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梶谷真司先生の文章講座に参加して

先日、東大の梶谷真司先生の「文章講座ワークショップ」(IW-Campus主催)に参加した。7月に2,000人の大学生が受講したオンライン文章講座を、一般向けの内容にしたトライアル企画。

※7月の大学生向けのものはyoutubeで無料で公開されている。学生に限らず何かを書こうとしている人にはとても参考になる内容だと思う。

今回は、哲学対話のファシリテーション講座受講生向けというクローズド開催で、「今日やる内容は、哲学対話の ”話す” を ”書く” に変えるだけです」という梶谷先生の言葉でスタートした。

以下、自分のメモをもとに内容を再現していますが、梶谷先生が話されたことが大部分ではあるものの、話されたまんまの表現ではないので引用とはせず、私の解釈がまぶされている文章になっているということを予めお断りしておきます。

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そもそも私たちは、文章の書き方を習っていないので、書けないのが普通である。書かせる大人も、実際のところ書けていない状態だ。本来であれば一番に書くことを教える立場である「国語の先生」になるために、「文章を書く能力」が問われることがないことも驚きで、それなのに不思議なことに学校で課題だけは出される。

その課題を提出しても、漢字や文法の間違いを直されたり、はなまるやコメントがあるくらいで、内容についてのフィードバックはほとんどない。他の教科ではそんなこと考えられない。四則演算を教えずに方程式を解かせるようなものだし、キャッチボールや素振りも教えずに野球の試合をさせるようなものだ。

だから、親が教えたり、ネット上の文章をコピペしたり、代行業者に頼む子が出てくるのは当然のことだ。親が忙しくて教えられなかったら、代行業者に頼むのがなぜいけないのか。誰が文章の書き方を子供たちに教えるのだろうか。

授業で習っているのは、作法(マナー)だけだ。巷にある多くのマニュアル本も同様に作法ばかりだ。作法をいくら習っても書けるようにはならない。

さらに、文章が上手でない人を上手だと思い込んでいる場合もある。自分がいい文章だと思っても、自分がそのような文章を目指す意味があるのか?を考える必要がある。

そもそも「表現力」と言われているものを上げるには時間がかかる。少なくとも年単位で。東大の大学院生で、論文を書かなくてはいけないという切迫している状況であっても、文章はそうそう上手くならない。

なぜ書けないのか?というと、一番の問題は「何を書けばいいか?」がわからないことだ。では、書く内容をどうすれば見つけられるのか。

書くとは、考えたことを文字にすることだ。考えるには、問いを立てる必要がある。その問いに対して答えることが、書く材料=書く内容を見つけることになる。

つまり、書くためには、まず問いを立てて、書くための材料を目の前に部品のように並べていく必要がある。その材料を取捨選択し、順序を考えて、あとはその順序で書くだけだ。プラモデルのパーツを目の前に並べて組み立てていくように。

哲学対話で、その場に出される問いによって自分の中から言葉が出てくる体験をしたことがあるだろう。書く内容がないことが問題であれば、問いによって言葉を出せばいいということだ。あとはどう並べるかだ。

書いたものを人と比較することにあまり意味はない。書きたいこと、書くべきことがあれば、自分にあった文章が書けるようになっていく。自分にあった、というのは、何のために、誰に向けて書くのかということ。例えばイベントを主催する人であれば、目的と誰に向けてなのかがわからないとイベントを告知する文章は書けないはずだ。

その人らしい文章というのは個性ということではない。伝えたいことを書いているとその人らしくしかならない。書くべきものを無理せず書くことがその人らしさになる。

逆に、その人が普段使っていない語彙を使うと途端に不自然になる。だから大学院生の文章は読んでいてわからない。懸命に学んでいる状況で、普段使っていない領域の語彙を使って書いているので、読んでいてよくわからないものになる。研究を長く続けていると、語彙を使いこなせるようになっていくのでわかる文章が書けるようになっていくのだが。

論理的な文章というのは、論理学的に正しいかどうかということではなく、話としてどういう順番がわかりやすいかということが考えられている文章のことだ。

だから、わかりやすい文章を書きたければ、とにかく順番を考えること。順番は考えれば決まる。正解はない。100点満点の文章はありえない。どういう文章がわかりやすいかは、順番を考えることを繰り返して行く中でわかっていくものだ。

小説の場合、構成がしっかりした作品を書く人は構成ノートを作っていることが多い。単なるアイデアだけではなく、構成を緻密に考えている。三島由紀夫などは、そういう構成力に加えて、あの文体や語彙力がある。

何事も計画性と構成が大事。工作のように書いていくこと。掘っ立て小屋くらいだったら構成を考えずに建てることができても、巨大な建物は構成を考えないとできるものではない。

自分で何が言いたいんだろう?と分からないときに大事なのは、ポイント(論点?)を3~6つに絞ることだ。そのポイントにひっつけられるものはひっつけて書き、関係ないものは捨てる。文章の順番を考えるときは、そのポイントの3つがどう関係しているかを考えればいい。

