幻を書き記せ ③ スティーヴン・L・シェリー (日本語訳)
アメリカ、アラバマ州にある
New Hope Revival Ministries の
スティーヴン・シェリー牧師が
1990年代に出版した手記です。
三回目になる今回は、
たったの七歳で彼が、
はじめての説教をしたときの話し、
そして十代になってから、
聖書の真理を求めて、
いろいろな説教師のもとを
訪ねまわる話しです。
早熟な彼は十代にして
ある教会の牧師になりますが、
究極の真理追求型であり、みことばに
決して妥協することのない彼は、
初めこそ周りに持て囃されたものの、
次第に非難され、見放されてしまいます。
それでも神さまは、
彼を高くへ、高くへと
導いておられたのでした。
まだ七歳だったころ、父方の祖母に電話をかけて、こう言ったことがあった。
「おばあちゃん、おばあちゃんのために説教をしたいの」
「え、何だって?」
「うん、ずっと祈っていたんだけど、おばあちゃんの教会で説教するようにって、神様がしめしてくださったんだ。」
祖母は言った、
「いい子ちゃん、日曜日の朝に教会に来て説教をしてもらおうか。」
そこで私は、母方のバプテスト派の祖母に言った。
「ぼく、もうひとりのおばあちゃんのために説教をするんだよ。」
祖母は言った、
「あらあら、説教の内容を作るのを手伝ってあげようか?」
「うーん、おばあちゃん、わかんない。きっと神様がなにを話したらいいか、教えてくださるとおもうんだ。」
バプテスト派の祖母が廊下に出て扉を閉め、その老いた膝で床に跪き、祈る声が聞こえた。
「イエス様、あの子はジェーンにも、私にも属しません。あの子はあなたのものです。あの子はいままで一度も、普通の子どもであったためしがありません。生まれた時から、あなたを心に抱いていました。私は彼が説教するのを助けられません。あの子の母親は神様に仕えていませんから、彼女も助けられません。もう一方のほうのお祖母ちゃんなら、助けられるかもしれません。でも神様、あなただけが、あの子に人々のためのメッセージをお与えになれるのです。正直に言って、あんな幼い子どもが説教するなんて考えられませんけど、もしこれがあなたの御心でしたら、どうかあなたがあの子の面倒を見てくださいますように」
私がちいさな聖書を開くと、神はメッセージを与えてくださった。私はそれをすべて索引カードの上に書き付けておいた。「さあ、頭を垂れましょう」というところからすべてである。その朝教会に行ってわかったのは、私が説教壇よりも背が低くて、顔が出ないことだった。祭壇椅子の上にピアノ椅子を重ねた、それが私の最初の説教壇だった。教会は満員だった。私は聖書を置いた。
祖母が壇に上がって言った、
「さあ、みなさんに言いたいことがあります。ここにいるのはうちの可愛い孫で、今日神様に呼ばれてここで説教することになりました。この子は普通の子どもであった例がありません。他の子どもたちが野球やサッカーをしているとき、この子は教会ごっこをしているのです。この子のテディベアは、生まれてこのかた説教を聴き続けているので、国中でいちばん清められたテディベアと言っていいくらいです。
お願いだから、この子を未熟だなんて言ってくださるな。この子はもう聖霊を受けています。聖霊を受けた人は誰でも、神様のために何かをするべきなのです。この子がどんな説教をするかはまだわかりません。もしそれが五分だけだとしても、私はこの子をしっかり応援し、支えます」
祖母はなんて驚いたことか! 私の人生に神様が行われたことを、すべて知っている祖母でさえ驚いたのである。私はそのマイクを掴んだ。どうやって表現すればいいかわからないが、そのとき熱い油のようなものが、私の頭の上からつま先までを駆け抜けた。それから聖書に挟んでおいたメモを引き裂いた。
私はたった七歳だったのに、四十五分も重い油注ぎの下で説教した。私が人々を祭壇に信仰告白をするよう招いたとき、祭壇は罪人で文字通りいっぱいになった。癒しの奇蹟がそこで起こった。祈りの後、祖母が言った、
「さあ、川に行こう。まず私がこの孫に洗礼を授けて、それから孫が改心者に洗礼を授けることにしましょう」
私は七歳のとき、初めて人に洗礼を授けた。その日の夕方に、また説教するのが楽しみでしかたなかった。その時は一時間半喋った。説教を終えると、祖母が言った、
「ちょっと長すぎたようだね、いい子ちゃん」
ミッションを運営する婦人とその夫が、彼らのところで説教をしてくれないかと言ってくれた。その招きに応じた私は、そこで信仰告白をするように人々を招いたが、だれも来てはくれなかった。これは耐え難いことだった。もう辞めようと思った。説教壇の裏に跪いて祈った。
