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小説|魔女の篝火(サンプル)

 びくり、と跳ねた脚が机に当たって目が覚めた。まるで自分の顔面を膝蹴りしたかのような衝撃に目の前がぐるぐる回る。どうやら突っ伏して寝ていたらしい。重たい頭を支えて起き上がり、椅子に座ったまま伸びをする。
「いてて」
 背骨からは心配になる程しっかりとした音が響いてきた。肩と腕はぱきぱきと軽快なリズムでいつもの通り。縮こまった筋肉を解しながら深呼吸をして、今に至るまでの時間に思いを馳せる。
 天窓から差し込む光からして、いまは昼前といったところだろうか。お腹はあまり空いていないから最後の食事からはあまり時間が経っていないような気がするけど、でも何かに集中すると食べるのを忘れることなんてよくあるし、これはあまり判断基準にはなり得ないな。忘れよう。
 椅子を倒して隣の部屋のプラントの様子を見る。循環水も一定のリズムで流れており、育てている植物の葉も艶があって問題なさそうだった。少しだけ周りの魔力濃度が薄そうではあったけど、誤差みたいなものだろう。しばらくしてからもう一度確認してみようか。
 メモを取るために手元に意識を向ける。紙の上に指を置き、ゆっくりと魔力を流し込んだ。細かな青い光が流れ星のように紙面を拡散していき、溝に染み込むように文字が浮かび上がってくる。数時間後に魔力測定をする旨の指示して指を離した。先ほどまでの華やかさが消えてただの黒い文字だけが残る。
「あとは……」
 机の上に広がった試薬と書籍、資料を眺める。何かを作っていたような形跡があるけれど、それがどんなものだったか思い出せない。いろんな分野の書類が無造作に置いてあるからよっぽど天才的な閃きをしたのか、もしくは相当切羽詰まっていたのか。ひとまず試薬の瓶は蓋を閉めて性質ごとに、書籍はしおりだけ挟んでシリーズにまとめて、資料はもう分かんないからざっくりと一つに集める。片付けながらおおよそ目を通したけど、関連性もなければ応用できる内容でもなさそうだし、ますます分からない。
「私は何をしてたんだろうね」
 机で寝てしまうほどに疲れていたということはなんとなく推測できるけど、そこに至る過程が全く分からなかった。よくよく思い返してみればここ数日の記憶が曖昧で、誰と会ったかも覚えていない。
 誰かと言えば。
 いつも朝に稼働するように設定している煎じの機械はどうなっているだろう。村に住む老人に向けて薬草を見繕って一日分の薬を作り、朝になったらそれを取りに来てくれることになっているのだけど。私が寝過ごしたからまだ渡せてないよな。
 植物室とは反対側の部屋にその機械はあるのだけど、蒸気がすごいからあんまり入りたくないんだよな。今度誰かに換気用の小窓をつけてもらおう。そんなことをぼんやり考えつつ意を決し調剤室の扉を開けた。湿気と咽せ返るほどの魔力が一度に流れ込んできて眩暈がする。ごうごう、と大きな音を立てて振動している機械は健在のようだった。足元に設置してある受け皿には抽出された薬のパックがいくつも積まれている。ああ、やっぱり今朝の分は渡せてない。
「それにしても多いな」
 システムの構築と稼働、それから水分の調達は私の魔力を大気中の各種成分に反応させて賄っているのだけど、こんなに余剰分の魔力が生成されてるとは思わなかった。なんでこんなことになってるんだろう。
 誰の分が残っているのかを確認するために各レーンを見てみると、一番上に載っているものはただの水だった。グラデーションのように下にいくにつれて濃くなっていくから、おそらくずっと稼働していて全ての成分が抽出されてしまい、水だけが流れて梱包されてしまったということなのだろうけど。その推測が正しければ、ここ数日は渡していないし薬草の交換も出来ていないことになる。
「(そんなことがあり得る……?)」
 ざわざわとした違和感が胸の辺りを埋めていく。年老いていたから死ぬこと自体は珍しいことではない。でも誰かが死んだら村中の人が集まって故人を偲ぶし、私もそれに呼ばれることはあったから今回だけ除け者にされるとは思えない。寝過ごした可能性はあるけど、少なくともここ最近で誰かが亡くなったという話は聞かなかったからちょっと引っかかる。それに、残っているのが複数あるから何人かが取りに来ていないということなのだけど、そんな一斉に死ぬことなんてあるだろうか。
 もう一つ気になるのが、室内の魔力量。これだけ溜まっていたということは、数日間はまともにこの部屋に入っていないということになる。いくらズボラな私でも、標榜する薬屋としてちゃんとやっているつもりだ。薬草の交換とその微調整、システムのメンテナンスを蔑ろにすることはないと思うんだけど。
「(ちょっと様子を見に行ったほうがいいかもな)」
 奥にある十分に抽出されたバッグを数人分持ち出し、玄関にかけておいたケープを羽織って扉を開けた。
 眼前に広がる光景を見て全てを察する。
「ああ、またやられてしまったのか」
 私が暮らしていた村が、すっかり焼け野原になっていた。家も、畑も、人も、全て焼かれて炭になっている。焦げ臭いにおいと一緒に鼻を刺激するのは濃厚な魔力の残滓だった。さっきの調剤室の比ではない。そのおかげでこれが科学技術によるものではなく、魔法によるものだと分かる。
「(ちゃんと対策したつもりだったんだけど)」
 こういったことは何度かあった。他の魔法使いからの嫌がらせなのか、ある程度長く一つの村に滞在していると焼かれてしまう。私自身、そんな面倒な感情を向けられるほど突出した才能はないんだけどな。いい加減引っ越すのも面倒だったから魔除けと外部の魔法を検出できる仕組みを作って村の各方に設置しておいたのに。もしかしてちゃんと機能してなかった?
