企業からのご依頼を受けて、そのとき作家は何を書くのか?│朝井リョウ『発注いただきました!』
わたしにとって朝井リョウ氏の作品を読むことはとても緊張することで、読み始めるまでにすごく勇気がいる。
というのも、朝井リョウ作品はわたしの心のやわらかいところを容赦なくしめつけてくるから。過去に置いてきた苦々しい後悔や、若さゆえの浅はかさ、そしてそれに起因する恥の数々を否応なく思い出させます。
高校生活のクラスの疎外感と息苦しさ、就職活動のときの自己認識の甘さ、社会人になってからの若さゆえの軽率な行動と向こう見ずさ、そして社会で日々を営む中で感じる違和感とやるせなさ……。
そんな繊細で傷だらけのわたしのスライムみたいなぷるぷるハートは、ぷちぷちの緩衝材にくるんで心の中の鍵付きの部屋に保管して、無駄に思い起こすことのないように大切にしているのですが、朝井リョウ作品は躊躇なくその部屋の鍵を開けてくるんです。そしてわたしは過去を思い出して、絶望して変な声を出してしまうんです。今更思い出したって仕方がないのに。
これは作者本人も
と言っていて、これにまんまとやられています。めちゃくちゃざわざわするのです。
だって感情の切り取り方と不条理の描き方が本当にすごい。本当に天才だと思うまであります。そしてその心のざわつきから逃れ平穏でありたいがために、読むのにとても勇気が必要となるのでした。
そんな私が昨今、手に取った朝井リョウ作品が文庫版『発注いただきました!』(集英社文庫)。
様々な企業から寄せられた発注に、朝井リョウ氏が小説というツールでどのように表現したのか。「発注内容→作品→感想戦」で計21作品を紹介する構成がとても面白い。「企業が作者に何を求めたのか」「発注に対する納品作品はどんな内容か」「その作品における作者の意図はなんだったのか」が分かるので、なんとなく小説家の頭の中を覗けるような気がする。
そして何よりも、作者が本書内で言っているように、
そういう気持ち(「心がざわつくような違和感」を目指して突っ走りたくなる衝動)が芽生えない――。これなら、私の繊細なぷるぷるハートも穏やかに読めるのでは?と思ったのです。そしてこれを足掛かりに、朝井リョウ作品を克服してやるぞ、と……。
美川べるの氏の表紙イラストも相まって(美川氏のハイテンションギャクマンガ『ストレンジ・プラス』に中学生の私は大変救われたのです)、モチベーションは十分。実際に超ハイスピードで読み進めました。
その中から、私の心に残った作品3つをご紹介いたします。ネタバレなしですのでご安心を。
朝井リョウ『発注いただきました!」個人的所感を記しておきたい3作品
アサヒビール│ビールが登場する小説 全四話
オチまで読んで、「……ちょっと、強引じゃないっすか?」と思った作品。アサヒビールの担当者はこれを読んでどう思ったのだろう。
感想戦を読むと、作者の第一声が
である。これは感想戦ふくめてひとつの作品。はじめて朝井氏に親近感がわきました。
でも、アサヒビールのラベルを見たくなるのは本当だし、なによりも理想と現実の間で立ちすくんだ時や、ちょっとだるっとした仕事のあとにビールが飲みたくなる。できればそれが好きなひと一緒なら最高ですね。
小学館│『アイアムアヒーロー』の世界の中で書くオリジナル小説
この作品、めちゃくちゃ良かったです。漫画の『アイアムアヒーロー』は未読ですが、正直、原作を読みたくなってしまいました。
居場所のないクラスのカーテンの後ろで、音楽を聴き続ける主人公の女の子と、クラスという狭い環境だからこそ起こる女子たちの摩擦、そしてひょんなことからはじまった男の子とのメッセージのやり取り。しかも男の子には彼女がいて、その彼女はクラス内カースト上位という。
やり取りを続ければ、狭いクラスという箱のなかで、自分は大変なことになるかもしれない。でもメッセージはやめられず男の子との距離がだんだん縮まっていく。
そんな主人公の行きどころのない感情とそのあとのほんのちょっとの決意が、すごく緊張感をもって繊細に綴られていて感情移入がとまりません。
そして、感想戦を読んでの絶望よ。ところどころ、登場人物がゾンビ映画に言及している部分があって、それがモチーフなのかと思いながら読み進めましたが、そんなことはない。「そこを切り取ったんだ……!」という驚きとこの完成度……。本当に、発想力と想像力がすごいんだなぁと思わされました。
集英社│十周年記念本を成立させるための“受賞”をテーマにした新作
やられた。
これはおおいにやられました。
何が「そういう気持ちが芽生えない」「そんな毛色の違いも楽しんでいただけたら」だ!そして、「十周年記念だし、テーマは受賞だし、そんなタイミングで執筆する作品がネガティブなものになるわけないよな~」と楽観していたわたしをぶん殴ってやりたい。
読後の心のざわつきがやばい。さっき感じた作者との親近感は秒でさよならだ。
「謙虚さ」という日本人であれば称賛されるであろう行為が、本人の目的によってパフォーマンスになり下がるという違和感を丁寧に描写していて、それが人を傷つけるであろうことをここまで書き表せるものなのですね……。一方で、仕事を発注されたときに、それにのめりこんでしまう危うさも書いていて。この作品集の最後にこの小説を載せるということに脱帽です。
文庫版ではこの作品のあとに、コロナ禍の現代を書いた掌編が掲載されていますが、これがなかったら本当に立ち直れなかったかもしれない。単行本で読んでいたら、たぶん、心がめためたにされていたと思います。
わたしの心の柔らかい場所をとてつもなく、容赦なくしめつけましたが、ここまでくると感嘆しかありません。すごい。感想戦の作者コメントにさえもざわつきを感じる。すごい。
おわりに
やられました(本日2回目)。
しかも、なんだか作者のてのひらで踊らされまくった気がします。悔しい。
とても悔しいので、わたしは今後、自分のぷるぷるハートを鍛え上げたいと思います。そして余裕ぶって朝井リョウ氏の作品の数々を読んでやりたい。
こんな読書経験ができることはとても貴重なことだと思うので、勇気を振り絞って読んでやりたいと思い……ます(すでに心折れそう)。
そしていつかは『何者』を読むんだ……(就職活動にめちゃくちゃトラウマがあるので、あらすじを読むだけでも悶絶してしまうのです)。
話を本筋に戻しましょう。
『発注いただきました!』のタイトルにあるように、企業からの発注が途絶えることなく、そしてクオリティの高い作品をきちんと納品していること、かつ、そのクリエイティブの数々をひとつの作品集として、読者を飽きさせない構成で刊行できることが本当にすごい。
なので、やっぱりほかの作品全部を読みたい。がんばれ私のメンタル。超合金のカチコチであれ。
そして、広告のほかSNSや動画コンテンツなど、様々な商品PRやブランディング手段がある中で、「小説でアプローチしたい」と企画があがることを、小説好きとしてとても大切なことだと思いたいし、今後もそういう世界であってほしいなと思うのである。
本書のあとがきに「第二弾が出ることがあれば、また気にかけていただけると嬉しいです。」と朝井リョウ氏は記しておりまして、世に出た暁には余裕ぶっこいて読んでやりたいと思います。