般若心経をロックに読み解く
フォレスト出版編集部の寺崎です。
先週末は義理の父の1周忌でした。
埼玉県某市。市内最古の本殿を擁するお寺で取り計らわれたのですが、今回はお坊さんのお経をたどって真剣に聞いてみました。
というのも、実は密教の「真言(しんごん)」をテーマにした企画を暖めており、そのお寺は密教をルーツにしたお寺であったため、個人的に最近お気に入りの真言が聞けると期待したからであります。
結論としては・・・ぜんぜんわかりませんでした。
お経を読む前に「ゴリkソアkrmgkッモkパr・・・」と謎のマントラを唱えているのを確認しましたが、おそらく何らかの真言なのでしょう。
「真言って、なに?」という方にはこちらのYoutubeをおすすめします。
これは「不動明王真言」をひたすらループにしたもの↓
ノウマク サンマンダ バサラダン センダン
マカロシャダヤ ソワタヤ ウンタラタ カンマン
不動明王って、怖い顔してますよね・・・。この表情は仏敵に対する威嚇を意味するほか、衆生への愛の鞭、叱咤の意味合いも込められているそうです。
真言で有名なのは、もうひとつ、これです↓
真言宗においてもっともよく唱えられている「大日如来の真言」が「光明真言」です。
となえたてまつる光明眞言は大日普門の萬徳を二十三字にあつめたり おのれをむなしゅうして一心にとなえたてまつれば みほとけの光明に照らされて 三妄の霧おのづからはれ 浄心じょの玉明らかにして 眞如の月まどかならん
おん あぼきゃべいろしゃのう
まかぼだら まにはんどま
じんばら はらばりたや うん
いかがでしょうか。なんだか心が休まりませんか。
さて、お経といえば、日本人でもっとも有名なものが「般若心経」です。般若心経については、たくさんの書物で解説されてきました。多くの人々が研究を重ねてきました。
しかし、その説明を完璧に凌駕して、しかも笑える般若心経の解説を試みたいのが幻の名著『29歳からはじめるロックンロール般若心経』です。
え、なんで、幻なのかって?
そこは大人の事情。お察しください。今日はこの『29歳からはじめるロックンロール般若心経』を一部ちょい出しでご紹介します。
「般若波羅蜜多心経」のホントの意味を知ってるかい?
般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)
ロックンロール超訳
「最初にこれだけははっきり言っておく。
手ぶらでバカな奴ほど、
悟りの向こう側に行けるんだゼ」
私のモットーは「人間、手ぶらでバカがいい」です。
ゲームソフト、パソコン、フィギュアなどの趣味や、貯金、恋人、会社員としての身分など、持てば持つほどあなたの欲は燃え盛り、キリがなくなります。
では、知識などの教養を持つのはどうなんでしょうか。
資格を取ろうとがんばっている人などは例外として、目的のない雑学やウンチクなども有害です。テレビで雑学チャンピオンなどを競ったりしていますが、それがいったいなんなんでしょうか。テレビに操られてはいけません。
ところで、「般若心経」の「はんにゃ」って、お笑いコンビにいますよね。
あの「はんにゃ」とは般若のお面からその名前をとっています。
般若のお面って、あのコワい顔のお面です。
でも、仏教で言う「般若」はもっと意味をさかのぼって、「智慧」という意味です。
「智慧」と「知恵」は字は似ていますが、意味がまるっきり違います。
「智慧」とは仏教の教えを直感的に理解する聡明な心とでもいいましょうか。
一方、普通に使われる「知恵」とは、英語で言うと、「クレバー」というか「利口」という意味も含まれていて、頭がかしこい人のアイデアなどのことを言いますね。
知識ばかりを詰め込んだ、生意気なやつらは会っているだけで、疲労困憊します。
もちろん、知恵もいい意味で使われることが多いですが。
では、仏教の「智慧」って、どんなものでしょう。
そう、先ほどから述べている、「空」を体得した心のことです。
知識人とかインテリとかとは違います。「悟り」を得た人の心です。
世の中の尺度に惑わされない心です。他人と比較をしないまっすぐな心です。学歴なんか関係ありません。
「波羅蜜多(はらみた)」とは「彼岸を渡る」という意味です。
彼岸とはお彼岸などのときに使われたりもする言葉ですが、まあ、簡単に言うと、「あの世」のことです。
「あの世」といっても、死んでしまったら行く世界ではありません。
「ほとけの世界」「悟りの世界」のことです。
ですから、何も死んだ人が行くだけの世界ではありません。
生き苦しい「この世」「迷いの世界」「比較の世界」、世間のモノサシに振り回される苦しい世界から、「彼岸」に渡って、自由自在のゴキゲンな世界へと入りましょう、というのが、「波羅蜜多」という意味です。
つまり、「般若波羅蜜多」で、「智慧を持って、彼岸に渡ろう」という意味で、これを「智慧の完成」などと呼ぶこともできます。
心経とはお経のことですから、「般若波羅蜜多心経」で、「智慧を完成させるお経」という意味です。
繰り返しますが、「智慧」と「知恵」は違います。
仏教のすばらしさを生きる人々にとっては、世間で言うところの頭のよさなどは問題にしていないんですね。
