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バイリンガルになるか、するか。其の8

子育てで、動画を「時間稼ぎ・もたせ」「子守」代わりに使うかたは、どこの世界でも最近では多いように、バイリンガルにも、動画を使う人も多いのではないでしょうか?

子供のバイリンガル教育のためと思って、動画を使う人もより多いように感じます。というのも、やはり、海外生活していると、圧倒的に、外国語である日本語を聞く量が少ないから、という理由が多いと思われますが…

私は、実は、動画は、バイリンガル教育には、読み書き話すを普段から嫌がらずにできるレベルに達するまでは、注意して使ったほうがよいと思っています。

その理由を認知能力と非認知能力から考えました。

認知能力(Cognitive Skill)とは、理論的思考能力、記憶力、科学的検証力などです。試験の結果、偏差値、IQなどで表される、知性と言えばよいでしょう。
非認知能力(Non-cognitive Skill)とは、やる気、忍耐力、好奇心、自律心、想像力、人間関係構築力といったような、数値では表せないもので、いわゆる、気持ちの持ち方、心のしなやかさ、豊かさ、などの心情と言えばよいでしょう。

第一番目の理由:私自身の経験ー認知能力の活用

私自身のバイリンガル化で、「読む」、「画像なしで聞く」、「スクリプトが読まれているのを、文字を追いつつ読む」という方が、記憶が残りやすい、使えるものになりやすい、という結論に至っているから、動画の利用を推奨しきれない第一番目の理由です。

私の場合、頭の回転が遅いのか、記憶力が悪いのか、許容量が小さいからか、脳みそが硬いからか、認知負荷が高く、スローなほうが、理解が深くできるし、記憶にも残りやすいタイプ、というのがわかりました。リズム感もさほどないほうですので、リズムで覚えるというのも、あまり向いていないタイプです。

入る量が多いからなのか…、動画だと、まるで、冷たい炭酸飲料をコップに一気に入れてみたような感じで、ほとんどがガスとともに溢れ出て、何も残らないことになることが多かったのです。

さらに、動画は、視覚で分かるものが多く、結局は母国語、もしくは、脊髄で(脳みそを通さないで)反射的に理解できてしまうものが多いからではないか、と、自己分析しています。私の場合、聴覚より視覚理解のほうが通常よりも強いのでしょう。本を読んでも視覚化できていましたし、図形も視覚化できていて得意でしたし😊。

例えば、映画。役者の表情や、次に起こることから、想像できるので、言葉が耳に入ってこなくても、わかることが多いですよね。細かいところより、全体の内容のほうが気になり、先に進んでしまい、わからなかったところで、全体理解に必要のないところは、忘却の彼方へ…というパターンが多いです。(記憶力がない、とも言えます…😂)

ドキュメンタリーや科学番組を見ていても、画面から日本語で状況を理解してしまうことが多く、英語が入ってきていない気がするのです。ある意味、私の英語のレベルは、大分上がっているので、新しいコンセプトでも、理解できることも多いのですが、理解を落とし込む、には、無意識で母国語である日本語を使っているのです。英語を英語のまま理解するレベルではなく、よって、母国語で理解したほうが理解が深いのです。

ただ、母国語とできる言語は一つで、他の言語は、最大で母国語レベルの8割程度のレベルができれば、バイリンガル、マルチリンガルと、正々堂々といえると思っています。

双方または複数の言語が母国語である、ということは、相当な経験及び意志(非認知能力)がない限りならないものと言われていますし、英語に触れたのは、中学1年の"This is a pen."ですから、ほぼ、耳(ヒアリング能力、音の聞き分け能力)も固まってしまったいた私ですから、それを目指すのは、オリンピックを目指すのと同じくらいハードルが高いように思えています。

大人が言語を学ぶのと、子供が言語を学ぶ方法は、違いがあるとはいいますが、自分の子供のタイプはどうなんだろうか、と見極められるまでは、動画に慣らさないほうがよいような気がしたのです。その結果、第二の理由で確信に近いものができました。

第二の理由:非認知的(心情)観点

其の7でも書きましたが、言語能力は、4分野(聞く、話す、読む、書く)あり、人間の情報収集量は、視覚が1番高く、触覚が次、聴覚、臭覚が3番めに高い、ということが科学的調査で出ています。

動画は、『話す』、『書く』、『読む』をする自分の速度の遅さに、もどかしさを感じさせやすくなり、子供の場合、相当な必要性や興味がない限り、やりたくなくなるものかもしれないと思えました。