完成度が低いままの文章を投稿することを迷ったら、学生さんにはいつもこう言っている。

「誰もあなたの文章を読んでいないですから。ちゃんと読んでいる人は何度か読んだり、補いながら読んでくれるし、読んでない人は読んでいないのだから完成度が低いかどうかなんてわからないって」

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上記のような梶谷先生のレクチャーと質疑応答のあと、グループでのワークに取り組んだ。「夏休みの予定」をテーマに、1人に対して他のメンバーが次々に質問をし、その質問をポイントとして、箇条書きで書く素材を出していくという内容のものだ。

やってみての感想は、

・質問をされる部分というのは、他の多くの人も知らないことであり、同じように質問される可能性が高いことだ。当たり前のようだけれど、そこは誰かに伝えるときに大事なことだし、文章の順番を考えるときのヒントにもなる。さらに、質問されたことに答えていく書き方は、自分でゼロから書くよりラクに感じた。おそらく自分の中に雑多にある情報に対して、質問をしてもらうことで、他の人に伝えるために必要な情報にフォーカスできるからだろう。

・ワーク自体は短い時間で、「夏休みの予定」という何気ないテーマだったが、それでも同じグループになった方々の「その人らしさ」を感じた。その人が何を大切にしているか、どんなことをうれしいと思うのか、どんな暮らしをしていきたいのか、どんなことに興味があるのかということが伝わってきた。逆に、おそらく自分はたいしたことないと思って発している言葉でも、聞いた人の中には「〇〇さんらしさ」みたいなものが作られていくのだろうということを感じた。


ちなみに、一人あたり16分の中で、下記のような文章を書く骨組みのようなものができた。あとはこれを文章にしていくだけだ。これだけ要素を出してあると、2,000字くらいはすぐ書ける(書いていないけど)。普段、私がnoteの下書きというか、noteに書くことを考えるときも、結構こんな感じで箇条書きで書いていることが多い。

テーマ「夏休みの予定」

お盆に野矢茂樹先生の「言語哲学」の3日間の集中講義を受ける予定だったが、コロナ禍で中止になったので、3日間自主合宿をしようと思っている。

●3日間は何時から何時まで?
・予定では10:00~17:40の3日間
・同じ時間を、何かに集中して取り組もうとしている
・何をやるか考え中

●これまで哲学の勉強をしていたのですか?
・学術的には勉強したことがない
・入門書を読んだり、哲学対話に参加・主催をしている
・今は哲学の全体像、流れ(歴史)を把握している
・特に哲学から派生していった「言語学」に興味がある
・「言語学」に興味があるのは「書く」に興味があるから

●どうして哲学の勉強をしようと思ったのか?
・専門である経営理念の浸透を考えるとき、宗教の広がり方を知っておこうと思った
・宗教の勉強をしていると、哲学と密接に関わっていると気づく
・すべての学問の始まりが哲学にある
・宗教よりも先に哲学が盛んになっていた
・そこから派生して宗教、政治学、自然科学など、学問が生まれていった

●自主合宿はどこでやるのか?
・ホテルなどでカンヅメもいいかと思ったがこういう時期なので自宅で
・集中講義に出ているつもりで、時間を区切って取り組もうと思っている

●何に取り組むか?
・野矢先生の言語学の本と言語哲学入門の本を読む
・哲学の流れの中での「言語学」の系譜をまとめたい
・レポートにしたいけれど、3日間でできるのか?
・範囲やテーマを絞るなど、もうちょっと検討してみる


今回の文章講座は、今後もIW-Campus主催で、アーカイブ映像と有志のメンバーがサポートをしながら実施される予定だ。1人でも多くの人が「あ、これなら書ける!」という体験をできるように、私もお手伝いさせてもらいたいと思っている。


ちなみに、梶谷先生がおススメしているのが、山田ズーニーさんの本。

noteユーザーとか、書くことが好きな方はだいたい読まれているだろうと思う。自分らしく何かを書きたい人にとっての、最適な教科書だ。私はズーニーさんの文章講座も以前受けに行っているので、よけいにこの本の言葉がずしんと響く。自分が前に線を引いたところをパラパラと見ていると、胸を熱くして読んだことが思い出される。読んでから大分時間が経っているので、またあらためて読みなおしてみたい。


梶谷先生の「哲学対話」の本はこちら。

「普通の人」である私たちを、哲学することにいざなってくれる貴重な本。考えるということを、もしかしたら多くの人が誤解しているかもしれないので、ぜひ手にとってみてほしい。


梶谷先生の実施される哲学対話関連の情報はこちらから。



私の運営している団体でも、月に1回、オンラインで哲学対話を開催していますので、興味のある方はぜひお気軽に遊びにいらしてください。

8月29日(土)10:00~12:00 テーマ「つながり」


★今日のトップのイラストは、先日インタビューをさせてもらったまきさんのものをお借りしました!


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