病気との闘い⑬~車いすの一人暮らし~
みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!
ふたつの痛みの病に侵され、痛みに呪われたといわれているflutist‗umakoです。
前回の病気との闘いシリーズは「反射性交換神経性ジストロフィー」と診断された私が、浮腫みと闘った様子をお届けしました。
このひどい浮腫みをきっかけに私は歩くことができず、車いす生活にするよう告げられました。
大学3年生の12月の事でした。
今回は車いす生活に転じた私の生活について書こうと思います。
アパートの引っ越し
2階に住んでいた私はもちろん1階の物件に引っ越さなくてはなりませんでした。
しかし以前の投稿でも綴ったと思いますが、私は物件にも、家具にもこだわりたいタイプ。
車いすになったことでそれらを奪われるのは嫌だった私は、以前のアパートの目と鼻の先の2LDKの物件を自分で決め私の入院中に引っ越しました。
そのアパートも2LDKというだけあって住んでいるのは小さなお子さんを持ったご家族でした。
みなさんとてもやさしくご理解のある方々で、ゴミを抱えて車いすをこいでいる私を見て代わりにゴミを持って行ってくださる方もいらっしゃいました。
何より、大家さんの理解があったおかげで、1階といえど段差があったのでそこに2つのスロープや家の中も別の車いすを使うこと、お風呂場に手すりを取り付けることなど何らもめることなく事が運んだことには感謝の一言でした。
私の問題
車いすになって困ることは、そう!
車いすをどうやって車に乗せ降ろしすればいいか!!
要するにこんな感じ。
車に車いすを寄せて...
↓
自分が先に運転席に乗って、車いすをたたむ
↓
最後に車いすのロックを外してたたんだ車いすを自分の太ももの上をころがして、助手席にGo!!
よく分からないかなぁ?
私の車はもう少し車高が高かったから、いくら軽い車いすにしたといえおよそ10㎏の重さ。
簡単な訳がない。
それでも私には事故などで突然力を奪われたわけではないので、リハセンターの理学療法士だった「はいさ~」I先生にビシビシとしごかれる時間があったのはよかった。
私の場合一応女の子していましたので、助手席には青いピクニックの下にひくあれを(名前が出てこないw)太ももにひいて、洋服が汚れないようにしました。
買い物(食材やドラッグストアなど)
雨の日の買い物は大変でしたね。
当時は車いすゾーンはありましたが、屋根のある駐車場がありませんでした。
そんな時に助けてくれたのが、店員さんもですが、その辺にいるお客さんもでした。
車いすの膝の上にかごを置くとほとんど前が見えなくなってしまうため、怖いんです。
でもそんな時に、手伝ってくれた店員さんは、他のスタッフに何か言われて、
「はい、終わったらすぐやりますので」
と謝っていたので、怒られているんだろうなぁと思い、
「大丈夫ですから」
と言っても私の買い物に最後まで付き合ってくれた店員さん。
雨の中自分は濡れてしまうのに、私が車いす積み込むまで傘をさしていてくれた子連れのママさん。
自分が逆の立場だったらあれができるかと思うと、みなさんのしてくれたことは素晴らしく優しいことだと思います。
私の初めての車いすは「軽い」ことが売りだったこともあり、スーパーの特売日に買い込んだ品物をリュックに入れて、後ろの車いすを押すところにかけておくと大変!!
なんと後ろにバックドロップしそうに傾いちゃって何度店員さんや、その辺のご家族に助けてもらったことか。
感謝しかないですね。
大学での問題
「国際医療福祉大学」というだけあって医療や福祉に手厚いなぁと、つえで歩いていたころ思っていましたが、ここで酷評です。
なんと、私の大学の中で(私たちは7期生でしたが)車いすに乗った学生がなんと私が初めてでした。
ですから前回の終わりでちょっと触れましたが、駐車スペースが今まで通りの学生駐車場には止められなくなってしまいました。
階段、段差が多いからです。
私は学生課へ相談に行きました。
その結果私の駐車スペースがどこになったか...
なんと、管理棟と呼ばれるお偉いさんの高そうな車のと・な・り(笑)。
いつもそそくさと車に乗り込み早く車を発進しようとするのですが、そういう時に限って、
「そうやって出し入れするんだね。女の子だから大変でしょ?」
と高そうなスーツを着た方につかまってしまう。
でもさすが、私が入れるのを手伝わなかったのは私のためにならないからだと心に言い聞かせ、さっそく車を発信するのだ!
先ほども触れたが、私が車いす学生第一号だったため駐車場だけでなく、エレベーターや、多目的トイレの数も少なく移動には手間がかかりました。
それでも私が卒業する頃には、私に続く車いすの学生が増えたせいか、車いす学生限定で止められる屋根付きの駐車場や、新しい建物にエレベーターの数が増えたり、もともとあった建物にも多目的トイレが増えたりもした。
やはり大学側も経験しないと分からない事もあるんだな卒業のころやっとそう感じることができるようになった。
終わりに
表紙の写真は私の初代車いすと同じ型のモデルです。
このモデルの様にタイヤは黄色でボディも黄色に白の斑点が入った今でも一番好きな車いすです。
私はある意味幸せな人生を歩めたのかもしれないと時々感じる。
というのは、車いすの中でも手動の車いす、からスタートして何台かを経て今の車いすになった。
その間いろんな体験ができたり、母には負担でしかなかったかもしれないが、母が私の移乗をすることができるようになり、そして父も母のを見てできるようになったり。
こんなことを言うと失礼なのかもしれないけど、いきなり今の身体(寝たきり)...になったんだけど、その前にステップを踏むことができた。
これがもし私が理学療法士だったら役に立ってたかもしれないのに、と思いつつ、やはり私の心は言語聴覚士だ。
さてさて次は、怒涛の4年生です。
今でも涙なしには語れません。