バカの言語学:「バカ」の語誌(6) 抄物
話し言葉で書かれた仏典・古典の注釈書
キリシタン史料や狂言の台本とともに、室町時代の口語史料として知られるのが「抄物」と呼ばれる著作群です。
「抄物」というのは聞き慣れない言葉ですが、朝倉書店の『日本語大辞典』には以下のように説明されています。
少々堅い文章ですが、書いているのは前回の「「バカ」の語誌(5)」で見た、狂言の性向語彙についての論文の著者である柳田征司です。あの論文は1965年のものですが、『日本語大辞典』は2014年刊行なので、ほぼ半世紀が経っています。長きにわたって地道に研究を積み重ねている研究者に感謝しないわけにはいきません。
それはともかくとして、他の資料も参考にしつつ上の文章を簡単に整理すると、
・抄物は、仏典や中国・日本の古典に対する注釈書である
・著者は主に禅僧(中でも五山僧)や学者などである
・講義の聞書や草案として書かれたものが多い
・カナ交じり文のものが多い
ということになります。
「注釈書」ですので、対象となる書物の文章を少しずつ引用しては語・文の意味を説明する、というのが延々と続いているだけで、その仏典なり古典なりに対する著者独自の解釈や意見が述べられているわけではありません(例外はあるのかもしれませんが)。ですから史料としての価値は確かにあるのでしょうけど、これまで見てきた『日葡辞書』や『太平記』や狂言に比べると、読み物としての面白さはなさそうです。
『岩波講座 日本語10 文体』という本に収められた大塚光信の文章によれば、注釈の文体は、だいたい以下のようなパターンになっています。
「ぞ」は現在でも「さあ、行くぞ」とか「そりゃ駄目だぞ」などと話し言葉で使いますから、上記の文体も話し言葉ふうです。ただ、こういう「ぞ」の使い方は、古くから辞書などで見られるものだったらしく、これだけでは必ずしも話し言葉とはいえないようです。
しかし文中で使われている言葉の中にも、おそらくは話し言葉としての使用頻度が高かったであろう語彙が現れています。「バカ」や「アハウ(阿呆)」はその好例といえそうです。
「癡」「痴」の訳語としての「バカ」
抄物の主だったものは書籍化されていますが、入手困難ですし近所の図書館にも置いてありません。そこで今回も『時代別国語大辞典 室町時代編』(以下、『時代別室町』)の用例に頼りたいと思います。「ばか」「ばかげな」「ばかもの」の用例をまず見てみましょう。
先ほど抄物における注釈文のパターンを示しましたが、実際にはそのとおりになっていないものあるようです。『三百則抄』の「~コトヨ」というのは、文の意味を表しているのか、著者の感想なのか、これだけでははっきりしません。やはり前後の文脈がわからないと、正確な文意はわかりません。
何とかして原文を読めないものかと、ネットでいろいろ調べてみたところ、上記4例目(「吁東坡ハ……」)の引用元である『四河入海』 は、今までもたびたび利用しているウェブサイト「国会図書館デジタルコレクション」で古活字本(「出版年月日:[慶長元和年間]」とあるので、1596~1624年の間のものです)の書影を見ることができました。
この『四河入海』は抄物の中でも有名らしく、『デジタル大辞泉』や『日本国語大辞典』(以下、『日国』)に説明が載っています。
4人の説を集約して自説を加える、というようなことが他の抄物でもよくあるのかどうかはわかりません。編者の笑雲清三は室町末期の臨済宗の僧侶で、京都の東福寺大慈庵主を経て、鎌倉の建長寺の住持(住職)になった人です。
一方、注釈の対象となった蘇東坡は宋代を代表する詩人の一人で、蘇軾という名前で表すほうが一般的です。昔の中国人の名前は字やら号やらあってややこしいのですが、蘇軾は字が子瞻、号が東坡居士です。
上記の「バカ」の用例は、蘇軾の「緑筠軒」という詩に対する注釈の中にあります。この詩は『東坡詩集』の他に、『古文真宝』という、漢~宗の時代の詩文を集めた中国の書物にも収められています。
食事に肉がなくてもいいが、庭に竹がないと人を俗っぽくしてしまうのでよくない。こう言うと人は笑って、それは高邁そうでいて実は愚かな意見だと言う。しかし肉も必要、竹も必要では欲張りではないか――、そんな内容の詩です。もっとも「東坡肉」という肉料理は、蘇軾が考案したのが名前の由来だそうで、蘇軾自身はお肉大好き人間だったようです。
