抗うつ薬の功罪、そして慢性的な体調不良へ

高校1年生になってはじめて迎えた中間テストで私は気分が悪くなってパニック発作のようなものを起こし退席した。その日どうなったかはよく覚えていないが、以降高校のほとんどの定期テストを私は初めから別室で受験することになる。精神のバランスを崩した影響が人間関係ではない意外なところで現れたことで私は困惑し、1番安易で後に響くような手段を採ってしまう。

高校生活の滑り出しは決して悪くはなかった。家の近くから一緒に登校してくれる中学からの友だちもいたし、クラスでも3人ほど話せる人のグループができた。クラスでの友人は当時の私と波長が合う、漫画やアニメが好きな大人しく個性的な人たちだった。私はひとまずホッとした。しかしその一方で、でもやっぱり何か満たされない気持ちも感じていた。私はもう完全に“陰キャ”なんだ。新しい環境でも前みたいに光り輝くクラスの中心にはなれずに、どんどん暗くなっていくしかないのだと日々失望を深めていた。

そんな中で迎えた中間テストで私ははじめてパニック状態に陥った。しんと静まり返った空間に緊張し心がざわついて耐えられなかったのを覚えている。高校受験は確か普通に乗り越えられたはずなのに……どうして高校に入ってこうなってしまったのか。いや、受験でもなにかトラブルがあったんだっけか。もはや当時のことは判然としないが、私としてもかなり予想外のことで驚き傷ついたことは覚えている。自分の精神状態がまだ何も改善されていないのだということをこの時やっと実感したような気もする。普通じゃないぞと思い、対策しなければと思った。

病院に行くことを決めたのは母親からの進言だったか。どんなタイミングだったかも思い出せないが、1年生の早いうちに近くの総合病院に行って、とりあえず症状を説明してみた。
医師からは満足な説明を受けた記憶がない。なんとなくなだめられて、薬を飲んで様子を見ましょうという展開になった。
私はこの時、日本の医療について特に不信感はなく逆らう理由を持たなかった。お医者さんが薬を飲めと言うなら飲んだほうがいいのだろう、なんの薬かは分からないけど……という安易さで出された薬を大人しく飲み始めた。

その薬というのが抗うつ薬で、他に精神安定剤を2、3種類は出されただろうか。飲むと確かに効果はあった。
これを書いていて思い出したが、当時の私の心の状態には大きな特徴があった。胸の真ん中に大きな黒い穴があって、それが負の感情の源泉になっている明確なイメージがあった。
抗うつ薬を飲んでいると、その穴が一時的に塞がれたような気持ちになるのだ。どこか気楽な気持ちになる。その代わりに副作用として不自然に体が軋む感じがしたり眠気が止まらなくなったり、ひどい便秘に悩まされたりした。

いわゆる鬱の薬、向精神薬について、私は現在はハッキリ否定的である。あまりにも危険性が多すぎ、長期的な副作用も多々可能性があり、もしかしたら私の目の難病にも関係しているかもしれないわけで、のちに述べる離脱症状の苦しさも相まって人体にとってあまりに不自然だと思う。
しかし、効果があることもまた確かで、当時の私にとって利益があったことも否定できない。私の心のブラックホールは確かに塞がっていたのだ。あまり考えすぎなくて済んだのも薬のおかげ。不登校にならずに済んだのも薬があったから。劣等感とか寂しさまでなくなることはなかったけど、パニックになる頻度が最小限になったのは薬のおかげと言える。
私はまず、薬の恩恵を忘れて悪者にしていたことからクリーニングする。危険性があったにせよ知らなかったにせよ、薬を飲み続けていたのは私だ、恩恵があったから続けていた、私が選んだ、その責任の記憶をウニヒピリ(インナーチャイルド)に手渡す。
そのうえで離脱症状について述べて、苦しかった記憶も手放す。
高校3年間は薬を飲み続けたが、その途中て何度か飲み忘れることがあった。あまり鮮明な記憶がないが、たしか1日でも飲み忘れたらすぐに反応が出たのではないかと思う。続けて飲んでいないとダルくなったり目眩がしたり、明確な症状が出るのだ。
薬を切らしたらいけないという依存状態と薬特有の体の軋みは次第に違和感となり、私はだんだん断薬したいと思うようになっていった。
確か思い切った断薬は二度取り組んだことがある。一度目はいつか忘れたが、あまりの苦痛に中断を余儀なくされた。二度目は大学1年の秋だったか。今度は絶対やめてやるという鋼の意志のもと、完全に断った。だるさや目眩やいろいろ来て死ぬほど辛かった覚えがあるが、なんとかやめられた。
ここでいくつか注意点?だが、抗うつ剤は一般的に徐々にグラム数を減らして断薬するものらしい。私のように一気に断つとあまりに苦しいし、もしかしたら一気に止めることで起こる新たな病気などの弊害があるかもしれない。私にしても、もう1日も飲んでいたくなかったからといってスッパリやめてしまったことが本当に良かったのかは分からない。そのジャッジはできないし、しない。ただ記憶をクリーニングするだ。

