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幻を書き記せ ④ スティーヴン・L・シェリー (日本語訳) 



アメリカ、アラバマ州にある
New Hope Revival Ministries の
スティーヴン・シェリー牧師が
1990年代に出版した手記の
日本語訳を投稿しています。

これは四回目になります。

シェリー牧師は十歳の頃から、
旧約聖書最後の書であるマラキ書の、
洗礼者ヨハネについての
預言に疑問を抱いていました。

『見よ、わたしは
大いなるおそるべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に向け、
子の心を父に向けさせる。
わたしが来て、破滅を持って
この地を撃つことがないように』

十歳にして彼は、
洗礼者ヨハネはその半分しか、
『父の心を子に向ける』
という部分しか成就しておらず、
まだあと半分の仕事、
『子の心を父に向けさせる』
という部分を果たすべき、
エリヤの霊を持った預言者が
現れるはずだ、という考えに達します。

 けれどもどこを探そうとも、
怪しい自称エリヤしか見つかりません。
そのうち彼は、神に示される
あたらしい啓示を大胆に語りだし、
 教会のひとびとから締め出されるように
なってしまいました。

しかしそんな彼のもとに、
あなたが語っている教えと同じことを
語っていたひとがいた、
と言うひとが現れたのでした。




 最初の日曜礼拝には、三十人がやってきた。神は私を大いに用いてくださり、教会は満員になった。ひとびとは救われ、聖霊に満たされた。ひとびとは神からの夢や幻を見た。それは全員ホーリネスの人たちからなる、とても霊的な教会だった。

 新顔の夫婦がやってきた。奥さんは長い髪を後ろで、小さなシニヨンにまとめていた。見たことのないひとたちだった。私が説教している間、ご主人は誰よりも多く「アーメン」を言ってくれた。

 それはジェラルド・クレバランド兄弟と奥さんだった。以下は彼の証しである。


** ** *** **

 私たちが初めてシェリー兄弟について聞いたのは、ある朝マクドナルドで朝食を摂っているときでした。あるご婦人が話しかけてきたのです。

 「あなたたちは、ホーリネスかチャーチオブゴッドの人たちじゃありません?」
 「いえ、私たちは独立したホーリネスです」
 「ぜひうちの教会に来て、スティーブン・シェリー牧師のお説教を、聴きにいらしてくださいな」

 そして教会は、ウィリアムストン・ハイウェイにある建物を借りているのだと、教えてくれました。

 その時は、そのことをあまり気にとめませんでした。けれど妻は、シェリー兄弟のラジオ説教を聴き始め、彼の語る話が気に入って、いつも聴くようになりました。妻が言いました、

 「ねぇ、この人の話を聴いてみてちょうだいな。ブランハム兄弟のメッセージに詳しい人なんじゃないかと思うの」

 一日か二日後、言われたとおりに説教を聴いてみると、とても素晴らしかったので、私は妻に同意しました。

 その頃私たちは、ここから95マイル離れたノース・カロライナの、ヘンリー・グリーン兄弟の教会に通っていました。1989年7月のある日、シェリー兄弟の説教を聴きに、その小さな教会を初めて訪れました。説教はとても素晴らしいものでした。

 その最初の晩、主の霊が働いて私は立ち上り、シェリー兄弟に預言をしました。なにを預言したかは覚えていませんが、神が兄弟に油注がれたこと、この街の他の牧師たちを辱めるために用いられるというような言葉を、妻は覚えているそうです。シェリー兄弟が神の僕であることを、神は証してくださいました。ここアンダーソンにおけるシェリー兄弟のミニストリーで、ありとあらゆる癒しの奇蹟が起こりました。

 その夜私はシェリー兄弟に、ブランハム兄弟について聞いたことがあるかと訊ねました。

 「いいえ、聞いたことがありません」
 「こんなことを聞くのも、あなたのメッセージがとてもブランハム兄弟のものに似ているからですよ。ブランハム兄弟を知ってらっしゃるんじゃないかと思ってね。もしよければ、いつかご一緒してブランハム兄弟のテープを聞いて見ませんか」

