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①料理から考えるコロナ状況下の自己実現
あなたは普段、料理をするだろうか。
いやあ、奥さん/ 旦那さん/ お母さん/ お父さんに作ってもらってばっかりだよ、という方。今料理を作ってくれる誰かがいるということに心から感謝しよう。そして、今日は相手にお花を買い、「いつも美味しいご飯をありがとう」と言って、渡してあげてほしい。
面倒くさくて、コンビニやスーパーで買ってばかりだよ、という方。毎日大変お疲れ様です。くれぐれも健康管理には気をつけていただきたい。意外とコンビニ飯は添加物が多いし、脂質の割合も高かったりする。
頻繁に自炊しているよ、という方。素晴らしい!毎日何かを作ることはなかなか難しいのではないだろうか?そっと片手を頭の上に載せ、よしよしと自分を撫でて労ってあげてほしい。レタスとトマトを洗って水切りし、豆腐とサラダチキンを載せて「夜ご飯できたぜ!」と満足してしまう私からのお願いだ。
料理が決して得意ではない私だが、一人暮らしを機になるべく「家ご飯」を作るようにしている。なぜか家で作る料理は、弁当と違って毎日食べても飽きない。また、自身が料理中と洗い物中の頭を真っ白に作業に没頭する感じが好きだということもあり、予想以上に継続できている。 ちなみに、私の不器用さをよく理解した家族・友人たちは私が継続して料理をしていることに驚いている(得意料理は野菜をざく切りして煮立て、ほんだしと味噌を加えるだけで完成する味噌汁である。これも立派な料理だと私は胸を張って言える。えへん)。
ある日、いつものようにテキトーに野菜をざく切りしていたとき、ふとひらめいた。
私たちがコロナショックにおける気づきを通じた議論から得た、今後持っておくべきスタンス・考え方は、まさに「創作フュージョン料理」と「冷蔵庫お片づけレシピ」で説明できるのではないか?
そこで、本稿では料理をアナロジーに、自身がコロナショック下で「人々の自己実現に対する行動」を考察した結果を紹介してみたいと思う。
観察から得た気づき
コロナが流行し、緊急事態宣言が施行されたことで、「外出できない」という特殊な状況が全世界的に発生した。ほどなくして、人々の意識は「いかにStay Homeを充実させるか?」にシフトしていった。
・以前は周囲で「外に出たい」という声も多く聞こえていたが、最近は「外に出るのは怖い」が多く聞かれる。
・自身も、外に出られないという環境に適応してきている。今までは外に出られない不満/自分は我慢しているのに外に出ている人への不満が多く見られたが、外に出られない中でどう過ごすか、に目を向ける人が増えてきている?
・「GWどう過ごそう?」という声が聞こえる。皆がこれからの生活を在宅前提で物事を考えるようになってきていることの表れか。
(Foresight Creatorsの4月のミーティングで共有されたInsightを引用)
私が特に興味深いと感じたのは、個々人の時間の使い方である。
今までの通勤時間がなくなり、リモートワークが導入された初期は、「時間を持て余す」人が多く見られた。私の身の周りでも、いきなり与えられた時間を、どう使うかに、頭を悩ませる人も一定数存在していた。外に出ることができないことにストレスを感じる人、何をするでもなくダラダラとネットを見て過ごす人、これを機に楽器を始める人、オンライン飲み会を頻繁に開催する人。得体の知れないウイルスの脅威に、メンタル面でしんどさを抱える人が増えているという情報も、ネットで知った。
次第に、中止となったリアルの場でイベントが、インターネット上に移行し始め、多くの「オンラインミーティング」「オンラインワークショップ」が開かれるようになった。巷では「コロナと我々はどう共生していくべきか」という問いに対して、様々な立場の人が思い思いの意見を述べ、「Afterコロナにおける新しい生き方」「Withコロナ時代の私たち」などという記事がいくつもメディアに踊るようになっていった。また、そういったメディアの記事に対して、何かしら反応する人も増えていった。5月以降は特に、いろんな考えがあちこちで発信され、毎日メディアやSNS上で意見交換の場が提供されていたように思う。
・コロナが6月には落ち着くという人もいれば、2年後までどうしようもないという人もいる。見てるデータは同じなはずなのに、専門家や知識人が出す答えは大きく異なる。何をどう考えるかというのはとても大切なんだと思う 。
