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まるネコ堂の文章筋トレに参加して

本日は、まるネコ堂さんのオンライン文章筋トレに初参加。

有さんを通じて、この文章筋トレの存在を知ったとき、「そうそう、私はこんな感じのことをやりたかったんだ!」と思い、昨年の終わり頃に申し込んだのだが、家のごたごたで参加できず、そのままになっていた。

それから数か月。あ、今なら参加できるじゃん!と申し込みをした。10分とか30分とか、限られた時間内で文章を書いて、つっこみどころいっぱいのまま人前にさらすというのは、勇気がいるものだ。さて、どうなるか。

導入&10分ライティング

開始時間のちょっと前にZOOMにアクセスすると、すでに大谷さんと有さんのお二人がいらっしゃった。チェックインや自己紹介はせず、ニュートラルな感じのまま始まる。このたんたんとした、シームレスな感じが心地よい。

簡単な説明があったあと、まずは10分書いてみる。
10分ライティングでだいたい何字くらい書けるかというのは以前何回か計ったことがあるので、何かしらは書ける。でも、何を書くか?

ひとまず、最近お気に入りの、朝の光景について書くことにしよう。
一気に書き進んでからささっと整えようと思っていたが、書いているとだんだん楽しくなってきて先に進みたくなり、結局ほとんど見直すことなく、時間がきてしまった。

今読み返すと、直したいところがいっぱいあるが、ぐっとこらえて、誤字脱字だけ直して載せてみる。

朝目が覚めると、カーテン越しに天気がわかる。抜けるような天気のときは朝陽が遮光カーテンをつきやぶってエネルギーを射しこんで、部屋のなかの空気が揺れている。曇りのときは空気は静かにじっとしている。雨のときは空気はぐっと重くなり、起き上がろうとする私を上から押さえつける。そんな空気の中で私は身体を起こし、一息ついてからカーテンを開ける。身体で感じた天気と対面する。これが、朝一番の儀式だ。

続けての儀式が、左斜め下に見える「せんたさん」ちの屋上を見ることだ。「せんたさん」とは、私が勝手に名づけたあだなだが、家の屋上にいつも気持のよいほどにぱりっとたくさんの洗濯ものを干しているお宅のこと。窓から見えるだけでも、物干しざおが6本。洗濯紐もはられており、足りない時は屋上の手すりにまで干している。

タイミングがいいときは、この屋上で初老のご夫婦が、バケツリレーのように洗濯ものを渡しながら、シーツやタオルを干している姿を目撃する。窓からその姿を眺めていると、不思議な気持ちになる。

毎日、そんなに洗うものがあるのか? よほどきれい好きなのか? 夫婦で一緒に干そうって話し合って決めたのか? いったい何年何十年、こんな風に2人で干してきたのだろうか? 家のなかにありそうなあらゆる布を洗っているのか? それで物干しざおがそんなに増えたのか? たたむときも2人で一緒にバケツリレーのようにたたんでしまってをしているのか? 雨の日は「今日は干せないねえ・・・」なんて会話を、お茶を飲みながらしているのか?

ここで終了のベル。
その後、それぞれが書いたものを印刷。各々読み込み、感想を述べあう。感想の述べかたも初参加なのでよくわからなかったけど、こんな感じの印象を「私は」持った、ということで切り抜ける。

それにしても、たった10分で書いたものに、コメントをもらえるのはなんともうれしいことだ。初参加だから甘めにしてくれていたのだろうか。でもそれでもいいじゃない。そこで気をよくしてますます書きたくなってくるのなら。


45分ライティング

次は45分で書いてみる。
10分版の続きを書いて1つの作品としてブラッシュアップしようかと思ったが、ひとまず記憶に新しい今朝の出来事を書くことにした。結果的に続きっぽくなったが。こちらも、直したいところはいっぱいあるけど、現状の記録のために、最低限の修正だけして載せておく。
(やや長いので、読み飛ばす方はスクロールしてください)

45分で文章を書いてください。何を書くか?とりあえずトイレに行こう。

さて、あと41分。一番直近の「ワオ!」について書こう。

今朝はいつもより早く目が覚めた。6:30。午前中に予定があるから、緊張してたのか。窓の外からは「起きろ、起きろ」と言わんばかりに太陽の圧を感じる。わかりましたよ、起きますよ。開ける前から予想はしてたけど、カーテンを開けた瞬間目がくらむ。一直線に太陽の光が飛び込んでくる。「せんたさん」ちの屋上には、まだ洗濯ものは踊っていない。