『時代別室町』で引用された一節は、この詩の7~8行目、「傍人笑此言/似高還似癡」(こう言うと人は笑って、それは高邁そうでいて実は愚かな意見だと言う)に対する注釈です。
「吁東坡ハ馬鹿ゲナル事ヲ云モノカナ」は7行目(現代語に訳すと「こう言うと人は笑う」)に対する説明ですが、なぜ笑うのかを解釈しているともいえます(ちなみに「吁」は「やれやれ」というような意味の間投詞です)。それは8行目にあるように、蘇軾の言っていることが「癡」(=「痴」)だから、というわけです。実際、8行目に対する注釈も「高ト云ヘドモ馬鹿ケナルニ似タゾト云ゾ」となっています。
つまりこの「馬鹿ゲナル」は、明らかに原文の「癡」に対する訳語なのです。
「バカ」だけで人を指す用例
それなら『時代別室町』に載っていた他の用例にも、注釈の対象となっている書物の該当箇所に「癡」のような対応する言葉があるのではないか。そう考えて、まずそれぞれの抄物が注釈の対象としているものを調べてみますと、以下のようになります。
・『碧巌鈔』(著者不明)…『碧巌録』(禅宗の公案集)
・『黄烏鉢鈔』(著者不明)…黄庭堅(宋代の詩人)の詩
・『三百則抄』(不鉄桂文著)…『禅林類聚』(禅宗の公案集)の中の三百則
・『三略秘抄』(清原秀賢著)…『三略』(中国の兵書)
・『杜詩続翠抄』(江西龍派著)…杜甫の詩
全部について説明するのは大変なので差し控えますが、まず結論からいうと、該当箇所がわかったのは『碧巌録』だけでした。
『碧巌録』は公案集の中でも『無門関』と並んで有名なもので、岩波文庫からも出ています。ですから、この『碧巌録』を注釈する抄物はたくさんあって、『時代別室町』に用例が引かれていた『碧巌鈔』もそういう中の一つです。
ところで「公案」とは何か。これをちゃんと説明しようとすると、まず禅とは何か、みたいな話になって大変です。
夏目漱石の『門』の中に、主人公の宗助が禅寺に入り、「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えてみたら善かろう」と老師から言われる場面があります。この「父母未生以前本来の面目は何」というのが、公案の中でも最も有名なものの一つです。『門』の老師はそれを「考えてみたら善かろう」と言っていますが、いくら頭で考えてもわかるはずのものではなく、それでもこの言葉に集中して座禅を続けていると、ある日突然ストンと意味(?)が悟られる、というのが公案禅というものらしいです(経験がないのではっきりとはわかりませんが)。
その他に有名な公案としては、『碧巌録』にも『無門関』にも載っている「南泉斬猫」と呼ばれるものがあります。これは文字どおり南泉という僧が猫を真っ二つに斬ってしまうのですが、弟子の趙州がこの話を聞くと草鞋を頭に載せてその場を立ち去った、という残酷かつシュールな、わけのわからない話です。これはどういう意味だ? というのが公案としてよく用いられているわけです。
『碧巌録』はこういう公案を集めたものですが、雪竇重顕という宋の時代の禅僧が編纂した『雪竇頌古』所載の公案に圜悟克勤という禅僧が解釈を付けている、というややこしい形をとっています。しかも圜悟克勤の付けた解釈も、単に元の文の意味を説明しているのではなく、これ自体も難解な禅語になっています。そういうややこしいけれども重要な書物だからこそ、これを読むための抄物がたくさん書かれた、ということだと思います。
『碧巌録』についての説明が長くなってしまいましたが、問題の個所を見てみましょう。『時代別室町』に用例として載っていた『碧巌鈔』の一節には「寸縄モ无テ千尺之井中ニ…」とあります。これをヒントに『碧巌録』を探索してみますと、第十八則に以下のような記述があります。
意味がわからなくても、太字にした部分が対応しているのは見当がつきます。ちなみに現代語訳では以下のようになっています。
何が「出た」のかはともかく、上の現代語訳では「こら、ばか者」となっていますが、『碧巌鈔』では「エッ、バカガ」となっていました。これはかなり重要です。
というのは、「「バカ」の語誌(3)」の中で私は、室町時代には「バカ」だけでは人を指さず、「バカげな者」「バカな者」「バカ者」という形にしなければ「愚かな人」の意味にならなかったらしい、と申し上げました。松本修の『全国アホ・バカ分布考』にもそのように書かれています。