・最近開催されるオンラインイベントの数が多くなったように感じる。自身も興味のあるものに参加してみたが、オンラインイベントは、かなり盛況だった。オンラインで初対面同士で交流することから、発表側が聞き手に対する伝え方を工夫している点が多々見られた。
(Foresight Creatorsの4月のミーティングで共有されたInsightを引用)
情報量が多くなる中で、自分も含め多くの人々が情報を収集し、他人が持つ考え方や生活のコツを参考にするようになった。また、人々の中には、得体の知れない混沌とした状況をどうにか見通しの立つものにしようと、確度の高いもの、いわば「正解に近いもの」を求めようとする人が増えたことに気づいた。
コロナ状況下の「自己実現」
コロナによる影響から自身の今後のキャリアや価値観を省みた人は少なくないのではないか。よりよい自分になることへの取り組みを、「自己実現」と呼ぶのであれば、あらゆる世代が自己実現の手段を考え直すきっかけを得るに至ったと私は感じている。
どうすればこの時間を有意義に過ごせるのか。どうすればコロナ化の環境変化を自身のこれからの生活に活かせるのか。設定した問いに答えられる情報を得るために、手当たり次第に記事を読む。あるいは、何かを知ってそうな人の話を聞くために、あちこちのオンラインイベントに参加してみる。あなたの周りには、そういった人はいなかっただろうか。何を隠そう、私もその一人だった。情報を集め、整理することが今自分ができるコロナにおける自身の自己実現のひとつであると考えていた。
「これからの時代は、異なるものをミックスさせていくことで新しい価値を作り出していくことが重要と言われている。異分野・異業種の人々と意見を交換することで、何か新しいものに気付けるのではないか。」
「現在の自分の状態やスタンスにもやもやしてしまうのは、何かしらの原因があるはず。人生の先輩に聞けば何かわかるかもしれない。」
しかし、こういった行動を取っても、自分のもやもやに対する「解決策」が提示されることはなかった。出会う人の多くは、「そういうこと、あるよね」「悩んじゃうよね」と同意を示してくれる。ただ、それだけ。でも、それだけで気持ちが楽になってしまう自分もまた、存在していた。
そして、一度、何か自分の外に目を向けるのではなく、すでに「在る」ものを一つひとつ確かめてみることにした。
いつでも相談に乗ってくれる友達、離れていても自分を想ってくれる家族、過ごしやすい住環境、安定した給料をいただける今の職場。はじめましての人たちばかりのオンラインイベントに飛び込む好奇心、在宅生活を心地よいと思える適応力、リフレッシュとして早朝ランニングを楽しめる体力。
今、よりよい自分になるための「手段」がわからなくても、自分の手の中にある人間関係や性格・性質は、決して悪いものではなく、むしろ自分はとても幸せな人間であるな、と改めて思えた。また、特別何かに優れているような自分でなくても、この今の自分で、自分の立ち位置で、自分の未来を見つめ直すことも悪くないんじゃないかと思えた。
今まで自分がなかったものを学び、得て、組み合わせ、これまでになかった新しいものを作り出すスタンスから、すでに自分があるものを見つめ直し、平々凡々とした、けれどもどこか肩の力が抜けた自然な状態で、目の前のものをありあわせてみるスタンスへ。
省エネな考えに思えるけれど、私自身は後者のスタンスが、非常にしっくりときた。
2つのスタンスの分析
もう少し、この2つのスタンスへの理解を明確なものとするために、ペルソナを用いて考えてみたい。
ケース①:仕事がうまくいかないAさんとBさん
Aさん
「今の間違った方法で物事を進めてしまっている自分を、より正解に近づけていく努力をしよう。 そのためには、『どうしたらよいかを知っている人』に、話を聞いて回らなくちゃ!」
仕事が上手くいかないのは、やり方が間違っているからだ…。 よくできる人に、なぜ自分がうまくできないのかを教えてもらわなければならないな。 Eさんは△△することが大事、って言っていたな。
一方、Fさんは××するのが良いって教えてくれた。 どっちに従うことが大事なんだろう?どっちの声を聞いたほうがいいんだろう? 間をとると「○○することが、仕事をよりよく進めるうえで必要」ということだろうか?
