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働き方を選べるってなんだ?

こんにちは。あさこです。
今日は、ご質問をいただいたのでそこに触れていきます。とても良い質問内容なのでご本人にも解説しましたが、ここにも掲載させていただく事になりました。

さて、そのご質問とは、

「あさこさん、こんにちは。働き方を自由に選べるという時代ですが、どうも私にはしっくりきていないところがります。それは『独立開業=下請け業者』という流れなんではないのかという疑問です。ライターとして活動をしてみようと思っていますが、結局塾の先生や先輩のライターからのお仕事をもらってやっているという図式になっているような気がします。単価も正直に言って高くありません。私が紹介を受けるということで、紹介手数料が取られてしまうのもあると思いますが。会社員としても働いていて、そこで同じような業者さんとのやりとりを目の当たりにします。業者さんの方が立場が低く、言いたいことが言えていないのだろうなということを沢山みてきました。そういう仕事じゃなくなりたいと思って、たまたま目についたウェブ広告から塾に参加してライターの道を選んだまではいいのですが、なんだか会社でのことがフラッシュバックしてきます。あさこさんはどんなふうに考えますか?ご紹介って確かに素晴らしいですが、自分らしい仕事ができるとは限らないですし、先生の顔がチラついてなかなか思い切りで既定なところもあります。そんなふうになんだかやりながらモヤモヤを抱えてしまっています。あさこさんの意見を教えてください。」

ということだったのです。

そうだよねえ・・・って思わず頷いてしまうんですが、これって、今の流れなのかな??って思うんですよね。きっとこの方みたいに始めてみたらあれれれ?っていうことが起こっている人は沢山いると思うのです。そしてこういうモヤモヤを抱えてしまう人には共通点がいくつかあることも私にはわかっているのでそれをお答えさせていただいたんですね。


🔳仕事はもらうものではなく自分で作るもの

仕事はもらうもの、やらせてもらうもの、謙ってやらせてもらうものって思ってる人がとても多いなっていうのが日本の社会かなと思います。そしてモヤモヤしちゃう人はこの考え方をずっと変えずにフリーになろうとしているんだと思うのです。

外国を見ていくと、本当に自由自在な仕事の仕方があるなあと思うのです。もちろん制度の整った先進国に限った話ではなくて、まだまだこれから未来が変わっていくであろう後進国でも同じようなことが言える場所っていうのは確実にあるんですね。

例えば、ドイツを見ていたりするとベルリンなんかは若い企業がとても多い。作った人も若いし働いている人も若い。そして外国人を沢山登用しているケースも多いです。地続きのヨーロッパの国であり、移民を受け入れている文化があるっていうことがここでキーワードになってくるとは思うんですが、それを除いたとしても異文化を掛け合わせたり他角度的な意見をかき集めて「作る」という発想がかなり高い。ベルリンの若い人との交わりは本当に楽しい時間だったことを思い出します。新しい意見や発想がいっぱいあって、それを理解するのに頭がいっぱいになるくらいです。

一方で、後進国を見た時に例えばアフリカとかのとある小さな村や町では、免許もなんも持たない人が床屋とか日本食の店をやっていたりする。衛生管理とかそういうものも知らないで、もっと言えば日本にきたことがあるか以前の日本食ってちゃんと食べた経験がない状態でも日本食料理屋をやってたりする。とても極端な例なんだけれどこれも仕事を「作る」という考え方に基づいているなって思うんですよ。(※日本ではちゃんと法定には従わないとね^^ライセンスなしの医療行為とか絶対ダメでしょっていう業種はありますよね)

私の体験でいうとね、以前自社のオリジナルタロットカードの認定塾をやっていたときにもこれを実感していたなっていうの思い出したのですが、仕事を「もらう」考えの人はレッスンを同じだけしても成長してこないんですね。

なぜかというと認定課題のモニターを自分で探して予約を取ってくることができないから。怖いからいつも練習ばかりしようとしている。何が怖いかっていうと「断られること」が怖いって思ってる。彼らにとっては「断られる」ということは「自分を否定される」ということになっているからそうなっちゃうんだけれど、それにが誤解だということにまず気がつかない。断られてもあなたは否定されていないよっていうことに気がつかないからね。そもそもの課題の目的がなんだったかを失ってしまって先に進んでいけなくなっちゃうんですね。

