フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#014 トレードオフを意識した学び (書き手:きしもとはるか)
はじめましての1次産業
大学1年生の夏、大学の体験活動で種子島に行った時の日記をめくると、
・農業は単純作業で儲からないものだと思っていたが、そうではなく、頭を使って工夫すればそれなりの稼ぎが得られると知った。
・食べ物などが自分の手元に来るまでに生産者の方や流通を担う方の多くの苦労があることを実感し、体験してみないとわからない、あるいは体験してみても一部しかわからないであろう現場の大変さなどを知った。
・1次産業自体も、植物を相手にする農業・林業と生き物を相手にする漁業・畜産に大きく分けられてひとくくりにはできないことを初めて知った。
と書いてあって、ああ、そういえば私そんなことも知らなかったな、ってちょっとずつ思い出してきた。
私の両親や祖父母は農家でなかったのもあって、このときまで1次産業というものをほとんど知らなかった。たぶん自分の食べているものがどんなふうに作られるのか、とか考えたことなかったし、毎日普通に食べられるから、大して重要なことだと思ってなかった。
農学部も農業について学ぶところだと思ってたけど、畜産、漁業、林業、微生物、栄養、材料、経済…いろんなことを学べるとこらしいと入ってから知った。
食から農へ
1次産業に触れてもなお私の興味は食で、生産よりも消費だった。それが農の方まで広がったのは、フードロスに興味を持ってからフードサプライチェーン全体を意識する様になって、自分の中で食と農がつながってからだった。
おいしいものとか体にいいものとか食べることに関する情報は溢れかえっていて、メディアや人との会話で見聞きしない日はおそらくないと思うけど、その食べものをつくる、という話にまでにはなることはあまり多くない。どんな人がどんなところでどんなふうにつくっているかはなかなか見えづらい。だからこそとりあえず安くて新鮮できれいなものが欲しくなるし(同じものなら安い方がいいしおいしさは買う前にわかんないから新鮮さとか見た目で判断するのはそうだよね)、簡単に捨てちゃったりする。
そう考えるようになってから生産の背景、農の世界が見えることが大事だと思って、比較的サプライチェーンの短い直販やCSA(Community Supported Agriculture)、食農教育に興味を持つようになった。生産と消費、農と食の世界がつながることはすばらしいことで、小規模で思いがあって環境にも配慮して直販で消費者に生産の物語を伝えて学びや楽しみにしてもらう、みたいなのがこれからの農業なんだ、と思ってそっちのことばっかり勉強していた。
トレードオフを認識する
この考えはいろんな農家さんにお話を聞いたりする中でだんだん上書きされていった。
大型機械使って1人で10ha以上経営したり、1日に1tコンテナ何個分も収穫したりするくらい大規模にやっている農家さんや生産法人だってすごく情熱を持ってやっていたり、慣行(農薬・肥料使う)農家さんだってできるだけ環境に配慮したいとは思っていたり(そもそも有機=環境に良いとも限らない)、市場に出してる農家さんだって消費者のこと考えておいしいものを作っている。
農家さんは経営者で、自分の目指すものに向かって経営も成り立つように、いろんなトレードオフを選択している。
生産側の視点でいえば、直販はどんなふうに生産したのかっていうストーリーごと、新鮮でおいしい状態で届けられるけど、集客や販売の手間はあるし、遠くに運ぶ場合は物流コストで価格が高くついてしまう。市場流通の場合は生産に集中できるし消費者にとって手頃な価格で販売できるけど、届くまでに時間がかかるから鮮度は多少落ちるし、おいしい品種より物持ちや見栄えの良い品種を選ぶことになる。
有機は農薬・肥料代はかからないし環境に良い(かもしれない)けど、草取りとかの手間は増えるし、農薬・肥料を使った場合と同程度に品質や収量を維持するには技術が求められる(私は自分で畑を借りて農薬を使わないで栽培してみたけど、大根の葉っぱの裏にびっしりアブラムシがついてて、食べる気が失せるほどだった...)。
こういうトレードオフについてちゃんと認識するまで、今はオルタナティブなものでしかない生産と消費がつながるような小規模・有機・直販みたいなイメージの農業はどうやったら広まるのか、従来の形をしのいで主流なものになれるのか、という疑問をずっと持ってた。
たしかにそういう農業は魅力的ではあるけれど、でも食料はどんな時でもどんな人でも十分にアクセスできるということが何よりも重要で、その達成という点では大規模・慣行・市場流通みたいな農業はすごく優れていて、なくなったらたぶん困る。
いろんな農家さんがいて、いろんな農業の形がある。大規模と小規模、慣行と有機、市場流通と直販みたいにはっきりわかれるものじゃなくて、グラデーションや重なり合いがあって、それぞれの長短を考えて選択した結果、そうなってる。全く欠点のないすばらしい方法があればいいけれど現状はないから、そんなすばらしい方法を模索しつつも、それぞれの欠点を補い合う形で多様なものがうまく共存していけばいいのかなと思う。消費者も同じで、それぞれの長短をわかったうえで好きなように選べばいいと思う。
広く、バランスよく、学び続ける
ついつい目新しくて自分の惹かれるものばかりに視野が狭まっていってしまうから、気をつけなくちゃなといつも思う。自分にとって都合の良い一部分だけをみてこれがいいんだっていうことは簡単だけど、それじゃ全体としては成り立たないし現実的に前にも進んでいけない。選ぶことで得るものと得ないものがあることを意識しながら、惹かれるものもそうじゃないものもバランスよく学んでいきたいな。
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今回で、きしもとはるかさんによる連載は一旦終了となります。お読みいただきありがとうございました。
『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。次回をお楽しみに!
今回の著者_
きしもとはるか
1996年生まれ。東京大学農学生命科学研究科農学国際専攻修士1年。途上国の貧困問題に食からアプローチしたいと勉強していく中で、フードロスへの関心が高まる。 フードロスも含めた様々な問題の根底には生産と消費の分断があり、農業を通して消費スタイルや暮らしをより良いものにしたいと考えるようになった。 大好きな農業で社会に貢献する人になれるように勉強中。