そんなのは、ほっとけ、というわけです。
高学歴の人やエリート社員の人たちは、世間のモノサシを上手に使って、世間をうまく渡っています。
私の知人にもそういう人はたくさんいますが、そういう人がものすごくハッピーに生きているとは限りませんよ。
むしろ、知恵がじゃまして、
「おれは大学であいつに負けているけど、就職では勝った」とか、
「あいつが部長で、おれが課長なんて、会社はアホだ」とか、
「あの子はお嬢さん育ちだから、みんながちやほやする」とか。
本当にどうでもいいことに一喜一憂しています。
比べるものが多くなればなるほど、生きにくくなっていきます。
比べる規模が小さくなればなるほど、生き苦しくなっていきます。
実につまらないことです。そういう知恵達者な人こそ、「小さな悟り」も少なく、「般若波羅蜜多」の世界からは遠く隔たっているのです。
よかったですね、私やあなたのような不器用で、ちょっと損の多い人生を歩んでいる人のほうが、ブッダの世界への気づきは近いんです。まずはこの冒頭の一文で心が晴れましたね。
「人間、手ぶらでバカがいい」ですよ。
あなたの恋人はあなたが思っているような人間ではない
受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
ロックンロール超訳
もっといえば、あんたがいちばん
大切にしてる「ジブン」ってヤツだって、
クソの役にも立たないゼ。
「受想行識もまたかくのごとし」と読みます。
いままで「色」(物やカネの世界)について「空」だと言ってきました。
お金や地位や名声はあったらうれしいものですが、それが永遠に続くわけではないし、絶対的なものではありません。偶然手に入ってもそれらは「無常」です。それらにしがみつくと、苦しみが生まれます。
「受想行識」もまた同じです。
「受想行識」とは前述のとおり、人間の心の働きのことでした。
これもまた「空」です。あなたが作り上げたイメージや信念も絶対的なものではありません。
あなたは自信を失ったことはありますか。私はあります。あなたの能力やセンスも絶対的なものではありません。だからそれにしがみついてはいけません。
ところで、仏教のジャンルで「唯識(ゆいしき)」というものがあります。この教えによりますと、あらゆる存在は「心」にしかすぎないのです。
あなたが見ている世界は、すべてあなたの心が作り出しているもので、別に本当にこの世界に存在するわけではないという主張です。
たとえば、私が立川市に住んでいる薬剤師の敦子さんという人を大好きだったとします。敦子さんに恋こがれて自分の中ですごいイメージをかきたててしまったとします。
「敦子さんはやさしい」
「敦子さんは思いやりがある」
「敦子さんはオレを愛している」
「敦子さんはオレにエロい」
でも、実際の敦子さんは浮気はしているわ、私の悪口は陰で言いたい放題、なんてことはよくあることです。ショックなことです。私もそういう体験はよくありました。
人間は自分の「思い」を外界の対象に押しつけて独りよがりなイメージを作り上げるものです。
「かわいい」「金持ち」「ブス」「貧乏」などと外界の対象に自分好みのレッテルを貼り、私たちは勝手な「思いこみ」を作り出します。私は自分の勝手な「思い」を赤の他人の立川市の敦子さんに押しつけているだけなのです。
「唯識」の考え方で言うと、あらゆる存在は「心」にしかすぎないのだから、実際には、私の思いどおりの立川市在住の薬剤師の敦子さんは存在しません。私が勝手にイメージしている敦子さんと立川市の敦子さんは別物であります。
極論に感じますか。でも、思い当たるフシはあるでしょう。
このように心というやつは自分勝手で傲慢なものであります。
オレの女。
オレのセフレ。
オレの愛人。
オレの妻。
ワタシの彼氏。
ワタシの親友。
勝手に「オレの○○」「ワタシの○○」と「呼び名」をつけて、私たちは、相手を自分の都合のいいように支配しようとしてしまいます。
でも、そんなものには実体がありません。
幻なんです。
すべては「言葉」に原因があります。
「オレの女」「ワタシの彼氏」など、人間は相手に自分勝手なレッテルを貼り、ちょっとだけ安心しますが、相手はペットではありません。
思うようにはならないんです。
自分の思いどおりの相手など幻です。
心(脳)は自分で自分をだまし・だまされて活動しています。
自分勝手な「思い」を言葉にして、語りすぎてはいけません。自分勝手な言葉には自分自身もだまされてしまいます。自分勝手な言葉は結局、自分を傷つけます。
自分の心も言葉も「空」であり、実体がなく、確かなものではありません。
自分勝手な言葉や「思い」で、人を支配したり、人を比較すると最後は自分を苦しめることになります。
いかがでしょうか。
ロックンロール超訳が真骨頂の『29歳からはじめるロックンロール般若心経』(二階堂武尊・著)はnoteで読むことができます。
なぜ、本書のタイトルが「29歳からはじめる」なのかというと、ブッダが出家したのが29歳のときだったからです。
ぜひ、あなたも現代のココロの出家をしませんか。
『29歳からはじめるロックンロール般若心経』を携えて。