見出し画像

じぇらしぃ #2/7


落ち目の作家の「私」は、担当編集者が若い娘に交代すると聞き及んで舐められていると勘繰り気色ばむが、後任の担当者が猫顔のおきゃんと知るなりちょっと心躍らすのでありました。

『じぇらしい #1』のあらすじ


 Tはまず私の文体の古さを手厳しく指摘するものと思っておりました。また、それをもっとも私は彼女から期待するのでもあった。

 もともとは「反動の世代」などとなかば批評家連中からは揶揄される形で文壇に登場した遅咲き作家の私もそのひとり。日本近代文学のお家芸といってよい私小説の系譜に連なる文体の戯画的ありようは、古臭さは古臭さとして公認の持ち味であるはずなんですが、私個人の可能性の開拓として、十代二十代の若者の新気はかねがね欲しいところでしたし、我が身をいわば触媒として、日本近代文学とZ世代の感性との化学反応を見たいというのは、表現者相応の野心として常からあった。むしろ落ち目を自覚する昨今、その欲求は募るいっぽうなのでした。しかしこの齢にして日常生活の延長線上にZ世代との交流など望むべくもないし、社会の実態調査と称してキャバクラやらガールズバーやらに入り浸ったりパパ活に手を染めたりなんてのは、東大出の官僚ならいざ知らず、こちとら金も時間も許さないし、自他ともに認める恐妻家ですから、妻に知られたら最後、命の保証はない。

 そんな矢先に二十代の、聡明で、かつは猫顔から判ずるに十中八九おきゃんに相違ない小娘が担当編集者として私につくことになった。渡りに船とはこのこと、新人を当てられたなんぞと憤慨するのは我ながらいいがかりもいいところなんで、じっさいのところ早くその若く瑞々しい感性で私の芸術のいっさいを否定してほしいと気ばかり逸るのでした。というわけで、私の筆はいつになく躍って、気鋭の現代作家のアンソロジー用にひと月ほど前からすでにKより依頼されてあった五十枚ほどの短編をば、一行も手をつけていなかったのを明日の昼過ぎにTがうちへ立ち寄るというので徹夜で脱稿し、それからは一睡もせずに待ちあぐねたのでありました。

 ところがこちらの意に反してTは終始 polite にして decent 、私から渡された原稿にじっくり目を通し、読み終えるや嘆息して「傑作ですわ……」と呟いたのでした。
「さすがです。白猫が梅の木の枝に取りついていて、それが闇夜にあたかも近視の目に八分咲きに見えるなんて、とてもきれいです。センセイらしい。その花房が塊で落ちて、すうっと庭を横切るところも読ませます」
「そうかな。ただ表現が少し古臭いんじゃないかと思って。古臭さはたしかに僕の持ち味ではあるんだけど、そろそろひと皮剥けたいというか。新時代の文体を模索しているんです」
「古臭くなんてありませんよ。一周回って新鮮ということだってありますし。いずれにせよセンセイはこのままご自分を貫くべきです。左顧右眄すると評価も定まらなくなるし、ブームもついに訪れない」
「君子豹変するなんて言葉もある」
「そうですが、私は好きですよ、この『猫梅』。おまえ猫梅にしてやるとか、流行語になるかも」
「茶化してるの」
「まさか。言葉足らずで申し訳ございません。私が申し上げたかったのは、この作品は唯一無二であるという一事です。ほとんど修正なしで掲載できるかと思います」
「僕はね、おべんちゃらには礼をいわない主義なのです。だから褒められても礼はいわない。褒めて伸ばそうなんて思っているならとんだお門違いだ。この歳になるとね、もう誰も意見なんていってくれなくなるんですよ。K君はほかの作品との類似を避けるためにプロットの修正なんかは迫りましたがね。私が作家としてほしかった言葉はついに与えてくれなかった。まずは私の本質的な欠陥の指摘ですね。それから始まって、今後私が目指すべき指標の提示というのかな。身近な人間に批判されなくなったら、当の本人は見限られたも同然ですよ。生きながらに葬られるというのかな。こんな寂しいこともありません」
「でも、Kさんは、ご担当された当初は歯に衣着せぬ物言いだったのが、時間を経るうちに批判がましいことを言わなくなった、ではないんですよね」
「人付き合いでなんであれ、深入りしないというのかね。良くも悪くもあの淡白な感じは性格なんだろうね。私らの世代からするとずいぶんと冷たく映る」
「私らの世代って、なんですか」
「君らのいうところの『昭和』だよ」
「Kさんも昭和生まれのはずですけど」
「屁理屈はいいよ」
「屁理屈ではありません。事実を申し上げただけです」
「だからさ、なんにでも例外はあるさ。昭和生まれでも昭和的感性に染まらない奴もそりゃいるでしょうよ。僕のいってるのは『昭和的感性』でひと括りされるはずの、フーコーのいうところのエピステーメーだよ。特定の時代の知の枠組みみたいな。昭和的感性においては、時には相手の玄関の敷居を土足で跨いで、ざっくばらんに物申す。酒に力を借りて本音をいい合う。こんなこと、言葉にするとじつに馬鹿馬鹿しいんだけど、まぁつまるところ人情ですなぁ、そういう次元で作家と編集者が丁々発止して互いを高め合う、なんてことは金輪際ないんじゃないかと思うよ」