 薬はひとまず部屋に置いて、焼け跡を確認しに家を出た。
 村の中心だった道を歩く。あの人の畑で作る野菜は美味しかったな。あそこが飼っていた鶏の卵も濃厚でそれだけで食事の主役だった。お婆さんが丁寧に織っていたあの布も綺麗だった。お爺さんは手先が器用で、大工仕事がないときは端材で可愛らしい小物を作っていた。そのどれもが燃え、灰になっている。たまに吹く風で脆くなった柱が折れて、向こう側の焼け残りが崩れた。黒っぽい粉が舞って虫みたい。
 端の方まで来たので魔法の状態を確認する。強い魔力に当てられたのか、魔除けが打ち消されてしまっていた。やっぱり直接何かに付与するか、ちゃんとした結界を張らないと守れないのか。ただ、外界との隔たりを作ってしまうと魔力の流れが淀んでしまうし、物質に魔法をかけてもそれが動いてしまったらあまり意味がない。この辺はもう少し工夫しないとな。
 村の周囲をぐるっと回りながら次の魔法を考える。そこそこ大きな規模になるだろうから、できるだけロスが少なくて手間のかからないものがいいのだけど。複雑なものだと途中で何かがキャンセルされた時に最初からやり直すのが面倒くさそうだし。かといって完全に守るだけに振り切るとさっきの自然さが失われるし、常に魔力を取られるから疲れそうだし。
「(防御するだけではなくて、状況に応じて跳ね返すようにしてもいいのか……?)」
 鏡のように、こちらに向けられた魔法をそのまま反射するのはどうだろう。常時展開するにしてもそこまで負担はかからなそうだし、今度試してみようかな。
 次にやることを整理しているうちに家に着いた。散らかした玄関を片付けてから着替えと道具を準備する。まずはこの村を弔わなければならない。
 身体を清めて正装を身に纏う。黒いフレアのワンピースと襟に銀の刺繍が入ったケープを合わせ、魔法の効率を上げるための手袋もはめる。帽子については風も強いし魔力に触れる髪の面積を増やしたいから今日はかぶらない。重たくなってきた自分の魔導書を抱えて準備が整ったので、村の中心部へと向かった。ぐるりと見回して改めてその全容を確かめる。焼け焦げた家と灰になった人々が混ざってしまっているから、まずはその分離から始めよう。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
 ページをめくり、文字を指でなぞりながらその文章を読み上げる。ちか、ちか、と紙面から火花のように光が立ち、全身にいつもと違う何かが流れ込んでくる。さながら普段使わない筋肉を動かしているようだった。自分の身体の輪郭がはっきりとする。体内の魔力と大気中の魔力が肉体を隔てて干渉する。ある程度増幅したその光を小指で掬い取って一口舐める。ちゃんと想定した通りの魔法構成になっているようだった。
 私は瞼を閉じて身体のイメージを一旦無くす。自然に溶け込んでいるような、自分がここに存在していないような意識で魔力の流れを認識する。さっきまでせめぎ合っていた二つの勢いが混ざり合い、本を通じて増幅していった。やがてそれは大きな光になって、宙へ浮く。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
 目を開いて次の言葉を紡ぐ。穏やかに鼓動してその光はいくつもの小さな光へと分割し、村中へと飛んでいった。ゆっくりと、私が指定したものを探して漂っている。瓦礫の中や大きな炭の塊の間に入り込んで優しく光った。私は全てが止まったことを確認してからそこへ向かう。
 村を焼いた魔法の残滓から考えるに、有機物を燃やすことは出来てもそれ以上までは温度が上がっていなさそうだったから、おそらく骨は残っているはず。探し物をするなら闇雲に歩き回るより魔法で印をつけたほうが早い。その成分と反応しやすい魔法物を設計して合成したのがさっきの光。大気中の魔力に運ばれて皆の元へと辿り着く。
 光を頼りに焼け跡を崩す。彼らが壊れないようにそっと瓦礫を取り除き、淡く発光するそれを掬い取った。どの部分かは分からないけど、誰かの体の一部だったもの。灰を優しく拭き取って仕舞う。その奥にあった焼け残った布の破片は、あのお婆さんが気に入って着ていたものだった。
「……ごめんなさい」
 私がこの村に来てしまったばっかりに。こんな死に方をする人ではなかっただろう。謝罪が届くことはないけれど、せてもの償いのために骨を拾って集めていく。光が見えなくなったら次の場所へ。
 点在する光のほとんどを確認し、家やその周辺で燃えてしまった人たちはおおよそ回収できた。あとは村の奥の方、一際眩しく光っているところだけ。
「(みんなそこに集まったのね)」
