中学受験の偏差値50が、高校受験の偏差値50より高いか否かは、受験する生徒のレベルによって変わるものだ。 https://manalink.jp/teacher-articles/feature/1qqicpt274g(写真引用) 中学受験は成績上位者しか受験しない、という前提がある。塾や家庭教師をつけていればこうなるという「想定」での説明ではないか?
社会主義の失敗は、能力の違いを認識できなかったから。 能力のある子もない子も、同じように機会が与えられるのは、本当にいいことなのか…? むしろ、その子が輝ける場所を一緒に探してそこに機械を与えることが、大事ではないか? むやみに称え褒めるばかりじゃ、結局失敗に終わるんじゃないか?
『平等と公平』 公平さを求めすぎると、意欲が無くなる。 という事を理解すべき、と思う。 見えないところは可視化できない。何を見たい聞きたいか、で、人は、信じる傾向があるから。 自分から見える他人の、成功/失敗、優れた能力、不愉快な態度、全てがその人間の氷山の一角でしかない。
子供が、悔しくて号泣。 しかも、私の前だけで見せる。 「ああ、強くなるな」 と思いつつ、『弱さを見せられる友人』との出会いを願わずにはいられない。
「お金でいい教育を与えられる」は、不公平なのだろうか? いい教育は、教育を受ける態度ができてこそ意味がある。 教育を受ける態度は、家庭でこそ築き上げられる。 その家庭に、経済的余裕がない場合、よい教育を与える意識がない事はよくあるが、ただ時間がない場合もある。