独立|僕がレシピを公開した理由。助け合える店づくりにするために。
今日はちょっと長くなるかもしれません。読んでいただけると嬉しいです。
戦う相手ではなく「共存する仲間」へ
この度私はBaseにてレシピを公開した。
100円だけ頂くけど、それは全部今後の新作の食材費のため。今はお金を求めた行動にしようとしていないので基本的にはそれらの売り上げは何らかの形で購入者の方々に還元していきたいと思っている。
レシピを公開した背景について語りたいと思う。
そもそもレシピを公開しなかった理由は何だったのか。
レシピを公開しないという行為は私自身に限らずに他店との差別化が主な理由だと思う。
でも僕という料理人は独立を夢見ている段階から他店と戦って利益を確保するという目的では動いていないのに、戦う姿勢をとっている矛盾に気が付いた。
そこに気づいてからはレシピを隠している自分が変に思えて、しかも今まで大切にしまっていた自分なりに価値があるレシピが、急にきらきらとは光らなくなっていた。
僕は独立してもスタッフを雇わないと思うし、雇えないと思う。
金銭的な余裕も最初はないし、自分自身に余裕がない中で雇えたスタッフに成長の機会を与えてあげれないかもしれないので当分はやらないと思う。
将来的には目指す理想の形のために多くのスタッフに協力してもらいたいとは思うが、元来「雇う」という言葉自体が嫌いだ。
そんな中一人で店の経営や運営をしていかないといけないわけだが、
料理の付加価値を周りの既に店を構えている料理人と戦いながら高め、店舗自体の魅力を上げる?
やれても長続きしないし、合理的ではないと思う。
きっとお客さんに手伝ってもらうことだってあると思うし、いろいろと助けてもらうことがあるだろう。
そんな中自分の料理の価値は残したまま、代金を払うお客さんにそれ以上のものを要求するのは何か間違っていると思う。
やってもらうのであれば、こちらもそれなりのものを差し出さないといけないし、それは「食器を下げてくれたお客様は100円引き」という割引ではないと思う。
今までの料理人の価値と、これからの料理人の価値
今までの料理人の価値は料理人の背景として「フランスで修業した」とか「三ツ星で働いていた」とかが付加価値になっていた。
またそれに準ずるレストランも「なかなか手にできな高級希少食材を使っている」とか「〇〇製の食器やテーブルを使用」といういわば
希少性食材、高技術を市場の中での価値と捉え、披露 販売していた。
だから非日常の空間である必要があったし、フランス料理人であればフランス料理しか作らなかった。
もちろんそれの良さはあるし、私たちもそこに惹かれて料理人になった節はあるので否定をするつもりではない。
しかし世間を見たときに今はあまりそれが求められていないと思うし、新型コロナウイルスでの自粛要請時にそのうねりはさらに大きくなって今の料理人の価値を高めていったと思う。
それでは今の料理人の価値とは何か?
僕が考えるに今の料理人の価値は料理そのものもそうだが、主婦などの一般消費者の生活の中にいかに求められるかだと思う。
先駆的にレシピを無料公開したsioのようにお客様の中にしかなかったコロナの答えの中で答え合わせ出来るようなやり方は優しくそばにいてくれる関係で付き合いの長い友人のようにも感じる温かい存在だと思う。
料理業界はレッドオーシャン(競合がたくさんいる)といわれているけれども、もともと競合はやり方が全く同じ(料理の腕勝負)でしのぎを削っているのでレッドになった。
きっと「戦って生き残る」という概念から「みんなで協力して長く一緒に成長する」という概念に置き換えると、飲食業界はレッドオーシャンになることはないし、もっと多くの新しい発見や付加価値の創出があるのだと思う。
Baseが「フェーズ2」に入った。
ではなぜbaseで販売を始めたのか。
ぼくの中でのBaseの役割は2段階、今の行動の役割は4段階ある。
「フェーズ1」自分の商品を売って購入者と自分が直接的にかかわることで商売の基本や流れを知る。
「フェーズ2」商品を提供することだけを当店の価値とせずに消費者の生活に寄り添えるような新しい方法を考える 利益は考えない。
「フェーズ3」実際に店を出す。これまで蓄えた経験をもとに自分らしい店を出す。オープンにジェントリーに 利益はまだ追えない。
「フェーズ4」地域でのコミュニティーづくりを通してオンラインにコミュニティーを作り、離れている人にもサービスや経験を共有できるように仕組みを作る。勝手に利益はついてくる。
今まで料理のクオリティーをあげ、それこそが付加価値だと思っていた自分。フランス料理人である前に「料理人」であることを忘れてフランス料理しか見ていなかった自分。
沢山の利己的な思いがあり、「存続していく要素は己の力だ」と思っていた時間が長く
=販売力や経営戦略に固執してしまっていた今までの考え方に現代とのずれがあることがやっとわかり、たくさんの先輩料理人の言葉に触れて軌道修正を行っています。
一人ではできないこと、数字だけでは理解できないことは「人」を相手に商売している中では当たり前に出てくる。
人間の行動パターンがアルゴリズム化しても「感情」が存在しているうえで私たち料理人も感情で行動しなければいけない部分もあるんだと思いました。
今回の気づきは私の中で大きな転換期であり、今までの経営第一主義、戦略第一主義の記事とは全く異なる内容かもしれません。
将来はどんな店にしたいのか
私の店の理念をこの度一新いたしました。
新しい理念は「再現性・答え合わせのできる店」です。
今もそうだけど、僕の販売している商品に特別なものは一切ありません。
チョコケーキやパウンドケーキなどありきたりなものです。
でも作業を見ている妻からは「簡単にやっているように見えるけど実際にやった見たら難しい」とよく言われます。
料理人の本来の価値は、それ一つしかやってこなかったからこそ作れる普段より一つ上のクオリティーだと思います。
それは家庭で手に入りにくいフォアグラを使うことで分かりやすく見せることはできるけど、本来は肉じゃがにだってその価値は現れます。
敵と戦わないとはいっても、もし敵をこの理念に乗っ取って再定義するならそれは「お客様」です。
僕の販売している商品に特別なものがないように、特別なものがないからこそ価値は出せて技術の差を表せます。
一般の人相手に自分の技術を自慢げに披露したいわけではなく、
それを口に運んだお客様が「どうやるか知りたい」と声をかけてきてくれたら「いいよ」という風にレシピを教える。「もし上手くできなかったらまたおいで」と声掛けたら来易くなる。
お客様がチャレンジできる範囲だから僕の店は「答え合わせの店になる」
そうすると再現性の低いものでも高いものでもその商品を通じて「お客様とのつながりや信頼」になる。
これが僕の理想の店の形です。
もともと料理のレシピなんて一番初めに作り上げた人以外みんな誰かの真似している。
だから真似させてあげる。隠さない。そんなせこい真似はしない
そんな人間になりたいです。
今回のことは全部sioの鳥羽シェフに学びました。
またこの記事に江六前一郎|@icro_erkmeさんの記事も参考にさせていただいております。
人の真似に見えるかもしれない今からの行動ですが、真似だけで終わらないように自分の思いと一緒に未来へ作りこんでいきます。
2020/6/10
働きたい飲食店を目指して目標に進んでいます。