わたしの軛 (改訂版) ③
5
いやなことばかり続いた。次の日曜日がみえてきたころ、風邪ひとつひかないと自慢していたパウロが、八度五分をだして寝込んでしまった。アパートにひとり寝かしておくわけにいかないと、真木たちは引きずるようにして屋敷に連れてきた。風邪の症状があるわけでもなく、ただなにかが切れてしまったように、熱だけがでた。知恵熱かもしれない、と真木は言った。
パウロの妻が突然亡くなったのも、ちょうど三年まえのこの時期だった。その命日が近づいて、パウロはふとした隙によく左手の指輪を、クルックルッと意味もなく回した。それはすこしロザリオやマニ車を思い出すような、ちょっと強迫的な感じがあった。親友であろうとも、他者の内的生活に突っ込めない性格の真木は、その生々しい傷にふれられなかった。
パウロの姿は、傷をたくさん負いながらも、剣を取り続ける闘士を思わせた。彼は生きていたエリーの話しばかりして、ほとんどその死について語らなかったから、かのじょが故人であることに、気付かないひとさえいた。真木はただ祈ることしかできなかった。
なにはともあれ、熱をだしたパウロが、日曜に説教できないのはあきらかだった。
「いい機会じゃないか。神を愛する者のためにはすべてのことが益となるように働くってね」
よこたわったまま、パウロはよわよわしく笑た。
「たとえば説教はなしで、賛美と祈りだけにするんではだめですか、牧師先生?」
「八枝ちゃん、きみのご主人はまったく往生際が悪い」
八枝の下がったあと、休めと制する真木を無視して、パウロが言いだした。
「これはお願いなんだけれど、看病だろうがなんだろうが、八枝ちゃんにはひとりで病室に来ないように伝えてもらえないかな」
「おまえを信用してないわけではないけど、でもわかった。伝えておく」
「おれも自分のことは信用してるよ。でもなにが良くて、なにがまずいのかを、八枝ちゃんはわかった方がいいと思う」
「なにかあったのか?」
真木は眉間に皺をよせた。
「うーん、彼女みたいな温室育ちのお嬢ちゃんにはよくあることだ。ちなみにおれとは関わりのないことです。妙な疑いをかけて病人をわずらわせないでください」
すたすたと掃くように言うと、パウロは布団を被って、会話を終わらせた。
日曜日。夜明けまで聖書を読みふけっていた真木は、すっかり明るくなってようやく目を覚ました。階下に降りると、八枝が昼食のカレーを仕込んでいるところだった。
「おはようございます。パウロさんのご飯、まだ持っていってないんですけど……」
「ごめん、いま持っていく……」
ふらつく頭を上げて時計を見ると、十時の礼拝が始まるまで、あと一時間しかなかった。慌ててヒゲを剃っていると、急いでいるからか、緊張しているからか、思い切り血を出してしまった。止血する暇も惜しくて、そのまま着替えに急いだ。
血のついたティッシュで顎を押さえながら、キッチンに降りてきた真木の姿をみて、八枝の顔は笑いでゆがんだ。年の離れたふたりのあいだには、時として堅苦しく、他人の目を気にして、仰々しい雰囲気が流れたが、こんなふうにふたりのあいだから隔たりの消える瞬間が、真木は好きだった。
「お願いがあるんだ」
カウンターで朝食を食べながら、真木は八枝の手にみずからの手を重ねた。
「頼むまでもないだろうけれど、祈っていてほしい。それからおれがしゃべっているあいだ、目を見ていてくれないか。きみに話しているつもりでやれば、すこしは平常心を保てるんじゃないかと思うんだ」
八枝は目をすこし見開いて、真木を見つめた。「こんなかんじに?」
とぼけた様子がかわいくて、真木は一瞬、そのまま唇を塞いでしまおうかと迷ったが、玄関に人が入ってくる気配を感じて止めた。こういうとこが、おれはどうしても日本人なのだなあ、と真木はため息をついた。アメリカ人なら、ひと前で愛情表現をすることに、なんのためらいもなかったろうに。
本格的に人が入ってくるようになって、ふたりの時間はそのままお開きになった。八枝は座敷で、高田さんや彼女の祖母に、パウロが寝こんだ事情を説明していた。もうだれも来ないかと、真木が玄関をのぞきにいくと、見慣れぬ若い男が、庭で立ちすくんでいた。
「教会にいらしたんですか」
こんにちは、と声をかけてから、真木はやさしく聞いた。
「はい。こないだこれを貰ったので、来てみようとおもって」
男はにかっと笑いながら、見覚えのある名刺をちいさく振ってみせた。
愛嬌のある、ジャニーズにでもいそうな感じの青年だった。年は八枝やマリアンぐらい、二十代半ばといったところか。パウロの名刺を持っているからには、パウロに誘われたに違いない。あいつの人脈も不思議だなあ、と思いながら、彼を家に招きいれようとしたとき、八枝がひょっこりと玄関から顔を出した。
「あ!」
と言ったのはふたり同時だったが、久米さん! と相手の名前を呼んだのは、八枝ひとりだった。久米というらしいこの男は、八枝の名前を知らないらしく、呼ぶ名がないことに困惑していた。
わざわざ下駄を履いて、庭に出てきた八枝は、この男が来たことに、傍目からも明らかなほど、興奮していた。それが久米にもつたわって、ふたりはまるで数年ぶりに再会した友人同士のようだったが、でもそれならどうして、この男は八枝の名前を知らないんだ、と真木はいぶかしんだ。
「この方はね、久米さんと言って、わたしが働いていた蔵カフェの常連さんだったんです。こないだ街でお会いして、教会にさそってみたら、今日来てくださったんです!」
