いじめ被害者になったこと
自分の身に起きたいじめのことをクリーニングしないと先に進めなさそうなので深夜にポチポチ書いている。
※ホ・オポノポノについてはhttps://hooponopono-asia.org/jp/about-ihaleakala/the-wisdom-of-hawaii-hooponopono/
起きたことは単純で、中学2年生の時に当時所属していた吹奏楽部で同学年の3人から無視されてしまった。暴力の伴わないイジメというのは私が加害側に回ってしまった一件と似ており、それだけでいまの私には『さっそく同じことが我が身に返ってきた記憶のループだ』とピンとくるのだが、当時はそんな俯瞰の視点を持てるわけもなく、それどころか自分が2年前に一人の少女を傷つけたことなど“すっかり忘れて”
ただ放心し、病んだ。
イジメという結果が生まれるのは実は入部当初から分かっていたことだった。加害側のひとりがいかにもイジメをしそうな意地悪そうな顔つきだったのだ。でもまぁ決めつけも良くないし始まったからにはやっていくしかないので、私は覚悟を決めて慎重に立ち回ることにした。
これも不思議なのだが、私はこれ以前にも他人から傷つけられた記憶があるし加害側だがイジメられる人の苦悩をついこの前体験したばかりだ。(前記事参照)
それでもどうしたわけか、“自分が虐げられる”イメージというのはやられらるまでついに想像することができなかった。たとえ他の子がいじめられたとしても、私だけはそんなことされるわけがないという謎の自信。今までの蓄積の、成功体験だけに頼った自信が慢心となっていた。
そして私は彼女たちと仲良くしようとすることだけ考えて、内部に渦巻く嫉妬の感情に十分に目を向けて配慮することはしなかった。私は最初から驚くほど綺麗な木管楽器の音が出せていて、いつも1番いいパートを任されていた。それは仕方ないことで、才能の差で、おまけに私は誰よりも練習していたし、当然のポジションだと思っていた。その事で他の子たちがどれほど絶望しているか、妬ましく思っているか、敏感な私は心の片隅ではしっかり分かっていたけれど、謙遜する以外のことは特に何もしなかった。上手く吹けることは私の誇りだったし、上手くできる人が重要なところを担当するのは当たり前だと思っていたから。
そんな感じで憎まれる理由も危険な気配もハッキリ感じ取っていたのに、それでも謎の自信がまさって楽観的に居た私は、ある日部室の空気が一変したことに気がついた。
未だに忘れることができない。その日の夕焼けの空。
フィルターがかかったように空間が歪んでいる。踏み入れただけで分かった、なにかが決定的に変わってしまい、運命づけられてしまい、それは途方もなく長く、気の遠くなるほどしんどいことだと。
実際は私がこのとき覚悟したよりも何十倍もしんどかった。なぜなら、15年以上経った今もなお尾を引いているのだから。
何がつらかったのだろうとウニヒピリ(インナーチャイルド)に語りかける。どうして私はイジメがどういうものか経験で知っていたのに、あれほど病んでしまったのだろう。この世に一人きりになったわけでもなく、家族は変わらず優しかったし、部活には他に味方になってくれる大好きな友だちも居た。なのに、なにがそんなにつらかった?