「主よ、もう説教なんかしません。ぼくのミニストリーは全然効果がないみたい。昨日の夜は祭壇がいっぱいになったのに、昨日の朝だっていっぱいだったのに、今日はだれもいません。ぼく、もう辞める!主よ、もしぼくに続けてほしいなら、だれかを送ってください。だれかを救ってください」
信じられないことが起きた。そのとき、古ぼけたミッションの入り口が開き、年寄りの酔っ払いがふらふらしながら祭壇に歩み寄り、そこで倒れた。何も知らない私以外は、誰も酔っ払いに近づいて共に祈ってあげようとは思わなかった。皆、酔っ払いに振り回されるなんて御免だったのだ。
私は彼の上に座って腕を回し、泣きながら祈って、彼から悪魔を追い出した。御手に触れられ、彼は酔いを醒ました。神はその酔っ払いを素面にしただけでなく、救い、聖霊のバプテスマまで授けられた。この男は一時期うちの教会の副牧師にまでなったのである。
その夜から始まったリバイバルは、何週にも渡って続いた。神様は各地への扉を開かれ、私はアメリカ各地や外国にいくことができた。一万人も集るような天幕伝道をすることも幾度かあった。
そこではさまざまな癒しの奇蹟が起きた。時々子どもを持つ人たちが私に言うことがある、
「うちの子たちがそんな時に居合わせなくて本当に良かったわ。そんな昔みたいな目に、うちの子たちが会わずに済むようにしてくださる?」
兄弟たち、実にこういう体験こそを、子どもたちは必要としているのだ。
これらの体験のあいだずっと、神様は私の心に働きかけていてくださった。祈りながらマラキ書4章を読んでいたときのこと、私は洗礼者ヨハネがその使命をすべて果たしていないという啓示を受けた。
まだ10歳だった私は、祖母にそれを話した。祖母はそれが気に入らなかったようだ、
「お若いの、賢ぶるんじゃないよ。洗礼者ヨハネはその使命を果たしよ、決まっているじゃないか」
しかしこれが神様からの啓示だと確信のあった私は、色々なところで説教してまわった。 私は言った、
「もしぼくの理解が正しいのなら、この全てを洗礼者ヨハネは成就していません。ヨハネがエリヤの霊を受けて来たのなら、また誰かがエリヤの霊を受けこの節の後半を成就しに来なくてはなりません」
祖母はこれについて喋るのをもう止めてほしいと言ったが、私は止めなかった。人々はこれに驚いた。
いろいろな集会に出かけていき、これを成就する人を探そうとした。悪く言いたくはないが、その内の一人に自分がエリヤだと思い込んだ人がいた。その話しを聞くと、私は祖母に頼んでそこに連れて行ってもらった。
彼は黒いマントを着て現れた。手に杖を持ち、それを振って、自分はエリヤであると言った。彼は賜物のある人だった。私達は知り合いだったが、もう何年も彼を見たことがない。黒く覆われた椅子があり、それは「エリヤの椅子」と呼ばれていた。マントはエリヤのマントである。黒人の兄弟が、彼に先立って階段を掃き清めていた。
私はまだ十歳か十一歳だった。彼はその椅子を指して、神が誰でもその椅子に触れる者は殺されるとおっしゃった、と宣言した。勿論そんなことは信じない私は、祖母に言った、
「おばあちゃん、あんなこと言うなんて、あの人おかしいんじゃないかな」
「おだまり、そんなこと言うもんじゃないよ。ちょっと変なのはわかるが、昔は彼もほんとうに油注ぎを受けていたのだよ」
私は言った、
「おばあちゃん、ここの人たちに、椅子に触れたら死ぬなんて嘘っぱち信じさせておけないよ。ぼく行ってあの椅子に座ってくる。」
祖母は言った、
「そんなこと、おしでないよ」
「ううん、ぼく行ってくる」
言い終わる頃には、もう通路を半分来ていた。彼が反対側で人々のために祈っているあいだ、私はその「聖なる階段」を上がり、黒い御座に座った。足を伸ばしてぶらぶらさせ、会衆に触れたら死ぬ云々が嘘であることを示した。彼はがくりと跪き、神の慈悲を求めて祈ってくれるように、私に頼んだ。彼がエリヤでないことは明らかだった。
もう一人、自分をエリヤだと思い込んだ説教師がいたが、彼は女性を牧師に叙任していた。髪はボブカット、ズボンを履いた女性を会衆の中から呼び出して、人々を神の御国に勝ち取りに行きなさいと言った。その男は預言し、彼女達は聖霊に満たされていると言った。それが嘘であることを私は知っていた。
「おばあちゃん、この人もエリヤなんかじゃないよ」私は言った。
ついに祖母が言った、
「もういいかげんわかっただろ? 洗礼者ヨハネは預言を成就したのだよ」