 七月の最後の週の日曜の夜に、私たちはもう一度この教会を訪ねました。彼らは新しい教会堂に移る準備をしているところで、私たちはそのお手伝いをしました。シェリー兄弟が、新しい教会堂を案内してくれました。一週間ほど後、またシェリー兄弟のお説教を聞く機会がありましたが、前にも劣らず素晴らしいものでした。

 彼らは新しい会堂にエアコンを取り付けられる人を探していました。それは私の専門分野だったので、喜んでお手伝いをしました。私たちが仲良くなったのはその時です。シェリー兄弟はとても忙しい人でしたが、彼といると心休まるような気になりました。

 私たちは日曜の夜の集会に参加するようになりました。シェリー兄弟の説教を聞いていると、本当に神様が彼に「メッセージ」を明かしておられることが手に取るようにわかりました。神から「水の洗礼」についての啓示を得たシェリー兄弟は、これを説教で語り始めましたが、人々に理解されませんでした。教会の会衆は、この教えが気に入らなかったのです。みな教団を離れてこの教会にたどり着いた人たちでしたが、まだ彼らの内側に教団精神が残っており、古い教えを捨てたがらなかったのです。シェリー兄弟その人のことは好きでも、彼がなぜそのような説教をするのかは理解できなかったのです。

 一人またひとり教会を去ってゆき、会衆はほんの少人数になってしまいました。シェリー兄弟はとても辛い時を過ごしていました。聖霊が私に、兄弟を助けるようにと強く示されました。私は兄弟と話して、彼が自分の信じている教えを理解できるように、ブランハム兄弟のテープを渡しました。シェリー兄弟はとても感じよく受け取ってくれたので、彼がテープを棚に仕舞ってしまって、聞いていなかったとは知りませんでした。

 教会はバラバラになってゆきました。そんな時でも、主の油注ぎはシェリー兄弟の上にありました。立ち上がり叫んで応援するような人は、もう私だけしか残っていませんでした。他の人達は何が起きているかもわからずに、ただ目を丸くしているだけでした。

 シェリー兄弟はまだテープを聞いていなかったのですが、私はそれに気づきませんでした。神様が兄弟を用いられる様を見て、私はテープを聞いてくれたに違いないと思っていたのです。しかし本当はそうではありませんでした。これは私がシェリー兄弟から聞いた話ですが、ある月曜の朝、書斎でシェリー兄弟は泣き祈りながら神に、

 「主よ、ここに来れば終末の真実の啓示を与えてくださると仰ったではありませんか。このひどい有様をごらんください」

 と心砕けて嘆いていると、小さな声がして、彼にこう語ったのだそうです、

 「私はその真実を送った。あなたが聞かなかったのだ」

 その瞬間にシェリー兄弟は、神はテープを送ってくださったのに、彼がそれを聞かなかったのだと気づいたのです。

 「神様、お赦しください」

 シェリー兄弟はテープを手にして、流し始めました。それは「すべての始まりは神が語られた言葉」(Spoken Word is the Original Seed)でした。私はいつもシェリー兄弟に、神様は彼に真実を明かされていると言っていたのですが、兄弟はテープを聞いた途端にその意味を理解したといいます。全ての真実を得ていなかったにしろ、シェリー兄弟はかなり多くの真実を知っていました。神様はいままさにシェリー兄弟に啓示をお与えになっていたのです。シェリー兄弟は「メッセージ」の誰よりも厳しく聖別された生活(Holiness)を送っていました。私は彼の強い信念を尊敬しています。

 シェリー兄弟の教会は、散り散りになってしまいました。私は彼をヘンリー・グリーン兄弟に紹介し、シェリー兄弟はそこからヴァージニアやノース・カロライナ、テネシーの色々な教会で伝道集会を開いたり、説教したりしました。シェリー兄弟の働きをとても力強いものです。私たちは彼を誇りに思っています。