ここでは、『読む』を『見る』と同じとはしません。というのも、『読む』認知負荷と『見る』認知負荷はかなり違いますし、能動性と受動性がかなり違いますから。

子供によっては、『見る』『聞く』以外は、認知負荷が高すぎる場合があるということですね。

『聞く』と『見る』を組み合わせて、子供は言葉を学んだことは間違いないと思います。ですので、ここに認知負荷を感じる子供は少ないと思います。

ところが、『話す』『読む』『書く』という動作は、自分から行う、能動性が高いもので、使う脳の領域も多いので、認知負荷が高いのです。使う脳の部位も多いですし、体の部位も多いから、ということからも分かるかと思います。

認知負荷が高すぎると、非認知能力の一つである『意欲』を、子供から奪うことになりかねません。自分ができなくても、親がなんとかしてくれるから、やらないようになるのです。

また、人にもよりますが、小学低学年までの子供たちには、非認知能力の一つ『忍耐力』もあまりありません。忍耐力を上げるには、努力したことで成功した体験を増やしていく必要があります。それが積み重なることで興味も意欲も湧いてくるものです。そうして、非認知能力の良い循環で、その他の非認知能力の自律力、自己肯定感をも高めて行けるのです。

現地の子で、特にバイリンガル教育を受けていない子達でも、頭の回転の早い子は、動画で全てが理解できるようです。が、見たほうが話したほうが手っ取り早い(本人が話すのも速い)ので、時間が比較的かかる読む、書くをあまりしたがらなくなる。というのが、動画をよく見ている子供たちによく言えることだな、と、自分の出会える範囲で親御さんや、子供たちと話していて、個人的に感じています。

それでもできるようになるのは、毎日小学校に言って、やる必要性が出てきていますし、先生に、できるようになったことを褒められればやる気にもなります。

バイリンガル教育では、話す必要性が少ない場合が多いし、読み書きに至っては、全く必要性がないと言えます。そうなると、やる気をいかになくさせないか、が大事になってきます。

バイリンガル教育でも、学業のほうでも、本人の得意な感覚を利用して学んで行くのは、学ぶ内容が高度になったら、効率も必要になるので、得意感覚を利用して、上手に学び方を選択していくことは大事ですが、

幼児期~小学校低学年までは、この視覚、聴覚、触覚を、思考スピードに合わせてバランスを考えて使うようにもっていってあげるのは、基礎を築くために、実はとても大事だと思われます

というのも、その時期は、非認知能力(知性ではなく、心情)が非常に大きい影響を与えるからです。

動画は、その安易性と、スピードから、『視覚』と『聴覚』だけに頼れ、非認知能力(やる気、興味)を貶めていく可能性があると思われます

また、第一の理由でも言いましたが、動画の理解が、頭の中では、母国語または、学習言語で行われてしまうため、外国語学習には、動画は、『補助』として使うくらいにしておかないと、役に立つどころか、ミイラ取りがミイラ、動画を見ることが目的となり、話す、読む、書くという能力を伸ばそうとする意欲、理由がなくなることになりうるわけです。

動画ですと、画像で理解、音声は補助という形になることがほとんどですが、視覚から入る情報に慣れてしまうと、『読む』という行動は、より、脳の機能を使うため、遅く、認知負荷が高くかかるため、意欲が萎えます。当然、『読む』ことができなければ、『書く』ということも難しくなります。

子供の外国語習得には、

1.イメージや実物から言葉を『聞く』ことで習い、
2.『読み』聞かせから、文字を視覚で認識し、
3.文字からそのものや状況のイメージを引き出し
4.その状況やイメージから外国語を『話す』

ようにしていくことが、その子供の成長とともに4つの分野の言語力をより均等に、そして、全体的能力を伸ばして行く基礎を築くことが必須なのではないかと思われます。

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この画像のリンクでも川島隆太教授が言っているように、モチベーション(非認知能力)によってかわるけど、脳の活性部位がこうも異なるのです。

書く時の活性位置はないですが、音読は、『読む』、『イメージ化する』『理解する』、『音にする、話す』、『リズム』等々、やることがたくさんあるので、使われる脳の場所は多いということかと思います。

ちなみに、今、自分のぼやっとした考えを、調べながら、文章にしながら、書いていますが、もっと脳を活性化しているような気がします。🤣

次は、語彙の増やし方について、書いていこうと思います。

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