
「味」を書くのではなく――朝日新聞・名文記者が語る「味覚」の書き方
10月に入り、だいぶ秋めいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
秋といえば、「食欲の秋」と呼ばれたりしますが、美味しい食べ物が多く出回る季節でもあります。そんな中、最近自分が食べてみて美味しかったものについて、誰かに伝えたくなることも少なくないのではないかと思います。
しかし、どんなに心を動かされた食体験をしても、いざ言語化しようとすると、うまく伝えられないということもあるのではないでしょうか?
相手に「美味しそう!」「食べてみたい!」と思ってもらえるように文章で表すのは、案外難しかったりします。
では、どうするか。
それにははやり、プロから学ぶ。これにまさる方法はありません。
朝日新聞の名文記者として知られる近藤康太郎さんによると、「味覚」を書くには、実は「味」は書かない方がいいそうです。
どのように「味」を「言葉」に移したらいいのかについては、近藤さんの最新刊『文章は、「転」。』(フォレスト出版)で解説されていますが、この記事では、本書から「味覚」を「言葉」に移した例文を一部ご紹介させて頂きます。
大広間は雑然とならべられた大小のテーブル、その上に堆高く重ねられたまんじゅうの丸い蒸籠、これを取り囲んでパクつく人間ども、まんじゅうの温気 と人いきれ、声高い談笑、ボーイたちのかけ声、揚州の一日はまんじゅう屋から始まるといった景気である。実際、揚州の市民たちは、起き抜け、寝ぼけ眼で、ここに集まり、熱いタオルで眼を覚まし、新聞を読み、まんじゅうを食い、商談をはじめるのかもしれない。そんな趣である。
蒸籠には、枯松葉がいちめんに敷いてある。(略)その上に、まっ白なまんじゅうが、行儀よく、ふくれ上がって並んでいる。こいつを、あわててパクリとやってはいけない。中に、舌を火傷しそうなおつゆが入っているからである。半分食いちぎろうとすれば、おつゆがこぼれてしまう。放っておけば、おつゆが外にしみ出てしまう。頃合を見はからって、パクリとやらなくてはいけない。(略)見事にふくれ上がった薄皮は、熱い蟹の卵のおつゆに、気持ちよく溶けるのである。
(小林秀雄「蟹まんじゅう」)
まんじゅうの湯気、朝から活気のある人いきれ、忙しく立ち働くボーイたち、食器のぶつかる音まで聞こえてきそうです。自分もこのまんじゅうを食いたい、というより、この場にいたい。
味覚にせよなんにせよ、五感は結局、文字では再現できないものです。だとしたら、その「場」を書いたほうがいい。場の、音や匂い、熱気を書く。
以上、味覚を表現する文章の一例をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
味覚を表現するというと、とろける甘さ、さわやかな酸味、さっぱりした味わいなど、味そのものを表現してしまいがち。しかし、著者によると、味覚で書くというのは、「味」ではなく、「場」を書くとのことでした。
本書では、その他にも「文豪の名文」を多く例に挙げ、①視覚②聴覚③嗅覚④触覚⑤味覚の5つにわけて、五感を使って具体的にどのように文章に表現したらいいのかを紹介します。
「五感に訴える文章を書けるようになりたい」
「もっと上手く文章を書けるようになりたい」
「自分にしか書けないものを書けるようになりたい」
そんなときに、ぜひ読んでいただきたい一冊になります。
もしご興味をお持ちただけるようでしたら、ぜひお手にとって読んで頂けますと幸いです。
(フォレスト出版編集部・山田)
▼関連記事はこちら