ウニヒピリは少し反応が鈍く、緩慢になる。無理もない。私が1番自分を傷つけ、責めに責めて、しまいにはポイと手放してしまった原因の出来事なのだ。彼女は困った顔をして、たくさんの記憶のデータを思い切って、ふわりと宙に投げた。
私は自分が恥ずかしかったのだ。イジメられるなんてダサい!!って感覚だろうか。無視される自分って惨めじゃないか。家族も友達もクラスでも良い関係なのに、同じ楽器の子たちとだけうまくできなかったなんて、ある種の失敗で、敗北だ。
あれだけ波風立てずに仲良くしようと努力してきたのに、気を遣ってきたのに、結局敗北したのだ。徒労だ。徒労を見られたくなかった。
私は誰とでもうまくやれる人間ではないと突きつけられたことも強烈な一撃だった。誰もが私を好きなわけじゃない、愛してくれるわけじゃない、いくら人の気持ちに共感できる性質でも、どれだけこちらから誠意を尽くして愛情を向けても、どうにもならないことがある。
加害側の3人の中の1人とはそれまでかなりうまくいっていて、些細なことで笑い合える仲だった。彼女が別人のように私の言葉に反応しなくなった、その豹変は、もしかしたら1番生々しく私の心を傷つけたかもしれない。
極めつけは、楽器から音が出なくなっていったことだった。体験入部のときから絶賛されるほど綺麗な音が出ていたのに、それが唯一の誇りで取り柄だったのに、どう頑張ってもスカスカの音しか出なくなった。楽器が1番正直で、これ以上ない仕打ちだった。
私は参ってしまっていた。いろんな感情はウニヒピリも困惑してしまうほど、複雑に連鎖してて、どこをどう通ってきたのか読み解くこともできない。
気がつけば私はずっと自分を責めていた。
私はこういう仕打ちをされる程度の人間なのだと思った。真実はただの相手の嫉妬に違いなく無視されるいわれもないのに、そうは思えなくて、原因とか経緯とかぜんぶ抜け落ちて、ただ単に私が悪かったのだと……私の存在が悪かったのだとぐるぐるぐるぐる。思考だけで思うようになっていった。
《ただ仲良くやりたかっただけだよね》とウニヒピリは言う。そうだ、私は平和が良かった。全ての行動の根底にあるのは結局それなのだ。調和していきたい。お互いを尊重し合っていきたい。不思議とそんな気持ちしかなかったから、このときも加害側を恨む気持ちにはなれなかった。無視されてつらいのに加害側を何故か責められない……そのやり場のない鬱積した気持ちが、巡り巡って自己否定に繋がったのだろう。この時はクリーニングはもちろん、ストレスケアのいかなる情報も知らなかったし知ろうともしなかった。罰なのだから受けなければいけない、とことん苦しまなければならないとさえ思っていた(これは今はじめて思い出した感情だ……!)(苦しみに酔っていたのだろうか)
私はつらい現実を記憶として昇華させるのではなく、ウニヒピリに蓄積して、我慢して我慢して、負の感情を肥大させられるだけさせてしまった。
私はある時、これも鮮明に覚えているが、
身体の仕組みがガチャリと変わったのを感じた。たぶん内臓の位置がずれたんだとおもう。
私は自分を責めすぎた。
心と体の連動を感じた。
体調が悪くなるといよいよ友達も家族も心配してくれて、私はいろんな方面と話し合って、ようやく苦しみから一時的に解放された。
私は部活をやめずに情熱を傾けた楽器だけをやめた。不登校にはならなかった。表面的にはすっかり元気になったかに見えた。
ある日、校門のところで3人に「ごめんね」と軽い調子で謝られた。私は「いいよ」と言った気がする。気にしないでというふうに、笑って言った。私はその時も相手を責めなかった。あんなあからさまな事しておいて、こんなにあっさりなんだ、とは思ったけど、カチンと来たけど、恨み言の一つも言うことができなかった。単に勇気がなかっただけのか。それとも。
もしかして私は潜在的にこの出来事が彼女たちのせいではなく自分の中のなにかが引き起こしたことであると……自分の問題であると分かっていたのかもしれない。ホ・オポノポノ。
しかし全てが自分の問題であると認識することと、自分を責めることは全く違う。真逆だ。渦中にいるとき負の感情に苛まれたのは仕方なかったにせよ、楽器をやめた時点で断ち切るべきだった。自分が悪かった、取るに足らない人間だと延々思うことはなかった。ウニヒピリを切り離すべきではなかった。
私は決着のつけ方を間違ったのだ。
私はいま……軽く放心しつつ、お腹のあたりに渦巻くモヤモヤとした黒い霧を不快に思う。もうすっかり整理され忘れたと思っていた記憶は細部まで呼び起こされると、心より体が反応して、やっぱり完全には浄化できてなかったんだなと知る。何度検証したとしても、きちんと記憶の消去を依頼しアウマクア(超意識)、そして自分の中の神であるディヴィニティにアクセスできなかったのでは記憶はとどまり、同じ連鎖を生むだけだ。
私はこの悪感情や後悔を全て手放そうと思う。
体を壊すほど自分を苛んだこと。そんな選択を取ってしまった自分の未熟さと、複雑さ。不要な自己卑下、自己否定。
心の奥底に閉じ込められたウニヒピリ。無数の刃に無抵抗の体を切り刻まれて、痛ましいことこの上ない。気づいてあげられなかったこと謝ろう。
【ごめんね】たくさん傷つけて。
【許してね】これからはずっと一緒にいるよ。
【ありがとう】この体験をさせてくれて。
【愛しています】全ての私が愛おしいです。
これから無限ループ。永遠のような苦しみの日々が待っているのだが、まずは根っこにあるこの出来事を何度も何度もクリーニングする。
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