しかし『碧巌鈔』のこの一節では「バカ」だけで人を指しています。実際、『碧巌録』中でこれに対応する言葉は「痴漢」です(もちろん性犯罪者のことではありません。「愚かな奴」という意味です)。
もっとも他の抄物にも、同じように「バカ」だけで人を指す例があるのかどうかはわかりません。また、この『碧巌鈔』についても、『時代別室町』の出典一覧を見ますと「寛永刊本」となっています。寛永年間は1624~1644年で、元年でも江戸幕府の開府からすでに20年以上経っています。この「寛永刊本」というのが写本ではなくオリジナルを指すとしたら、江戸初期になってから「バカ」だけでも人を指すようになった、ということなのかもしれません。しかしこれが写本でオリジナルはもっと古いのだとしたら(もちろん書き換えがないとして)、室町~安土桃山時代の間に「バカ」はすでに人を指していて、『日葡辞書』にはそれが反映されていなかったことになります。
それからもう一つ重要なのは、この『碧巌鈔』における「バカ」も「痴(漢)」の訳だった、ということです。ですから、先ほどの『四河入海』での用例と考え合わせると、抄物の著者たち(その多くは禅僧でした)が「癡」あるいは「痴」という中国語と日本語の「バカ」を同じ意味の言葉と見なしていた可能性があります。これは「バカ」の語源を考える際にも重要な意味をもちます(「『バカ』の語源(1)」参照)。
そしてこの「痴漢」は、現代語訳を見てもわかるように、感動詞的に使われています(「咄」は明らかに感動詞ですし)。
私たちは今、抄物に当時の日本の話し言葉が現れているのを見ているわけですが、どうやら禅宗の公案集がそもそも宋代の中国の話し言葉を多用しているようです。
禅宗には高僧の禅語録を著す伝統があって、公案はそういう語録から抜き出されたものが多く、『世界の名著18 禅語録』の解説部分で、仏教学者の柳田聖山は次のように書いています。
となると、なぜ抄物に話し言葉が現れるのかについても、禅語録や公案集の影響という可能性が考えられます。もっとも抄物は「仏教の本質を自由に語りあった記録」ではないようですが、意識としては禅宗の伝統に従おうということだったのかもしれません。
文芸にも通じていた五山僧
「バカ」だけでだいぶ長くなってしまいましたが、「アハウ」が出てくる抄物も見てみましょう。
『仁和寺本無門関抄』の用例で「あほう」となっているのは原文どおりです。狂言の『虎明本』でもすべて「あほう」になっていましたが、こういう表記の揺れには何か意味があるのでしょうか。
『無門関』は先ほども名前が出てきましたが、宋代の禅僧無門慧開が著した有名な公案集で、やはり岩波文庫からも出ています。上記の用例と対応する箇所は第十七則にあります。
先ほど引いた『仁和寺本無門関抄』の一節「此侍者ノ……」は、「侍者三應」に対して慧忠国師が「私のせいでお前さんが悟れないものとばかり思っていた」ことの説明ですが、必ずしも逐語訳ではありません。「アホウ」についても、対応する語が原文にはありませんので、補足的に用いているようです。
残り2つの用例の出典である『詩学大成抄』と『玉塵抄』はどちらも惟高妙安という、室町末期から安土桃山時代にかけて京都五山の相国寺や南禅寺で住持を務めた禅僧が著したものです。両書ともネット上で写本の書影を見ることができます。
『詩学大成抄』は、その書影を公開している市立米沢図書館の説明によれば「詩作用の類書(多くの書物から類似の事項を集めて分類し編集したもの)」である『詩学大成』という書物の注釈書です。
一方、『玉塵抄』は『韻府群玉』という中国の韻書(漢字を韻によって分類した書物)の注釈書です。つまりどちらも詩(もちろん漢詩です)を作るための書物を扱っている抄物です。
しかし、先ほどの『四河入海』もそうですが、なぜ僧侶が詩に関する書物を扱うのでしょうか。
笑雲清三も惟高妙安も、室町幕府から「五山」(京都五山・鎌倉五山)に認定された禅宗寺院で住持を務めています。つまり五山文学の中心にいた人物たちです。そもそも中国(宋・元)の禅僧たちにも文芸を重んじる気風があったのですが、鎌倉時代の日本の留学僧たちは中国の文人文化を日本へ移入する役割も果たしていました。そして室町時代に入ると、新たに興った明が政府間での交易のみを求めたため、外交文書を作るための語学エリートとして五山僧が駆り出されます。そうしてますます文芸的な才能が要求されて、彼らは漢詩文についての教養をたくさん身につける必要に迫られたのではないかと考えられます。
