦でも。性別は関係なく大体は「母親」との関係性に未消化の部分を持っていて(あえて問題とは言いません。問題未満の思い違いやすれ違いのことも多いので)、それは具体的にその人と対話を繰り返して七時間もの間やり取りをして初めてこちら側に見えてくるようなことで、本人も無自覚だったりします。

なので一口に承認欲求がすごい状態、認めてくれ!なんで認めてくれないんだ!!って感情が昂ったり、怒ったり、周りのせいにした自分の言葉を撒き散らかしていても、全員が同じ承認欲求だとは全くもって断定はできないわけです。

そこの部分についてのノウハウとかどうやったらその解決の糸口を見つけられるのかというのはざっと私がマズローさんの複数の書物に目を通す限り、やっぱり書いていないんだよなあ・・・。書いていないから、結局解決に至らないんだろうなあ・・・という答えに行き着くのです。

②誰に認めてほしいか、何が認めらたら良いのか

そうやってみていくと、その人の普段の言動や行動をよく見ることが本題になってくるわけです。が、そこまであなたに関わってくれる人間というのはなかなか存在を探すことすら難しいのではないかと思います。誰しも自分の生活がありますし、親でさえあなたに四六時中べったりとはいきませんし逆にべったりされても嫌だと思いますから💦

そうすると、承認欲求に対する解決の近道というのはやっぱり「自分をちゃんと知っておくこと」ではないかと思うのです。そしてここでいう「ちゃんと知っておく」というのはどういうことか・・・という点が理解できていないとややこしい話になってしまうんだと思うのです。

「ちゃんと」という言葉の類似語を考えて見ると、正しく、きちんと、正確にみたいな言葉が同じように扱われていることが多い気がします。どれでもいいんです。正直に😅

どれでもいいのですが大事なポイントは「あなたにとって」「何が」「どうであれば」ちゃんと(正く、きちんと、正確に)自分を知ったことになるのかという状態についての表現ができない人があまりにも多いということなんです。

ヒアリングの段階で、そういう聞き方をしてくれないので私もプロデューサーやライターと伝わらない不具合のある思いをしたことが何度となくあります。そう、あなた自身がそういう役割の人だったらなおのこと、自分だったらどういう状態がそれに当てはまるのかという認識ができていない場合、人に聞く設問もざっくりになります。だから当然相手の答えもざっくりになります。そしてここに伝わらないことが発生して、認めてもらえたかどうかというジャッジが生まれていきます。

伝わらない度合いとか、認めてもらえないと感じている度合いばかりをみんな考えているみたいなんだけれど大事なのはそこじゃなくて、どのように認めてもらいたいのかその「状態」。そこが曖昧だと自分も解決できないし、聞きたいことも伝えたいことも不明瞭になるので相手の回答もざっくり聞き出そうとしてしまっていて、対話が成り立たず、埒があかない状態になってしまうんですよね。そうするとまたわかってくれないとなってしまう。

そう、認めてもらえないの根元は、わかってもらえない!という気持ちなんですね。

特に日本語だと語彙がとても多いので、わずかなニュアンスがさらに違って伝わってしまうので、わずかな誤差が伝わらない、わかってくれない、認めてくれない、認めてもらえないという状況に拍車をかけている場合があるんですよね。

③結局どうしたらその認めてもらえない!から脱出できるのか?

色々書いてみましたが、結局ね「認めてほしい!」「認められていない!!」って自分が怒ってるっていうことに本人が気がついていないことが問題なんでしょうね。

多くの人を見ていて、私自身もかつてそうだったであろうし、その上学び深めている今ですらやっぱりその怒りが込み上げることがあるわけですが、その都度怒りに気がつくことで脱出してきた気がします。

更にこの怒り、特に何に対して怒っているのかということが具体的にわかっていないと、いつまでも尾を引いてしまう。認めてよ!認めてもらってない!!って怒りがどんどんエスカレートしていく。

そうなればもう先ほども書いたように認めてくれない!!って爆発したり感情のまま誰かに責任を負わせて自分を正当化するようなことになるんだと思うんですよね。あの人がああだこうだっていうのは大抵他人のせいにしている言葉だし、その裏側にはどうやっても「どうせ・だって・私はダメだから」という言葉が待ち受けている。

たくさんの人の状態を個人セッションでみ続けていてやっぱりそこに辿り着く。自分が怒っているのは最終的に誰なのか、何なのか、どんなことなのかっていうのにちゃんと気がつくことができていないと、他者責めをして、結局その他人を責める自分を嫌うから自分を責め続けていることが脱出できない原因になっているんだって気がついてもらいたいなあと思うんですよね。

④そのために読書はどう役に立つのか

じゃあその怒りに気がつくためにはどうしたらいいのかっていうと、マズローの本を読めってことじゃないんですよ😅

もちろん読んでもいいんですが、そこで情報過多なところへさらに上塗りして情報を入れなくてもいいんですよね。

じゃあ何を読めばいいのかっていうと、他者の感情がわかるような本が良いのです。誰かの旅の日記とか、赤裸々に書かれた自伝的なものであったりとかね。他者の感情や怒りの中に自分と同じものを感じられるかどうか。

そして、この認められたい!認めてもらえない!!っていう怒りに効くためには質より量の読書が必要です。

私の場合、一つのことに興味を持ったらそのジャンルの本を最低でも15冊くらいは購入して読み比べしていきます。同じ分野でも各人間、著者のその本を書いている時の状況や学びの状態によって同じ方の本でも変化成長している場合があるからです。

ディプロマなんかもこの感じで取って行ったので、同じ分野のものが一体何枚あるんだろうか?っていう感じです。これはまあ、私が生粋の研究者肌というか、知りたい願望が強すぎる性格が故にこうなっているのですが、そうやって3冊でもいいので並行読みをしてみることで本来の自分が得たかったものは何か、何を誰に伝えたかったのか、そもそも自分自身が自分のあるがままに納得がいっていなかったかなどの、あなたにとっての正確な状況状態感情がわかるようになっていくんですね。

これはね日々日常、他人と自分を比べる癖がついている人には本当にしっかり取り組んでもらうといいところなんです。

普段から態度は聞いているようでも内心全然他人の話を聞けない人も、実は他者の書いた本は読めたりする。本を読むことで気がつくことがあるし、本を読むことでさらに知りたくなることや、逆に手放すことが出てきたりもする。正ここで自分の都合に合わせて痛いところは見ないふりをしてはダメなんですが💦それはまたおいおい書きますね。

そういう繰り返し絶えず人生に行われていくであろう作業、それが自己認識なんです。

自己認識がしっかりできていれば他人の評価に右往左往したり怒り狂ったりはしなくなります。

自己認識がしっかりできていれば他責にはしません。他人を責めなくても、自分を責めなくても後悔のない結論に至ることができるからです。

それが結構簡単に自分の怒りを解放して、他責せず、手に入れるものを手に入れながら自分で自分を認める、つまり自分を好きになるとか自分で自分を一番評価してあげられるところになるのではないかな。読書にはそういう効果が大きいのではないかな。

そう思うのです。

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asaco@人生に効く旅と読書の処方箋
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