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もうすぐ一年 (ウクライナ戦争)
一年前は、一年続くとは思わなかった。キエフの街が戦車に蹂躙されたとき、それが終わりだと思っていた。か弱い国が、あっけなく巨悪に呑み込まれてしまうのだと。もちろんわたしは軍事など何も知らない。
花粉症薬の副作用で、あの頃よく動悸がしていた。戦争のことばかりを追っていて、書いていた本も一時停めてしまった。本屋に行って「独ソ戦」という新書を手に入れようとしたけれど、いま重版をかけているところです、と言われた。代わりに買ったのは「国家と音楽家」という本だった。ゲルギエフが音楽界を去ってから久しい。
あれを他人事だと思えたひとがいるのだろうか。あのあと、ロシアは当初日本を侵略することを目論んでいたが、計画が変わってウクライナになったのだ、という記事を読んだ。
「小さな子どもたちよ、
いまは終わりの時代です」
1ヨハネ 2:18
日常の儚さばかり思っていた。退屈でいつまでも変わらないようにみえて、日常ほど脆いものはないと。それはわたしにとって、ほんとうに大切なものへと駆り立てる合図だった。
イエスさま、いまわたしの周りにある日常に感謝します。すてきな家があり、夫と子どもが傍に寝ている。食べ物に困っていないし、何にも困っていない。この間お風呂の給湯器が壊れたけれど、あなたは一週間で付け替えてくださった。だからいまは温かいお風呂にだって入れる。
だけれども、もしこの快適なすべてを取り去られたとしても、わたしはあなたに感謝します。ひと射しの光、一滴の水にさえ、意地になったみたいに感謝しようと思います。これがわたしの戦い方。身体の目ではなくて、信仰の目で見ること。あなたがいるから、恐がらなくてもいいってこと。このあいだあなたが教えてくださった。
剥ぎ取られられれば、はぎとられるほど、わたしにはあなたしか残らなくなるのです。きっとこれから、時代はそうなっていくのでしょう。夜が濃くなっていき、わたしのなかのキリストの光は、ますます眩く、貴重なものになっていく。
一年前に、先も見えず、何をどう考えていいのかもわからず、ただキリストにしがみつきながら、頭を整理するために書いた文章は、いま読み返してもそう間違えてはいなかった。それからマウリポリのあのひとたち、彼らはいまどこにいるだろう。