それから月日が経ち、私はもうそのことについて話すのを止めた。がっかりした気分だった。私がエリヤを見つけられなかったのには訳がある。彼はもうこの世に来ていて、私がそれを知らなかっただけなのだ。私は行けるかぎり全ての天幕リバイバルに行った。
「行かなきゃ、おばあちゃん。彼かもしれないよ」
「もし彼を見つけたらどうする気かね」
「彼が言う通りのことをするつもり」
「お若いの、わけがわからないよ」
「おばあちゃん、彼を見つけたら、彼の教えの通りのことをしようと思うんだ」
インディアナ州エヴェンズヴィルのフルゴスペルの教会で集会に出たときのことだった。ある夜、盲目の青年が礼拝にやってきた。転んだ彼の目に、芝刈り機が当たったのだった。彼は欧州や各地に医者を求めて行ったが、どんな医者も視力を回復させることはできなかった。その青年が礼拝に来るという話しを聞き、私は断食して祈っていた。
(私が育った教会では、一食抜いた程度で断食だなどいわなかった。今日でも、断食して主に祈るのは正しいことだ。私はそう信じている。主とふたりきりの時を持つことだ)
イザヤ書58:5のように、粗布と灰をかぶって祈るようにと主に示されたので、粗布の洋服を作った。私は旧約の預言者のように、断食して祈った。粗布を纏い、灰に顔をつけて祈った預言者たちのようにだ。神がそれを求められていると私は思ったし、神はそれに答えてくださった。私の真剣さは神に伝わったに違いない。
その晩説教を終え、人々を信仰告白に招くときになって、私は無意識にこう言った、
「罪人たちを招くまえに、神様はあの青年の目を見えるようにしてくださるだろう」
会場は静まり返った。人々がそれを信じるべきか信じないべきか戸惑っているのが、手に取るようにして見えた。しかし私は、これが主から来た言葉であることを知っていた。青年を呼び出して、皆で手を置いて祈った。会衆の前で、神は彼の目を開けてくださった。
その青年の父親は、ペンテコステ派だったが、今は信仰から離れていた。父は群がる人々のせいで祭壇に近づけないでいたが、息子が癒されたのを見ると、ベンチを飛び越えて、地に顔を伏せ、神に心を捧げた。次の夜からは、群集が大きくなりすぎたので、公会堂を借りることになった。
その日、私は丘の上で祈っていた。隣にはあの青年が座っていた。神を祈り求めていると、主が私の心に語りかけてくださった。(いまでも神は、耳を澄ましさえすれば語りかけてくださると、私は信じている。)神は言われた、
「サウス・カロライナ州アンダーソンに行きなさい。そこで終わりの時代に、イエス・キリストの花嫁が解放されるためのメッセージを受け取るだろう」
「終わりの時代の花嫁のためのメッセージ」なんて、今まで聞いたこともなかったし、どんなものかもわからなかった。私は祈って言った、
「神様、アンダーソン以外の場所ならどこにだって行きます。あそこは一度行ったことがあるけど、ほんとうに嫌な場所でした!神様、あそこだけは止めてください。嫌だ!あんなところ絶対に行かない!」
私は叫んでいた。
一緒にいた青年が駆けてきて言った、
「シェリー兄弟、大丈夫ですか?」
「あぁ、ぞっとする。いまさっき神様が、サウス・カロライナのアンダーソンに行けってぼくにおっしゃったんだ」
彼は言った、
「そんな!あそこはぼくも大嫌いです。いまぼくが神様に仕えているのも、シェリー兄弟のおかげだから、世界の果てまでもお供します、ってぼくが言ったのを覚えていますよね。逆らっていたぼくを、神様は救い助け出し、聖霊で満たしてくださったんですから。シェリー兄弟の行くところどこにでも付いていき、運転手をしますって。でも、やっぱりやめました」
私は言った、
「でもともかく行かなくちゃならないんだよ」
その集会を終えると、私達はアンダーソンへと向かった。車で走れるところまで行き、夜はモーテルに泊まった。眠りに落ちる前に、主は私の心にあることを植え付けられた。私は、一緒にいる青年に地図を持って来てくれるよう頼んだ。それから彼にコンパスを持って外に出て、アンダーソンがどの方向にあるかを調べてもらった。そして愛車のポンティアックのボンネットを、アンダーソンの方向に向けてもらった。そこまでし終わらないと、私は眠れなかった。それほど熱心に、神の御命令に従おうとしていたのだ。
アンダーソンには知り合いの夫婦がいた。彼らに会い、私はこう言った、
「神様に従うために、ここに来たんです」
「それは素晴らしい。ホーリネスの教会が、あなたに伝道集会をしてもらいたいと言っていたよ」
その教会で伝道集会を始めようとしたときに、主の霊が私に語りかけて言われた、
「あなたはイエス・キリストの御名によって洗礼を受けなくてはならない」