 ブランハム兄弟は、まだ花嫁のリバイバルは起こっていないと言っていました。私は来るべき花嫁のリバイバルの日に、神様はシェリー兄弟を最前線で大いに使われるだろうと信じています。ひとびとはシェリー兄弟が信じるものを理解し始めてきています。これらのひとびとは、シェリー兄弟が決して人を喜ばせるために退却などしないことを知っているのです。

 またブランハム兄弟はペンテコステが再び起こるとすれば、それは始めとまったく同じようなものになる、と言っています。私たちはまだこの成就を、回復を見てはいないのです。
              
   ジェラルド・クレバランド

  ***  *** ** **** ***  ****


 「あなたが説教した話しは、ウィリアム・ブランハム兄弟の話しと全く同じですよ。私は彼の集会に出たことがあるんです」

 とクレバランド兄弟に言われたのを覚えている。

 「そのウィリアム・ブランハムっていう人はどこにいるんです? いまとにかく友だちが欲しいんです。これを説教し始めて以来、家族も友だちもみんな、私に寄り付いてこないんですから。伝道集会を開こうにも、どこも開かせてくれないし、ラジオ局もキャンセルを申し込んできたんですよ。もしどこかにだれか、私と同じことを信じる人がいるなら、会って話してみたいです」

 彼は言った、
 「ええっと、彼はもういないんです。シェリー兄弟」

 「もう一年も独りでやってきたのだから、勿論その人が戻るまで待っていますよ」

 何も知らない私は答えた。

 「その人が集会から戻ったら、電話してください。ぜひ会いたいんですから。もしかしたら、助けてくれるかもしれない。みんな私の気が狂ってるんだって思ってるんですよ。もしその人がこれを説教しているのだとしたら、彼は私より聖書に詳しいかもしれない。その人に会って、教わりたいです」

 彼は言った、

 「いえ、ブランハム兄弟は、主のもとに行かれたのです」

 私の言った不敬な言葉を許して欲しい、

 「やっぱり思ったとおりだ。だれか私を助けられる人がいるって聞いたと思ったら、その人は天国にいるっていうんですね」 

 彼は言った、
 「シェリー兄弟、彼のメッセージを録音したテープがうちの車の中にあるんですが、よければ聞いてみませんか?」

 私は言った、
 「おお、それは勿論ですとも!」

 彼からテープを貰うと、教会の長老がやって来て言った、

 「こっちにいらっしゃい、ドアを閉めて! 話さなきゃいけないことがあります。あの男に近づきなさるな。彼の信じている教えは下品なんですから」

 私は言った、
 「クレバランド兄弟は私の友だちですよ。彼はとてもいい人です」
 「いや、彼はイブとガラガラヘビについての酷い話を信じているんです」
 「ガラガラヘビだって?」
 「シェリー兄弟、ドアを閉めないといけません。こんなこと女性の前では話せませんからね」

 彼は彼がそうだと思っている話をした。さて、この男の口から聞くと、それはまるでポルノグラフィーのように聞こえた。

 私は言った、
 「そんな話には関わりたくないや。信じられない、あんな善良で正直な、分別のある人がそんなことを信じるなんて!」

 (彼はそんなことを信じてはいなかった。それは嘘だったのだ)

 私はテープを仕舞い込んだ。そんなものはもう聞きたくもなかった。私の人生はぼろぼろと崩れていった。ラジオ番組も、学校も上手く行かなかった。

 「神様、もうこれ以上耐えられません。どうか死なせてください」
 私は泣いた。

 ある日書斎に意気消沈して座っていると、棚の上の茶色い紙袋に目が留まった。聖霊はこう言っているようだった、

 「あなたへの答えは、あの茶色い紙袋の中にある」

 (この時に私は、これが10歳のときから探していたものなのだと気づくべきだった)

 私は言った、
 「主よ、ここにあるテープを聞いてみます。もしこれが私を助けてくれるなら、私は知りたい。でももしあのガラガラヘビについて話しているのなら、聞きたくはありません」