 お察しの通り、私はこのときまでに相当露悪的になっておりました。しかしTはさすがはZ世代と申しましょうか、動揺などおくびにも出さずにこちらの思いつきを真正面から受けて、時間をかけて咀嚼するようでした。こういう御仁に対しては、ほんのちょっとの論理破綻も命取りになります。なにせ相手はO女子大の修士様です。だから私のほうこそじつは怯み始めていた。
「つまり、人情とはセンセイのおっしゃる昭和的感性の専売特許であるわけですか」
「いや、だからね、例外はなんにでもあるでしょう。現代においてもそりゃ人情はあるでしょうよ。しかし昭和的な人情とは違うと思うなぁ」
「私は世代論ほどくだらないものはないと思っております」
「そう考えるのも、そりゃ自由ですよ」
「いっときさる高名な評論家が、『耽美派』『新感覚派』『第三の新人』『内向の世代』というふうにさる作家群をひと括りにして論じたことがございました」
「その顰みにならって私は『反動の世代』ということになってる」
「そのレッテルは、ご自身を言い当てているのですか」
「全然。昨今ある種の病にADSLやらHDMIやら横文字の名前が与えられてるでしょう。あれと同じで、名付けはなんでも大衆的に据わりがいいんです。偏見には違いないが、なんらかのポストを与えられたような錯覚を得るんじゃないか。そう考えると反動の世代も悪くない。免罪符みたいなね」
「なにに対する免罪なんです」
「さあね。人生、とでもいっておきましょうか」
「なるほど、辛酸をしか舐めさせない人生に対する報復としての文学ですか」
「そうかもしれない」
「にしては、甘すぎるというか、ショボすぎる人生ではございませんか、センセイのそれなんて。報復だなんて、小さな子どもに隠しておいたケーキを食べられたといって本気で殴る大人のような狭隘さじゃありませんか」
「ちょっと失礼じゃないか、君」
「傷つかれたのですか、センセイ」
「いや、私は嗜めているんだよ」
「うーん、ちょっと一緒に考えてみましょうか」

 このあたりからTの口調が変わったように思います。polite で decent で、それゆえに timid にも感じられた態度がにわかに大胆さを増して、今や私の背中に片手を添え(Tは勧められた椅子についに座らず、立ったままこの対話をつづけるのでした)、座る私の後方から身を被せるようにして前のめりになっているのでした。猫顔がすぐ私の顔の横に来て、私はその肌の白さとキメの細かさとに瞬時に魅入られていました。
「センセイの課題はね、古い古くないんじゃないんだよね。事実、古いと認定しているのはご自身だけなんだ。編集者も、それからセンセイのいう大衆もね、古臭かろうがなんだろうが面白ければあとはどうでもいいんですよ。まあ、読みやすさというのは無視できませんけど、面白さと読みやすさは必ずしも両立するものではないし、その必要もない。センセイもやってるSNSだけど、センセイも以前呟いてたじゃない、巷に溢れる詩人気取りは手垢まみれの言葉弄ぶ腐りかけの死人、自称小説家は自笑剽窃家にして自傷饒舌家、作家と名乗るに至っては、白壁汚す糞便のひと刷毛の擦過に過ぎずと。それすら叩かれもせず炎上しなかったのには私、密かにほくそ笑んでおりました。それはともかく、簡便な言葉は簡便な事象にしかたどり着かないのは、SNSを覗くまでもなく自明じゃないかしら。だからいいんですよ、真っ当なこと書いてるのに、難しいからとか長いからとかでまともに読まない・読めない輩を相手にすることはないのです。それで読者が篩にかけられることがあっていいというのが、私の立場です」
「しかし君、それじゃあ、月給取りの身で、会社の利益に貢献することにならないでしょう。担当する作家には売れてもらわなければ意味がない」
「ですからね、面白ければ売れるんですよ。で、センセイの書くものはね、古臭いとか古臭くないとかの以前に、有体にいうと面白くないんです。でも、それでいいと申し上げてるんです。世の中の価値とは、利益ばかりではないでしょう。それは会社だって私と同じ考えです」
「君、いくらなんでもずいぶんじゃないか」
「語弊がありましたね。そこは謹んで訂正させていただきます。センセイのお書きになるものは、万人にとって面白い、ではないということです。センセイこそそうした事態を甘受されるのではないのですか」
「いや、僕だって売れたいよ」
「なぜです」
「そりゃ、お金も入るし、世間はチヤホヤするだろうし、こんなふうに机に肘ついて顎に手なんか添えてさ、テレビのインタビューなんか受けてみたいのよ」
「本気でおっしゃってるんですか」
「うーむ、本気かどうかはともかく、嘘ではないな」
「なるほど。とんだ俗物だったわけだ」
「今更気がついたか」
「いえ。私はセンセイの作品を題材に論文を書いて学士修士と号を頂いている人間です。センセイの作品と人物については、見誤ることはないと確信しております。おそらく奥様ですら私にかないますまい」
「私のなにを知ってる」
「強いてお答えするなら、甘ちゃんだということ」