 火の手から逃れるために隠れたのだろう。炎を操るのも魔法使いだから、隠れてしまえば標的となることもない。そう考えたのだろうけど、最後には見つかってしまったのか、それとも村の全てが火に飲み込まれて逃げ場がなくなってしまったのか。今となってはその時のことを窺い知ることはできない。
 混ざり合った骨を手に取る。個別に埋葬することはもうできないけど、できるだけ残っているものは回収しておきたい。指先で炭を拭い綺麗な状態へと戻した。これで一通り集められたかな。
 骨を置きに一旦家へと戻る。玄関の、準備しておいた容器の中に集めた彼らをそっと入れた。汚れてしまった手袋は新しいものに変えて、次は杖も一緒に持っていく。地面に線を書ければなんでもいいのだけど、やはり正しい手順でやっておいたほうがうまくいく気がするし、適当にやったのではあの人たちに顔向けできない。
 魔導書は脇に抱え、杖は肩に担ぎ、汗だくになりながら中心部へと進んだ。陽が翳ってきたから、少し急がないといけない。
 一旦道具を全て置いて座る。使いたい魔法があるページを探しながら、地面を均すための箒を忘れたことを思い出して家へと走った。急いで一番状態がいいものを選んで戻る。もう少し段取り良く進めたい。灰や小石を一通り掃いた後、杖を使って魔法に必要な文字を描く。先端に魔力を込めて、小さな川を作るようなイメージで、完成図を思い浮かべながら円形に言葉を並べていく。線が繋がると、ぼんやりと光が溢れてきた。それが消えないうちに細部を書き込み、指定通りに書き終わったらその中心へと立つ。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
 魔法を起動するために魔力の流れを指定する。私という容器を無くしたエネルギーは外界と溶けて、線に沿って地面へと展開した。波立つ海のように各方へと魔法が広がり、村全体を包み込んでいく。その末端まで到達したことを確認してから足に力を入れた。呼応するように魔力が立ち昇り、私を軸とした中心部へと集まってくる。ドーム状の結界が出来上がったところで一呼吸つき、ページをひとつめくった。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
 私の言葉によって内包された魔力が活性化される。燃えがらが解けて崩れていった。村に残る全ての物質がその形を無くして均一になる。この時ばかりは私も同化してしまわないよう、輪郭をしっかりと意識しなくてはならない。予防策としての魔法も仕込んではいるけれど、発動したとしてもある程度の影響は残ってしまうし。意識がぶれないように地面を踏みしめた。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
 おおよそ混和したところで最後の指示を読み上げる。含まれる全ての分子と魔力を理想状態になるように配分する。ほとんど自動化しているその計算も、かなり膨大な量になるから頭が痛い。耳の奥がざわざわする。息がうまく吸えない。身体の深部から魔力が引き抜かれるような感覚と大気に擦り潰されるような圧力になんとか耐えながら、魔法が完了するのを待つ。
「────ッ!」
 意識が途切れそうになった時、ふっと体が軽くなった。周囲を蠢いていたエネルギーの塊も鎮まり、結界の天蓋部分が崩れて雨のように結晶が降ってくる。やっと終わった。なんとか耐えられた。
 私はその場に座り込み、大きく深呼吸する。酸欠と魔力不足でくらくらする。息を整えて動悸がおさまってから周りを確認した。
 村だった場所はただの更地になっていた。その境界面では魔力と大気が均衡をとるように拡散している。私のこの魔法はその場所をある一定の状態にリセットするだけで、植物を生やしたり新しい生命を作ることはできない。かと言ってその部分を消し去るわけではないから、ここに人々が生きていたという記憶みたいなものは土地に残るけど。
「最後までできて良かった……」
 ここまで大規模な魔法を使ったのは久しぶりだった。それこそ、一つ前に住んでいた村を出た時。あの時も酷くやられてしまったな。活性の強い魔法が使われたのか、ほとんど全てが完全に燃やされていた。土地の状態も悪かったし住人の骨も何も見つけられなかったから、今回とは違ってただ均すだけだったけど。それでも範囲が広いから疲れはする。
 陽が落ち、風も冷たくなってきたので私は立ち上がった。地面に描いた魔法の残滓は箒で掃く。足に力が入らないから杖を本来の使い方をして、魔導書はお腹に抱えて箒は小脇に持って、満身創痍で家へと戻った。


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