出題している方からしてみると、そもそも課題の目的っていうのは(この場合タロットを使ったモニターセッション)ができている自分も、まだできていない部分がある自分も両方体験するということが目的なわけです。できているところは自信を持って伸ばしていけばいいし、できていない部分はできるようになるまで理解を深めることが必要になってくるというのが見える大事な課題なんですよね。

なんだけれど、無意識に完璧を目指してしまっていたり、先輩や講師と同じレベル(経験値)を自分もやらなくちゃと背負い込んでしまうのでモニター課題が怖くなってしまう、そうすると途端にうまくいかないわけですよ。自分のプレッシャーで自分が潰れちゃったりするのね。

そうなってくると、自分はなんのために資格を取ろうとしているんだろう?っていう目的意識や考えがどっかにいっちゃう。「できるようになる」という目的がなくて、資格があれば仕事が「もらえる」かもしれないと考えるようになっていっちゃうんです。意識する目的がずれちゃったり、このケースのように目的と手段が入れ替わっちゃったりするので結果につながる動きが全く遠のいていってしまうのですね。

一方で、ライセンスをとってしっかり自分の仕事に活かせるようになる人っていうのは、ある意味元々ライセンス不要の人なんですよね。だってタロットカードってライセンスがなければできないとかっていう代物じゃないから。そういう人は教わりながら自分の仕事を「作る」という方向にどんどん向かっていく。意識が自動的にそちらへと向くから、もしタロットのセッションでうまくいかないことや伝わらないこと、相手に喜ばれないことが起きてもそれに対処するにはどうしたらいいのかという考えを即座に持つようになる。

この二つの違いがとても大きいんではないかなと思うのです。

自分で仕事を作る人になるのか、仕事をもらうつもりでなんとかいい条件を取り付けようとする人になるのかって、「作る」と「もらう」の考え方の大きな差異ですよね。

🔳目的(ゴール設定)があるかどうかが要

いつだったか、「憧れてもそれはあなたの身にはならない」そう言われたことがあります。誰だったか忘れましたが。

憧れを持つことからいろんなことがスタートするのでそれは悪いことではないのですが、ただ憧れているだけではもちろん自分に変化が起こるわけではないよということを言いたかったのだと思います。

そう、憧れの状態を言語化して、そこにいくまでに何をしたらいいか、何を集めればいいか、自分がその状態に近づくための行動をしないといけない。そうして初めてあなたに何かが起こるし、繰り返していけば身についたと言えるまでに達していく。

だから目的とか目的意識だったりゴール設定というのは本当に大事だと思うのです。これがないとどうしても雇われ思考になってしまう。雇われ思考というのは仕事を「もらう」ということが必須条件になってしまうので、それは下請けと同じような形になっていくことも当然起こり得るでしょう。

🔳パートナーか下請けか

そうして考えていくと、あなたの目指すところ(目的・ゴール)がパートナーになることなのか下請けでもいいのかという仕事のスタイルに影響を強く与えるのがわかってくるのではないかと思います。

つまり、パートナーになるには自分も一緒にその仕事を作っているという目的・ゴール設定が必要だということです。一緒に作っているという責任感こそが下請けではなくパートナーという立場においてくれますし、一緒に作っているからこそ自分の意見や状態が自立したものでなくてはならない、だから自己成長ができる。言われ仕事ややらされ仕事では社員や下請けでいることとは何も変わりがないわけですから。

これは先生・師匠業をやっている人ほど気を付けておいた方がいいことでもありますね。生徒や弟子というものはいつの間にかなんでもやってもらえると思ってしまったり、いつでも教えてもらえるのが当たり前と考えてしまうケースが結構多いです。

私も前述のタロットを教えていたときに説明会で、「集客は先生がやってくれるんですか?」「実施する場所は先生が物件も紹介してくれるんでしょうか?」と言われて驚いたことがあります。なんであなたの仕事を作ることを私がやらなくてはならないのか??と疑問だらけでした。これが仕事を「作る」人と、「もらう」人との大きな違いですね。「もらう」人が悪いわけではないのですが自立した仕事のあり方とはまた別なものだと思います。

