毎日投稿習慣化の先にあるもの 毎日投稿の区切りを考える
毎日noteを続けると、刺激になるnoterさんとの出会いがあり、その人に刺激を受けることで
「自分も頑張らないといけない!!」と発破をかけてもらいながら続けることができていました。
しかし、自分が刺激を受けていた方が、来月で毎日投稿を終了するという記事をみつけてしまった。
でも、その空いた時間で別のことを生み出すことに割り振りをするということで、次のステップとして考えていたのが印象的でした。
今日も記事を見つけていただき、ありがとうございます。
自分自身も、このnote投稿生活は1年間は絶対にやるという気持ちでやっているのですが、毎日投稿をするうえで
同じように毎日投稿されている方から刺激をもらっています。
そして、毎日投稿をどのように一つの区切りにするのかについてもひそかに考えています。
今日は、自分自身も含めた毎日投稿の区切りについてお話ししようと思います。
ちなみに、投稿していた初期から刺激を受けていたのは
ヨーペーさん
毎日投稿終了の記事もリンクをつけさせていただきます。
ヨーペーさんの区切りのタイミング
自分はまだ1年間を続けたわけではないですし、仕事の影響で書けない恐怖もあるので、平日は記事を書くことに緊張感があります。
「投稿が途切れたらどうしよう」とか
「仕事の対応で時間がとれなくなってしまうのでないか」とか
note投稿を日課というよりは、アフター5(正確には仕事の隙間時間)にやる自分への課題という意識です。
そんな中、ヨーペーさんが記事で語っていた言葉がグサっと刺さりました。
区切りのタイミングが・・・・
続けることに負荷を感じなくなったとき。
2年間、毎日投稿を続けるのは時間・話題・生活スタイル等があると思いますが、とても大変です。
自分自身やってみて本当に痛感させられたのは
新しい習慣を続けること
これを強く感じました。
体調不良だってあるし、ワクチンの副反応、突発的な仕事等予測できないことも2年間であれば多いと思われます。
でも、自分の現在やっていることが、
まだ負荷を感じているんだなと悟らされました。
・突発的な仕事の恐怖
・予測できない体調不良
・記事のネタ選びの悩み
・記事を毎日書くんだという己へのプレッシャー
当初は1年間を最低目標にしていましたが、多分1年間やり続けたとしてもまだまだ成長としては不十分だと思います。
なので、負荷を感じなくなるというのは
プレッシャーなしに快適な状態になったから感じることができる思考だと思っています。
最初はつらくても、人は慣れる生き物
自分自身、当初は3日で毎日NOTE投稿は終わるだろうなと思っていたのですが
覚悟を決めてしまって、日数を重ねればなんとか続けることはできました。
新しいことを始める→続ける(苦痛)→慣れる→やることが当たり前→習慣になる(今の自分)→習慣に対して負荷を感じなくなる(快適)
最初は人間できないのが当たり前。
やってみて、続けて、失敗しても何度でもやって慣れることで、ようやく定着するものです。
でも、自分はまだこの活動を
快適という状況に持っていけていません。
毎日投稿が快適と感じられるようになるとき、ヨーペーさんと同じように毎日投稿をどうするのかを真剣に考える指標にしようと思います。
なので、環境の問題もあると思いますが
1年経っても続けてみて、noteでの課題が浮き彫りになったり刺激がなくなったりしたら、毎日noteを辞めて別のことをインプットする時間に充てることになると思います。
長年やり続けたことを辞めることも勇気がいることです。ですが、個人の課題をもっと成長させる手段としては必要であると思っています。
まとめ
2年間やり続けるのは本当に凄いことです。
それをまだ一年もやっていない人間が言っても説得力ありません。
続けることでみえてくる課題があるんだなと感じております。
続けることも大切、でも続けることが快適な状態になっているとその快適さに甘えてしまう。新しい形を取り入れていくことで別の何かを取り入れることもある期間やり続けたらそれが必要になるタイミングが訪れる。
ヨーペーさん、残り2週間の毎日投稿生活を楽しんでください。
そして、2年間お疲れ様です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ふぉあぐら