さて、私は断薬に成功した大学1年のあと、今度は再び体調不良に苦しまされることとなる。
それは今まで薬で抑えつけてきた、解決されなかった根本的な問題が噴出してきたゆえのことだと思う。そうなると薬をやめて良かったのか悪かったのか。考えてしまうのだが、考えたところで答えは出ない。薬を用いたことの一番の後悔はこうした混沌を生んだことだと思う。何が薬の影響で何は影響してないか、いつやめるのが正解だったのかなど何一つ確実なことは分からない。一生わからない。自分以外に問題の解決を委ねると、結局原因の所在が分からなくなり問題が更に複雑になっていく証左だと思う。

大学3年になった当初、体調が決定的に悪くなる引き金になった出来事を断片ながら覚えている。所属するゼミを決めるときに、興味を持ったゼミの教室に行った。その時、1年時に仲良くなった女の子が教室に居た。その子が他のみんなと楽しそうに喋っていた。
その場面が目に飛び込んだ瞬間、耐えられないと思った。
私は踵を返し、気がつくとやっぱりゼミには入りませんと教授に伝えていた。
当時は自分の行動が不可解で、気持ち悪くて自分が1番当惑していた。でも今フタを開けてみると私はいじめられた時の記憶がフラッシュバックしてたのだ。人と人が集まって話しているだけで怖くなる、私は入れないと思う、入りたくもないと思う、友だちがたくさんいる友だちに嫉妬してしまう、裏切られたと感じてしまう、
そんな感情が一気に噴き出した。
高校生になった当初、吹奏楽部で再チャレンジしようと思ったけど結局怖くなってやめてしまったのと同じように、私は逃げたのだ。
防衛反応に従って、負の感情が出てしまう場所から逃げた。その事で更に自分を責めてしまうようになった。
入る予定だったゼミを蹴ったおかげで、私はどこのゼミにも入れなかった。うちの学部はゼミに入らなくても単位さえ取ってれば卒業できたから卒業はなんとかなったけれど、ゼミに入らないと就活で言うことがない。バイトは半年しかもたず、インターンも留学もできなかったのだから本当に何もない。

私が他の学生よりも経験を積めなかった理由は、決して怠けてたというわけではなく、やはりどうしても体調が悪かったのだ。断薬してから徐々に体が怠くなりはじめ、3年になってゼミに入れず再び精神的に不安定になったことで身体の調子もますます悪くなった。
大学の授業を受けるのが精一杯でサークルにも行かなくなった。友だちにも会わなくなった。

私の学生生活はどの時代も尻すぼみに悪くなってて完全にループしてるのが可笑しい。
もしかしたら一つのところに長く居ることができない性質なのかもしれない。長く居るとどんどん周りとの差異が浮き彫りになり、異端がばれ、不調和が心身のストレスとなっていくから。

それはさておき私は周りの雰囲気に流されるままなんとなく就活をはじめてみたけれど、うまくいくはずがなかった。頑張ったことなど何も思いつかない。やりたいこともない。こんな体調でやれるとも思えない。某出版社のグループ面接でトンデモ発言をして周りから失笑された思い出だけくっきりと鮮明に残ってるが、あとは曖昧にぼやけている。うんとハードルを落とせばどこかには受かったかもしれないが、受かったとしても出社できると思えず、私は途中で就活をやめた。
失意の中で迎えた卒業式も酷かった。きちんと袴を履いた記憶はあるものの、着付け含め行きも帰りも一人だった気がする。友だちとのやり取りはなし。高校の時もそうだった。誰とも交流せず真っ先に帰ったのだ。なんという悲惨なループ。

そうして就職もせずに、何も光明のないまま、体調の悪さだけ抱えた春は地獄だった。

私はこの時はじめて、自殺を考えることになる。

(つづく)

4つのキーワード
【ごめんなさい】
【ゆるしてください】
【ありがとう】
【あいしています】

私は自分に起きた心と身体の不調を受け止め、感謝し、消し去ります。

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