いや、でもこの考えがあってるかEさんやFさんに確認したほうがいいな。 仮に、○○できることが正しいとしたら、自分は何がなんでも○○できるようにしなきゃ。
Bさん
「なぜうまくいかないのか、はっきりわからない…。まずは、そのように感じる自分の状況やタイミングを 一回きちんと振り返ってみよう 」
仕事がうまくいかないのはなぜなのだろう。 今の自分のやり方が間違っているのか?それとも、焦点を当てるポイントがずれているのだろうか。 自身がやりづらさを感じる点、一番気になっている点はどこか、改めて考えてみよう。
(熟考)
自分がなぜそのように感じているか、というのが明確にわからないな…。とてももやもやする。 自分が感じている理由がわからなければ、そのように感じたタイミングを一度振り返ってみよう。
(振り返る)
今の自分がなぜ仕事がうまくいかないのか、それは、自分が思い込んでいるだけなのかもしれない。 たまたま先方の状況が自分たちの進め方と合致してなかったり、 上司にコミュニケーションするタイミングが悪かったりしたのかもしれない。 もしくは、上司が微妙な表情をしているのに、特にフィードバック等なしに自分と接するから もやもやしているのかな。何か言いたいことがあるんじゃないか、自分ができていないのに 指摘しにくいから言わないのかも、と推測してるかもしれない。
うーん、わからない! でも、「何を改善しなければいけないか」という答えを探そうとするのではなく、 「自分がどういったときにネガティブに感じているか、そしてそのときにそのように感じている理由は何か」 を一回きちんと整理するのが良さそうかもな…。
ケース②:キャリアに悩むCさんとDさん
Cさん
「正しい人に、正しいことを教えてもらおう。私の人生、どう進むのが正解ですか?」
将来を考えると、やっぱり英語をきちんと勉強するのが正しいんだろうな。 あと、一人で稼ぐ力が必要だから、独り立ちできるスキルはいる。 そのためにこういった資格をとっておかなければね。 成功して楽しそうに働いているEさんは、転職のタイミングが大事、って言っていたからそこも間違わないようにしないと。
雑誌やメディアによると、30歳が一般的なキャリアチェンジの瀬戸際らしいから、そこまでに絶対一回は職を変えたほうがいいんだろうし。 物知りなFさんにも一度話を聞いてみよう。確か次はITのスキルが必須って言ってたし、 次に来るトレンドも知ってるだろうな。あの人に聞いておけば間違いない。 私の現状を話して、いろいろ教えてもらおう。
一度きりの私の人生、間違えたくない。成功例を参考に最適解を探していくのが、幸せへの近道。
Dさん
「よくわからないけれど、わからないなりに考えて、スタンスを取ることはできるはず。 今はもやもやを抱えた私自身をありのままに受け止めることしかできないな」
自分が最近キャリアについて悶々としてしまっているから、一度区切りとして整理する必要があるかも。 自分はどういった人生を歩みたいんだろう。人生において何を成し遂げたいんだろう。
DX、AI革命、データ新時代などいろんなワードが飛び交っていて、 そういった時代になるんだろうけど…でも一番大切なのは、そういった流行りにのっかることじゃなくて、 そもそも私は何を幸せに感じるか、それをどう実現するか、のはず。 今までの経験で、自分はどういった成功体験があったかな。そしてそれを、来る時代の中でどうやって生かしていけるだろう。
(考えてみる)
自分のことを棚卸しすることはできても、時代がどうなるか、何が必要になるか、なんてわかんない…。 でも、少なくとも自分以外の人に話を聞いて、考える視点は増やせそうだな。
一回、今後どういったことが重要になると思うか、雑談ベースで意見を友達や先輩に聞いてみようかな。 そこで話してもらったことにたいして、自分がどう考えるかで、何か見えてくるものがあるかもしれないしね。
いかがだろうか。2つのスタンスのイメージを持っていただけただろうか。
どちらがよい・悪いという話では決してない。私が伝えたかったのは、自己実現について大まかに2つの方向性があり、一般的に多いであろう前者の「正解を探す」スタンス以外にも、道はあるのではないか、ということである。
これらのスタンスは例えるならば、特別な日のご褒美ディナーにふさわしく、おうちだと再現が難しい「創作フュージョン料理」と、賞味期限間近の食材を消費するという目的で作る、手抜きだけどそこそこ美味しい「冷蔵庫お片づけレシピ」だ。