 私は泣いて嘆いていた。手に取ったのは「すべての始まりは神が語られた言葉」だった。それは確かに正しいと思い、彼が何を語っているのかを聞きたくなった。テープをかけて預言者が語り始めるのを聞くと、私はいっそう激しく泣き出した。電話線を外し、ドアの鍵をかけると、泣きながら彼の言葉のひとつひとつに聞き入った。私がもうひとつのテープに手を伸ばすと、なんとそれも「すべての始まりは神が語られた言葉」だったのだ。

 その言葉はまるで命そのもの、私は啓示を受けた。私は家の中を走っていって言った、

 「母さん! 今日ぼく、テープレコーダーの中から、神様の声を聞いたよ! 聞いたのはブランハム兄弟だったんだけど、でもブランハム兄弟よりも神様の声のほうが大きく響いていたんだ。なんて言ったらいいかわかんないよ。でも彼の声の中のなにかが、ぼくの心に語りかけるんだ!」

 母は、私の言うことが理解できなかった。

 私はクレバランド兄弟に、もっとテープをくれるように頼んだ、

 「私のなかで何かが起きてる気がするんです」
 「いい事だといいけれど」
 彼は言った。
 「この人の声の中の何かが、私の心に語りかけるんです」
 彼は言った、
 「ハレルヤ! シェリー兄弟、あなたは知らないでしょうが、世界中の人々が同じことを言うんですよ」

 私は知らなかった。

 まっさきにしたいのは、祖母と故郷の町にマラキ書4:5が成就され、私たちは知らなかっただけだということを伝えることだった。誰かがビデオをくれ、クレバランド兄弟がフィルムを貸してくれた。祖母はVCRに繋がったモニターを持っていた。

 祖母は癌に苦しんでいた。私たちは神からの癒しに頼って生きており、医者にも行かず、アスピリンも飲まない暮らしをしていた。そんな祖母が癌で死にかけているのを見るのは、とても辛かった。家に帰って、私は言った、

 「おばあちゃん、今日帰ってきたのは、ただおばあちゃんと一緒にいるためだけじゃないんだ。神様がある事を伝えるために、ぼくを送られたからなんだ」

 私の頬を涙が流れた、
 「おばあちゃんがいまからする話しを、信じてくれないんじゃないかと怖いよ。これを信じないっていうのは、魂の救いにも関わる大問題なんだ」

 今も昔も私は熱心な人間なのだ。

 「ぼくがマラキ書4:5について、説教したときのこと、おばあちゃんは覚えている?」
 「ああ、勿論、覚えているともさ」
 祖母は言った。
「ぼくは正しかったよ」
「証明してごらん!」 
 祖母が答えた。

 「モニターを取って来るから待っていてね。見せたいものがあるんだ。心の準備をしててよ、ある映像を見せたいんだ。『深き淵々は呼び応え』(The Deep callth to the Deep)っていうんだ。これはぼくが説教していたことの成就だよ。いや、それ以上だ。この人は教会への七人目の使者(黙示録10:7)だ。おばあちゃん、この人の言うことを信じなきゃいけないよ。この惨めな状況から脱するためにね」

 彼女は言った、
 「いったい何が起きたっていうんだい。おまえはいままで、そんなふうに誰かに入れ込んだことはなかったじゃないか。おまえはいつも潮流に逆らって生きていたっていうのにねえ。誰かが間違えたことを信じているのを見つけたら、その人の目の前でそれを粉々にするような人間じゃなかったのかい。なにかおかしいんじゃないのかい」
 
 「まあ、ちょっと待ってよ。この人は、神様がこの時代に送られた預言者なんだ」

 祖母が次にこう言ったとき、私は命が縮まるかと思った、

 「その人の名前は、ウィリアム・ブランハムだったりはしないかい?」

 私は祖母を抱きしめたいという思いと、首を絞めたいという、相反した思いにかられた。祖母がブランハム兄弟を知っているのが嬉しくて抱きしめたいのであり、首を絞めたいのは今まで彼について話してくれたことがなかったからだ。

