周りの認識が変わる重要性 メンタリストDaigoさんのいじめがなくなったエピソード
中学時代、正式ないじめと呼ぶまでの本格的なものではないけれど
そういうのに巻き込まれたことがある。
大人になってわかるけど、標的にされていた理由はアレだったなと悟る。
今日も記事を見つけていただき、ありがとうございます。
amazonオーディブルで聞く本を選んでいると
メンタリストDaigoさんの本もラインナップにあります。
彼の文章術はやっぱり心理学とか理論的で非常に参考になったりします。
Daigoさんの書籍には、心理学以外の話として
必ず彼のいじめ体験が紹介されるのですが、
いじめがなくなった経験談を語っているのですが
とてつもなく参考になるので、この話をしておこうと思います。
そもそも○○だからいじめの標的にされた
いじめの話なので・・・
真剣に説明すると反感を買われてしまう可能性があるので軽い感じで記事を見ていただければ幸いです。
自分自身もいじめのようなものを受けていた実として、今大人になって何故いじめの標的になったのかを考えると
以下が理由だったと思います。
やっても危害を加えないと認識されているから。
・悪口を言われても何もしない
・引っ込み思案
・手を出すわけではない
・体が大きくない
・反論できない、反撃もしない
いじめを受けていると、どうしても考え方はネガティブになるし、こっちが手を出したら逆にそれが大問題になる。
当時は本当に保守的な考えでした。
そして、収まるまで耐えるというのが当時の最善策でしかない。
周りに認知されることの重要性
しかし、Daigoさんの実体験は自分の考え方の斜め上をいっていました。
Daigoさんのいじめがなくなった最大の理由は
本気で危ないやつと認知されたことによるものが大きいと言います。
Daigoさんの場合は、同級生に母親の悪口を言われてキレたのがきっかけ。
当時、工作室で何かを作っていたときに、いじめを受けていた相手から悪口を言われたシチュエーションだったらしく、悪口を言われたことがきっかけでブチ切れ。
その場にあった鉈を相手に投げたそうです。
運がよくも悪くも、運動神経が悪かったため、鉈の刃先部分は後ろに刺さったので、大事故にはなりませんでした。
もちろん、それが直接相手に当たったら、怪我どころではなく最悪殺してしまうくらいの大惨事になっていたので、真似は絶対にダメです・・・。
しかし、この行動は周りにとてつもなく影響を及ぼしたと話しています。
鉈は外れたけれど、殺意は相手にしっかりと当たった。
この瞬間に
「こいつはキレると本気でやばいぞ」
と、周知されたことによって、いじめが完全に止まったそうです。
つまり
Daigoに手を出すと、鉈を投げてくるくらいヤバいことをされる。
いじめの対象にすると、自分たちにも危険が及ぶ。
だから、対象から外した。
いじめの標的は
それなりのことをしたとしても、何も抵抗しなかったり、こっちの危険が及ばないからやる。そういうのがターゲットになりやすい。
自分自身の幼少期も、いじめという感じでしたが
当時は耐えることを優先していて、学校の先生に悪事が見つかることを期待していましたが、
結局耐えることしかできませんでした。
そして、そこはヤバい感じになって
自分をいじめることのデメリットを、相手に理解させていなかったなと
反省するばかりです。
今は暴力沙汰になれば、こっちがリスクですが
周りに怖さを認知させることは、こういうときに重要になるんだなと改めて感じました。
まとめ
ただ、このいじめの話はプラスのことも語ってくれています。
周りが変わるのを待つのではなく、自分が変われば周りは変わる。
いじめは確かに良くないことです。
しかし、その問題を自分の力で解決することで大きな気づきになることもあります。
今はいじめとは縁のない生活を送っていますが、自分が変わる為変化するためのことはやっぱり少しでもやらないといけないと日々感じます。
そして、周りの状況が変わることはほぼないということも、彼のエピソードは強く感じさせられます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ふぉあぐら
この記事が参加している募集
サポートいただき、有難うございます。サポート以外でもスキやフォローいただけると、今後のnote活動の励みになります。