「創作フュージョン料理」と「冷蔵庫お片づけレシピ」
創作フュージョン料理は、異なる分野と分野を融合させ、今までにない、目にも舌にも新しい料理を生み出すことを目的にしていると、私は認識している。これは、一般的に「イノベーション」と呼ばれる、新たな価値を生み出すための取り組みと似ている。
自分にない、異なる資質・要素を組み合わせて、今までにはない「正解」を作り出す。意外性と革新性が期待されるその様は、一般的に人々が自己実現を達成するために試みていることに極めて近いように思われる。
写真は最近行ったイタリアンで出てきた前菜。なんとこれ、ししゃもなのである。周りをぐるぐると囲まれて、フリットされている。あまりのおしゃれさにウェイターさんの言う「SHISHAMO」ってなんか珍しい食材かな、と思ってしまった。ちなみにガールズバンドではない。
SHISHAMO、お前、いつの間にそんな垢抜けたんだ…(とてもおいしかった)
一方、冷蔵庫お片づけレシピは、余った食品を使い切ることが目的だ。食材を目の前に並べ、「あ、なんか炒め物できそう」「茹でて適当にパスタと合わせるか」というなんの変哲のないアイデアが出てくるのを待つ。
これは、私がいう省エネ的スタンスのもと、「想定通りの」「よく知っている」要素をあり合わせることにかなり近しい。換言すれば、「今あるものをどう活用するか」を考え、手を動かし、でてきたものを楽しむということである。
表:創作フュージョン料理と冷蔵庫お片づけレシピの特徴と目的
コロナで先が読めない時代に、自己実現を果たしていくうえで我々に求められているのは、ひょっとすると、頑張ってフュージョン創作料理を作ることなのではなく、冷蔵庫お片づけレシピをぼんやりと作ってみることなのかもしれない。
今ある状況をどう「変えていくのか」ではなく、今の状況を「どう活かしていくか」に注力する。
何かを変えようと意気込むのではなく、まずは自分を見つめて、受け入れてみる。
不安で先が見えないということは、とても怖いことだ。今のままの自分では、この先やっていけないんじゃないか、なんてつい悪い方向に考えてしまう気持ちは、痛いほどわかる。そして、自分を見つめるというのは、言うほど簡単なことではない。
でもきっと大丈夫。
気負わず、楽に作った料理は、意外と美味しかったりするものだから。
何も、キラキラしたすごいものを作ろうとして、ちょっといいスーパーでわざわざ食材を買い揃える必要はない。野菜室の残り物や、卵パックの残りを確認してみよう。また、食べられないと捨てていた野菜の皮を揚げると美味しかったり、いつもはあまり調理しない根っこや葉っぱを茹でてみると意外とイケるかもしれない。
「自分は創作フュージョン料理を作ろうとしていたかもしれないな」
これを読んでくださっているあなたに、もし何か思い当たる節があれば、一度、自分自身の素材を見つめ直してみてはいかがだろうか。
まとめ
以上、コロナ下の自分や周りの人々の「自己実現」に対するスタンスを、料理を通して考察してきた。
世界は互いに密接に関係しながら、一刻一刻と変化している。また、変わり続ける世界は、その先が見えない。曖昧で不確かなゆらぎの中で生きていかなければならない我々には、状況を「変える」のではなく「活かす」ことが、今後一層求められていくであろう。
混沌とした状態の中で答えを出さずに耐え、不安や迷いの中でできることを見つけ出そうとする意志の重要性を痛感しながら、今日も私はキッチンに立ち、冷蔵庫の中の食材とにらめっこしている。
おまけ
先日、まとめ買いをしたピーマンを消費しようと思い、キッチンに立ったら、鳥に出会った。自炊をしているとこういう小さな楽しみがある。
緑の鳥に遭遇できた喜びをInstagramにあげたら、付き合いの長い友人が反応してくれた。ちなみに彼女はフードマイスターの資格を持っている(!)
…私が生ピーマンをかじったことあるって、なんで知ってんねやろ。
…
無限ピーマン美味しいので、ぜひ皆さんも作ってみてください。
この記事を書いた人:さっちゃん
ひとこと:Foresight Creator 資格取得者。関西人。マイブームはシロイルカの動画を見ること。最近行った水族館で飼育員のお兄さんに「シロイルカは英語で“White whale“、実はクジラなんですよ」と言われ、衝撃を受けている。