ともかく八枝が嬉しそうでよかった、と年寄りのような感想で己をふさぎながら、真木はようやくパウロの言っていたことに気づいた。そうか、この男のことか。明らかに彼女に気のありそうな久米が、男であることにも気づいていなさそうな八枝に、ため息をつきたいのを堪えて、真木はとなりの妻を指さしながら言った。
「はじめまして、八枝の夫の真木です」
6
いつもパウロが立っていた、座敷の奥の説教壇に立つと、真木はかるく息を整えて、心のなかで短く祈った。主よ、どうかみこころを成してください。
いまは礼拝堂として使っている、十二畳ふた間続きの座敷には、両親がまだ生きていたころ、盆だ正月だといって、よく親戚が集まった。親戚が集うたび、いまにお前がこのすべてを継ぐのだぞ、という圧力に、空気になって消えてしまいたい気がした。真木の注目を嫌う性格は、そのころに由来するのかもしれなかった。
前に立つと、あまり多くはないけれど、いろとりどりな教会の面々が迫ってくるようだった。けれど朝食のときに言ったように、真木は後ろの方に座っていた妻の姿を捉え、そこに視線を定めると、日本語でしゃべりだした。
「みなさんもうご存知でしょうが、パウロ牧師は熱を出してしまって、いまこの奥の部屋で寝ています。ただの知恵熱ですから、感染はしないと思います。ご安心ください」
八枝がすこし笑った。
「そういうわけで、ぼくなんかが引きずり出されてきました。説教なんて大それたことをするのは、生まれてはじめてです。どうぞお手柔らかに」
真木が語りだしたのは、神の軛についてだった。くびきとは、二頭の家畜を繋いで、ともに働かせるための横板である。農耕に使われた身近な道具だからか、聖書にはよくこのくびきが出てくる。それはだいたいにおいて、ひとを束縛するもの、奴隷としての身分を象徴している。
「ぼくが生まれたとき、両親は四十才でした。待ちわびたすえに、やっと生まれた唯ひとりの跡継ぎに、かれらは重い重い、背負いきれない期待をかけました。その期待に押し潰されそうになりながら、ぼくはせいいっぱい良い子になって、両親に認められようと努力しました。
両親に命じられるがままに、深志に行き、信大に入りました。けれどそのとき、いまとなってはどうでも良いことがきっかけで、逃げなければこの古い家に魂を殺されてしまう、と考えるようになりました。この軛のもとで、ぼくは死んでしまうだろうと。それで親を騙すようにして大学を辞め、アメリカに行きました。
そこでイエス・キリストというひとが、ぼくを待っていました。彼は言いました、その重荷をわたしの足もとに投げだしてごらん。わたしのために生きるのは、苦しいようでいて、あなたが背負っているその軛よりも、ずっとやさしい。ぼくは喜んで、自分の軛を投げだしました。封建的な家の奴隷から、目にはみえないキリストの奴隷になったのです。
キリストと共に生きる喜びは、いままで知らなかった、魂の内側から溢れる、ふしぎな感覚がしました。だから親から勘当すると言われても、キリストを捨てようとはおもわなかった。いままでに感じたことのある尊いもののすべては、彼につながっていたのではないかと思いました。いまだって、そう。キリストと生きる喜びが、ぼくを生かしている。
「わたしは柔和で謙遜なものだから、わたしの軛を背負って、わたしに学びなさい。そうすればあなたは安らぎを得られる」
安らぎ? キリストの軛を負うことで、ぼくは今どき珍しいくらい、ひとびとから中傷されました。けれど、これは目にみえない安らぎです。キリストを宿しているひとは、なにが起ころうとも、魂のなかに、揺るがされないものがあるのです。すべてを背負ってくださる方が、心のなかに住んでいるから。すべて彼に預けてしまえるのです。
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
その軛が負いやすく、その荷が軽いのは、キリストがいっしょに背負ってくれるからなのです。キリストのたくましい肩が、ぼくの分まで背負ってくれている。もはや働いているのはぼくでなく、ぼくの内にいるキリストで、ぼくの魂はただ休んでいるのです。
「疲れているひと、重荷を負うひとは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」
キリストが招いておられるのは、ぼくだけじゃない。だれでも、と彼は仰いました。ぼくのような、先祖代々の仏教徒さえをも呼んでくださった方は、どんなひとでも、別け隔てなく招いておられるのです。だれでも心の扉をひらくなら、キリストはそのひとの中に住んでくださるのです。
キリストと共に生きる以外の道は、もう想像だに出来ません。ぼくの魂に得たこの安らぎ、これなしに生きるなんて。わたしのもとに来なさいと、ただひとりの神であるキリストは、いまここにいるすべてのひとを招いておられます。ただ、はい、と言うだけでよい……」
説教などできないとずっと思い込んでいたのに、真木はじぶんがすらすら語っているらしいことに驚いた。神の霊にゆだねて、その身を明けわたせば、みずからの力には及ばぬことでも、神が責任をもって果たしてくださる。真木は緊張していなかったし、自分でなにかをやっている感覚もなかった。ただきれいさっぱりキリストに、自分を明けわたせたという喜びが残った。
八枝はずっと目を潤ませて、口の端をすこし上げながら、こちらを見つめていてくれた。そして時々ちいさく、アーメンと言ってくれた。他のひとたちの反応を気にする余裕はなかった。真木はしずかに説教を祈りで閉じた。
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