自分で活動をしていく上で、さまざまな人と出会っていく。ネットのつながりだけではできない太いつながりを作っていく。その中でマーケティングを頼める人や、文章を書いてくれる人が現れていく。でもその文章というのはその言葉を背負う人(本人)にできるだけ近いものではなくてはいけないから、意思の疎通が取れていないという状態では厳しいのかなと。世の中の流れがこうだからというだけでは、良い仕事は作れないわけですから。

だからどんなことがあっても、あなたがどんなふうにしたいのか、どう考えているのかということが目的化されていてその詳細が言語化できることっていうのがコミュニケーションの基本でもあり、人生づくりや仕事を「作る」ということについては必要不可欠なのではないかな。

🔳生き方も働き方もあなたが決めている

ここ最近の記事で繰り返し出てくるなあって気がついた人もいるかな。目的・ゴール設定・自己正当化をしない(人のせいにしない)・全てのは自分が選んだ結果ということ。

これらは本当にこれからを生きていく上でとても重要なことになってくると考えています。

なので採取的なこの質問への答えは、あなたはどっちがいいんですか?という疑問で問い解されます。下請けでお仕事をもらう人でいたいのか、自分でお仕事を作ってそれを分かち合いながらやっていく人でいたいのか。どちらもあなたが自分で選べるっていうことなんです。仕事を作るってやっぱり大変な部分もたくさんあるけれど、逆に下請けで自分の納得いくよりも相手優先でなくてはいけないことにストレスを感じるなら、やはりあなたは仕事を「作る」方が良いでしょう。

逆に、仕事は紹介されてもらえる仕事が楽だしその方が良い仕事ができると思っているのであれば「もらう」人でいいと思うんです。どっちがいいかどうかというよりも、自分の適性によると思います。

「身口意」という言葉が仏教用語にありますが、体の動き、口から出た言葉、それを決定するときに貫く意思がしっかりと一致していること。っていうのが肝心。頭と心と体がバラバラの人が多くなっちゃってるのでね。

そうするとやっぱりあなたが、あなたをちゃんと理解して自分とコミュニケーションをとっておくこと、そしてそのコミュニケーションがあった上で人とコミュニケーションを取ることが働きやすい状態を作るんではないかなと私は考えています。

アルバイトがダメ、副業でやってるのは本物じゃない、社員がダメ、自営業がすごい、ビジネスオーナーになれ、投資家になれ、いろんな生き方を教えるバロメーターって全部西洋からきてますよね。

でもその西洋のやり方だけでは時代が壊れ始めてきている。日本人のあるべき姿に戻って、足るを知る幸せを得ていくという選択を私はしています。そうすると他人と比べないし、もっともっとという感覚がいい意味でなくなった。だから心地よい。だからちょうどいい。そういう生き方を選んでるわけです。

あなたは何を選びますか?どう選びますか?そしてそこには自己正当化をせず、自己責任でしっかりと決めた目的意識がちゃんとありますか?って自分に聞いて考えて答えを出していく。

🔳読書とそこからの学びで実践する癖をつける

だからこそ、色々な著者が考えていることや、悩んできたこと、それをどうやって打破してきたかをたくさんの書物から学ぶようにしています。

できないこともできることも色々書かれているわけですが、その中でも自分が取り入れて見ようと思ったことは片端からやってみる。成幸するまで何かしら動いてみる、検証してみるっていう行動の変化や習慣化がとても大事なんだと思います。

あるセミナーで講師の先生(還暦の男性)がこんなことを繰り返し言っていました。「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」と。

本当にその通りだなと思うのは、読書をしているから自分も気をつけようと思えることがたくさんあって、その読書は以前も書きましたが毒書にならないように気をつけています。

特に、自分都合の解釈にならないようにとか、自己正当化をするために読まないように客観視をしながら読むように気を配っています。

失敗談を書いてくれている人の本を極力探して、そしてその失敗談と自分の状態を客観的に見つめ直したり、今の自分の状況をどう位置付けたらいいのかを考える時には相当参考になります。

こうやって自分が納得のいく仕事の仕方、納得のいく答えのある人生を作っていくことができるようになっていきました。この記事が何か皆さんのヒントになればと思い長々と書いてみました。



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