 私はTの気迫に押されて二の句が告げないのでした。Tは畳みかけるようにつづけます。
「俗物でもなんでも、もう若くもなく、もとより見目麗しいわけでもないし旧帝大出でもない、いうなればほかに取り柄もないような売れない物書きが、夢みたいなことほざいたところで憐れまれもしないことくらい、センセイならとうにおわかりのはず。それでもどうしても売れたいとおっしゃるなら、ほかならぬセンセイの頼みです。私はひと肌でもふた肌でも脱ぐ覚悟。問題はセンセイのほうにどれだけの覚悟があるかですよ」
 たしかに私は自身の芸術のいっさいの否定を望みはしました。しかしいささかアテが外れているのに戸惑わずにはいられなかった。なんというんでしょう、いうなれば晩年の谷崎潤一郎と息子の嫁の千萬子との関係を私は暗に想定していたようなのです。若い娘から古い、ジジむさい、と罵倒され、オロオロしながらも精いっぱい若ぶる自分になにをか期待していたのでした。足首から下への憧憬など私にはハナからございませんでしたが、なんとなればTの足の指をしゃぶることになろうとやぶさかではなかった。そのようなグロテスクな戯画化こそは、反動の世代にふさわしいとどこかで思うのでもあった。しかしあちらは潺湲亭とやらの何百坪とある日本庭園擁するお屋敷を舞台に繰り広げられる痴話沙汰だが、こちとら所得制限のある公団の一室に住まう三流作家の切望するそれだから、いかにも三流らしい惨めな展開となるのらしい。なんといっても私は早くも主導権をこの小娘に明け渡そうとしているのでした。私は娘の素性からなにからまだ微塵も知らないといってよかったし、その姿形をじっくり眺めて堪能する、あるいは批評するにさえ至っていないのでした。
「どうなんです、センセイ」
 私は不承不承ながら、イエスと答えるほかありませんでした。

「それならこの『梅猫』の書き直しから始めましょう。全面的に書き直していただきます。まずはタイトルは『キャット・ピープル』にして。主人公は一見どこにでもいそうなサラリーマンだが、重度のサイコパスとしましょう。猫を主人公が拷問し、殺して解体している場面を冒頭に持ってくる。ただし、人称は伏せる。なにを解体しているかも伏せる。手段と部位と光景だけを機械的にそして入念に書く。念のためお聞きしますが、サイコパスを書くときの鉄則は」
「いや、そんな小説書いたことないから」
「簡単です。主人公の内面はいっさい書かない。行動および動作のみを客観的に書くに徹する。センセイは、微に入り細に入り書き過ぎる傾向があります。プルーストとか大江健三郎とか、そんな影響関係をどうしても刻印しようとするようですが、そういうのは誰も求めていないです。わかったところで、スゴいね、なんて誰も思わないの、ちょっと考えればわかりますでしょ。息の長い文章自体はセンセイの持ち味なんですが、それをまずは封印しましょう。複文はNG、重文も極力避ける。単文を投げつけるように書く。参考とすべきはコーマック・マッカーシーです。で、段々と夜更けに猫を殺しては庭に埋めている主人公の日常を明かしていきましょう。そこへ、なにも知らない主人公の妻を登場させ、庭の梅が咲き始めた喜びを夫に伝える場面をつなぎましょう。緩急を意識して。そのあとは筆の赴くまま書き進めてみてください。出来上がったら、また一緒に考えてみましょう」

 こうして私はTの敷いたレールの上に乗っかって、渋々筆を起こしたのでした。ところが数日もすると、高揚している自分を発見する次第でした。単文を投げつけるように書くことの快楽に目覚めたのかもしれません。それもそうですが、Tを屈服させたい、Tを認めさせたい、否、正直にいいましょう、Tに認めてもらいたいと私はなっていたのです。それで私はデビューしてから今日まで、こんなに根を詰めて書いたことがあったろうかというくらい寝食を忘れて書き継いだ。書いては消し、消しては書いて、私のもっとも筆の躍る脱線部分の削除修正に努めた。
 二日おきにTが様子を見に来る。仕事終わりでどんなに遅い時間になろうと、Tは必ず訪ねた。原稿をじっくり読み込んで、それではここはこう、あそこはこうと具体的に修正の指示を出す。私は私で黙って粛々とメモを取る。

 こんなことをひと月と続けて、『キャット・ピープル』はなんとか締め切り前に校了したのでした。そうして現代作家のアンソロジーに収録されたその短編は、その年の川端康成文学賞の候補に上がったのでした。受賞こそ逃したものの、候補作に挙げられたことで俄然私への文壇の注目度は上がった。原稿の依頼が増え、多少懐も潤った。
「テレビのインタビューなんて、望まないことです。あんなもの、ろくなことになりませんしね」
 Tはそういって私に釘を刺すのを忘れませんでした。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?