話を「アハウ」に戻しましょう。『詩学大成』も『韻府群玉』も、これらに対する抄物と同様、古い版本の書影をウェブ上で見ることができるのですが、『詩学大成』の該当箇所は、巻五の終わり辺りという見当まではついたのですが、何という文章に対する注釈なのかはわかりませんでした。
もう一つの『韻府群玉』とその抄物である『玉塵抄』についてですが、これはちょっとややこしくて、まず『韻府群玉』の巻二に「守雌」という言葉が取り上げられていて、その用例の中に「黠吏因豊己公才或守雌」という文が出てきます。『玉塵抄』では、この文に使われている「黠」という字(惟高妙安は「コザカシイトヨムゾ」と言っています)の用例を2つ挙げていて、そのうちの1つ、『碧巌録』の第四十則にある「黠児落節」の説明にあるのが「学者ニリコンニコザカシウミエテ大ウツケノアハウナコトアルト云心ゾ」です。
「落節」は「しくじる」という意味ですので、惟高妙安は小賢しい者のしくじりを「大ウツケノアハウナコト」とかなり大げさに表現しているのです。ですから、こちらもやはり「アハウ」に直接対応する言葉はありません。
つまり上記の抄物ではいずれも、人物の振る舞いをコミカルに表現するために「アハウ」や「ウツケ」などの言葉が使われています。
抄物には他にも「顢頇」(大きな顔の意味で、「バカ」の意味にも使われました)や「モノシラズ」といった言葉が出てきますが、だいぶ話が長くなりましたので、この辺で終わりにしたいと思います。
◎参考・引用文献
柳田征司「抄物」 佐藤武義・前田富祺ほか編『日本語大辞典』 朝倉書店、2014年
大塚光信「抄物文」 築島裕ほか『岩波講座 日本語10 文体』 岩波書店、1977年
室町時代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 室町時代編』 三省堂、1985年
「四河入海」『デジタル大辞泉』 ウェブサイト「コトバンク」にて閲覧 https://kotobank.jp/word/四河入海-517343
星川清孝『新釈漢文大系9 古文真宝(前集)』 明治書院、1967年
笑雲清三述『四河入海』 慶長元和年間 ウェブサイト「国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/2609732
夏目漱石『門』 新潮文庫、1948年
末木文美士編、『碧巌録』研究会訳『現代語訳碧巌録』 岩波書店、2001年
柳田聖山「禅の歴史と語録」 『世界の名著18 禅語録』 中央公論社、1978年
西村恵信『無門関』 岩波文庫、1994年
島尾新編、小島毅監修『東アジア海域に漕ぎだす4 東アジアのなかの五山文化』 東京大学出版会、2014年
惟高妙安『詩学大成抄』 写本 ウェブサイト「市立米沢図書館デジタルライブラリー」にて閲覧 https://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/AA146.html
惟高妙安『玉塵抄』 写本、1597年 ウェブサイト「国会図書館デジタルコレクション」にて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/2606749
林楨編『詩学大成』 ウェブサイト「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」にて閲覧 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he18/he18_00634/index.html
元陰時夫撰、元陰中夫編注『韻府群玉』 梅渓書院、1334年 ウェブサイト「市立米沢図書館デジタルライブラリー」にて閲覧 https://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/AA063.html
上記の他、多くのウェブサイトを参考にしました。