「自分専用の教科書」に仕立て直そう
私は高校時代、現代文や古文といった国語分野だけ異様に成績が良かった。
とはいえ、これは私だけではないと思う。数学や歴史・英語に比べたら日本のコトバを勉強し読み解くほうがまだマシ、って方はたくさんいるはず。
けれど、ノートにまとめるのは難しい教科ではなかっただろうか?と思う。
国語教科は歴史や数学と比べて、固有名詞や公式を学ぶことが少ない。まったく学ばないわけではないが、長い時間をかけたり段階を踏んで学ぶようなものではなく、基礎知識として最初のうちにパパッと学んでおくという印象だった。だからこそ、ノートにまとめて読み返して……というのは、他の教科に比べると機会は少なかった。
高校時代、その事実に気付いてから、私は国語教科でノートをとることをほぼやめた。ノートをまとめるのは好きな方だったが、国語教科では意味がないと思ったのだ。
ではどうしたかというと、学んだことはすべて教科書に書き込んでいた。
国語教科は、現代文でも古文でも、必ず「例題文」がある。その文章をもとに、筆者の思考や、登場人物の心境などを考えていくのだ。
出題されるすべての問いはその文章から読み解くというのに、なぜ当の文章から離れてノートにまとめなければならないのか。いちいち見比べて考える時間がもったいない。
Aという文章と、Bという単語の関係性をまとめたいならば、教科書に印字されているAとBを直接線で結び、簡単にメモを書き込んだ。
注目すべき表現があるならばマーカーを引き、欄外に意味や自分の考えを書き込んだ。
話題の段階があるならば、時系列や展開ごとに番号をふり、それを書き込んだ。
理解できなかった単語の意味もすべてその言葉の近くに書き殴った。
すべてを教科書に書き込み、ドッグイヤーや付箋を遠慮なく施したとき、当然、そのページはボロボロになる。
けれど、それこそが自分だけの「知識の宝庫」になるのだ。
考える元とすべき文章(例題文)はすべて書いてあるし、分からない単語はいちいち辞書やノートを見返す必要がない。文章同士の関係性も書き込んだことによって可視化されているし、特に注意すべき言葉は目立つようにしてあって見逃すことはない。
テスト前はその教科書一冊を見返せばそれで事足りるのだ。
さらに、何より得られる能力がある。
まったく別の例題文や本を読んだとしても、そうして直接書き込むことによって学んだ考え方や思考のフローを、瞬時に扱えるようになることだ。
文章を見た瞬間から、どこに注目すべきで、どことどこが関連する部分なのか、なんとなくでもアタリを付けられるようになる。
これはあくまで私個人の勉強法だったので、すべての人に通用するわけではないと思われる。
しかし、是非おすすめしたいやり方だ。
よっぽど綺麗に保管し大事にしたいもの以外は、「保存」や「売ること」を前提に扱うよりも、その一冊を「自分専用の教科書」に仕立て直す方がはるかに役立つのではないだろうか。
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