 「どうして知っていたの、おばあちゃん?」

 「まずはその映像を見させておくれ。それから話してあげよう」

 映像が始まった。祖母も私もずっと泣き通しだった。誰もが違う部分に心を打たれることだろうが、私の心に一番響いたのは、自分の体ではなく、自分の教会のリバイバルのために祈ってもらいにきた男の人のことだった。もしもブランハム兄弟がいまここにいて、私がリバイバルのために祈りのラインに並んだなら、ある人々はそれを嘲ることだろう。彼らにリバイバルの話しをするとこう言うのだ、

 「おや、神の預言者が、もうこの世のためのリバイバルは過ぎたっていうのを、聞かなかったんですか?」

 私はこの世のためのリバイバルを待ち望んでいるわけではないのだ。私が待ち望むのは、まだ見ぬリバイバルである。ハレルヤ! 

 私が待ち望む、花嫁のリバイバルは、死んだドグマや教義のなかから生まれない。神はこの世に打ち克つ一握りの人々を用意しておられる。ハレルヤ!

 祖母は言った、
 「わたしは彼のバーミンガムでの集会にいたんだ。彼はそこで試練(A Trial)と、霊の記憶喪失(Spiritual Amnesia)を説教したよ」

 「どうして話してくれなかったの?」
 私は訊ねた。

 「お若いの、あの集会には神々しい何かがあったのだよ、とても聖なる何かがね。私はそれを言葉にしようとしても出来なかった、だから誰にも話したことがない。スティーブ、わたしは彼が人々に背を向けたまま、その人の心の秘密を明かすのをみたのだよ。彼は自分の名前のスペルについて説明していたが、わたしは理解できなかったので怖くなったんだ。でもいま、おまえの人生に起こっていることを見て、聖霊の促しを感じるよ。おまえが言ったことをすべて信じよう」

 しかし戦いはまだ終わりではなかった。ブランハム兄弟が女性は説教すべきでないと言っていたのだ。私が泣いていたので祖母が言った、

 「どうしたんだい、スティーブ? うれしいことばかりじゃないかい」
 「ぼくが泣いているのは、おばあちゃんに言わなくてはならないことがあるからなんだ。」
 「何だい?」
 「ブランハム兄弟がこの時代のための預言者だって信じるのなら、彼が教えていることに従って生きるべきだと思わない?」
 「それは勿論!」
 「でもおばあちゃん、彼は言っているんだ、女性は説教すべきじゃないって」

 私はただ目を閉じて、祖母が「男どもにそんなこと言われる筋合いはないね!」と怒り出すのを待っていた。しかし祖母はそうしなかった。祖母は項垂れて言った、

 「四十五年間も御言葉を語ってきたが、それはわたしの仕事ではなかったっていうのかい?」
 「はい、おばあちゃんの仕事ではなかったんです」
 祖母は言った、
 「もう二度とするまいよ」 
 ハレルヤ!
 「さあ、教会に行って祈ろう。」

 男性用の祈祷部屋にいると、水が流れる音が聞こえてきた。

 「あ、おばあちゃん、掃除してるのかな」 
 私は思った。
 「手伝いにいかなきゃ」

 私は洗礼堂に行った。
 
 「かわいそうに、おばあちゃんったら。みんなに洗礼を授けるために、ぼくに掃除させようと思ったんだろうな。彼らは正しい方法で洗礼を受けていないってこと、ちゃんと教えてあげないと」

 祖母には、イエス・キリストの御名で洗礼を受けなくてはいけないことを伝えてあった。その時は、あまり物事が上手くいったような気がしなかった。

 祖母のところに行くと言った、

 「おばあちゃん、掃除してほしいなら言ってくれればよかったのに。それならジーパンを履いてきたんだけど」

 祖母は言った、
 「掃除をしようっていうんじゃないよ。わたしはおまえからイエス・キリストの御名によって洗礼を受けたいんだ」

 「でもおばあちゃん、髪はどうするの? ちゃんと綺麗に整えているのに、ぐしゃぐしゃになっちゃうよ」
 
 「髪なんてどうだっていいよ。わたしを水に沈めておくれ、お若いの!」

 ハレルヤ!


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