称号によって洗礼を受けていた私が、聖霊を持っていたはずがないという人がいる。しかし神は私に聖霊を授けてくださったのだ。イエス・キリストの御名で洗礼を受けても、聖霊を持っていない人達だって私は知っている。
その啓示を受けたとき私は、聖書に書かれている洗礼の様式を知らなかった。私はそのホーリネスの教会に(総監督が同席していた。)イエス・キリストの御名によって洗礼を受けなくてはならないと言った。彼らはそれに聴き従いはしなかったが、とはいって集会を中止しもしなかった。無視できないほどの癒しの奇蹟が、その集会で起こっていたので。総監督は言った、
「彼の教えは間違えているが、だからといってどうすることもできない」
というわけで私は説教を続けた。次の日に断食をして祈っていると、神がメルキセデクについて書かれた聖書の箇所を示してくださった。メルキセデクは、父も母も無く、生涯の初めも、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司という人である。その夜私は、「教えて、メルキセデクとは誰なのか」(Tell me, Who is This Melchizedech)という題で説教をした。
その晩、呼びつけられ、叱られた私はこう聞いた、
「兄弟たち、もしメルキセデクが、今日私が話したのとは違う人なら、教えてください、彼は誰なのですか?」
総監督は言った、
「わしはもっとましな説明が出来るな。メルキセデクの出生証明書は火事で焼けてしまったんだよ」
しかし聖書はこう言っている、
「彼には父もなく、母もなく、生涯の初めも、命の終わりもない」
神様がこの啓示を下さったからには、私は翌日も同じことを説教した。
その次に私は、異言が聖霊のバプテスマを受けた証拠にはならないと説教し始めた。どれだけ人々が動揺したことか! 彼らは目の前で、たった一週間のうちに、私の教義が作り変えられているのを見たのだ。
こう言う人もいるかもしれない、
「シェリー兄弟、そんなことが起こるなんて信じられませんよ」
あなたに真実を明かしてくださった、情け深い神は、私にだって真実を明かしてくださっていいはずだ。そして主は真実を与えてくださったのだ! 私は持てる力を振り絞りこのことを説教したので、会衆は千人から百人に、それ以下に減ってしまった。誰もが啓示を得たいはずだと信じていたので、何故皆が真実を受け入れないのかわからなかった。私はラジオでこれを説教しだした。すると牧師が言った、
「シェリー兄弟、私はあなたが良い人だということはわかっています。でもこの伝道集会はもう終わりにしようと思うんです。あまりにもトラブルが多いので」
私が女性説教師を批判していると、ある女性の牧師がやってきて言った、
「あなたにうちの教会堂の鍵をお渡ししようと思うんです、シェリー兄弟? うちの教会でそのお説教を続けてくださっていいわ」
私は言った、
「お宅の教会では出来ません。私が女性が説教するのに反対しているのはご存知でしょう」
彼女は言った、
「あら、あなたみたいに神様の仰ることを語って、病人のために癒しの祈りをするひと、滅多にいませんわ。昨日の夜、あなたは私の娘のために祈ってくださったの、覚えていませんか。あの子は片方の耳の下に腫瘍があったんです。あれは生まれたときからあって、このまえお医者様が癌だって診断されたの。あなたが祈ったらすぐさま剥がれ落ちました。あなたが神様から遣わされたひとだって、わかっています。何を説教しようとかまわないわ。とにかくうちの教会に来てくださいな」
その言葉通りに、私は神様から示されたことを説教したが、彼女は気分を害してしまった。次の晩の集会、彼女は自分の教会に現れなかった。
私は自分の車に乗り、アンダーソンの街路を走りながら呟いた、
「神様、私の教会はどこにあるのでしょう、見せてください。終末のメッセージがどんなものかはわかりませんが、私は何でもします、あなたのためなら何でもしますから」
美しいレンガ造りの教会を見て、私は言った、
「主よ、あれが私の教会だったら素晴らしいですね!」
神の霊が私の心に語って言われた、
「あれがあなたの教会になる。あそこであなたは終末のメッセージを受け取る」
(三ヶ月のうちに、教会の持ち主が建物を手放したので、私たちはその教会を買うことができた)
それまでの間、通り沿いの建物で集会を開いていた。私は宣伝して言った、
「ホーリネスのみなさん! もし行く教会があるなら、来ないでください。でも、もしいま信仰を離れていて助けがいるのなら、どうぞうちの教会に来てください!」
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