さて、今日は早めに散歩とお参りに行かないと。神社、お寺、お寺。家の近くの3つの寺社を日替わりでお参りしている。今日は氷川神社。昨日寝る前に読んだ古事記の解説書で、スサノオノミコトについて新しい発見があった。スサノオは大和王権が地方を支配するために、いろいろなキャラを押しつけられて作られた不運な神様だ。現在、日本の多くの神社がスサノオを祭っている。それだけ民から愛されている存在でもあるということだ。今日は新たな気持ちでお参りできそうだ。

途中の公園の手前で「みやぉ~」と声が聞こえてきた。
「ヤ、ヤマト社長じゃないですか!久しぶりですっ!」

クロネコのヤマト社長は、これも私のつけたあだなだが、公園の柵の中から、いつも私を呼び止める。敬虔なねこ教信者の中でも、クロネコ宗派の私は、もちろんしっぽを振って立ち止まる。同時にスマホカメラも、いつでも撮れるようにスタンバイ。

そーっと、そーっと近づいて、「おはようございます、社長」とカメラを向ける。社長はぶすっとして目も向けてくれない。そっぽを向いたり、目を閉じたり、あくびをしたり、後ろ足で頭を書いたり。そのうち丸くなって寝てしまう。ふくふくの毛に太陽の光を含んで、なんとも気持ちよさそうに。

寂しい私は、「こっち向いてください」と声をかけながらさらにじりっじりっと近づく。するとさすがヤマト社長、「はっ」とすぐに起き上がり、トタタタタタと、逃げていってしまう。「あ、急きすぎたか」と反省し、また少し離れた距離からスマホカメラを向ける。

さすがプロ、一定の距離を保ちながら、また「みやぉ~みやぉ~」と、その威厳のある風体からは想像もできないうららかな声で、私の心をくすぐる。まったくもう、それだからこまっちゃうんだよ。近づきたい私と、そんな私をもてあそぶヤマト社長の横を、ゴールデンレトリーバーを連れた同年輩の女性が、不審な目を向けながら通り過ぎていく。ヤマト社長はレトリーバーにも動じない。レトリーバーもヤマト社長には知らんぷり。クールな大人の関係か。

はっと我に返る。
あ、やばい、時間がなくなっちゃう。お別れのためにヤマト社長にぐっと近づくと、タカタカタカと公園の外に逃げていってしまった。つらいけど、別れのときだから。

神社に向かう途中で、あるお宅の庭先にバラのつぼみを見つけた。
つぼみというのはすごいオーラを発している。ブロッコリーのような紫陽花のつぼみは「あ、今、みんなで一緒に成長してます。もうちょっと待っててくださいね。協力して咲きますから」と言っている感じ。

木魚をたたくのに使えそうなほど花びらがびちびちに詰まっている芍薬のつぼみは、何匹ものアリにたかられて「まったく、しょうがないわねえ~アリさんたら。私が咲くまで待てないの~。いいから、待ってなさい。ちゃんと咲きますからご安心なさい」と、飢えたアリを色っぽくたしなめている感じ。

今日出会ったバラのつぼみは、堂々としていた。ほの見える赤い花びらの色からも主張を感じる。「もうすぐ咲いてさしあげますから。あなたたちみんな『すてきねえ、きれいねえ』とうっとりさせますから。いつでも拝みにいらっしゃい。最高の咲き頃を見逃さないことね」みたいなバラとしての矜持を感じる。ものすごく手がかかるのに、プライドがめっちゃ高い、ハイメンテナンスな令嬢のようだ。

あ、そんな花キャラの妄想をしているうちに残り10分だ。ここから手直しをしよう。

その前に「せんたさん」ちをチェックしようと窓を開けたら、その隣、家と家の間の塀の上を犬?と思うくらい巨大な黒白の猫がのそのそと歩いていた。頭と前肢は白。胴の真ん中に黒と白。後ろ足と尻尾は黒。くっきりと4つのパートの黒白模様のめずらしい猫。身体が重いのか段差をおりるときは、ぼてっと、お猫様にしては全然軽やかじゃなかった。決まり、あなたのあだなは「パンダさん」です。

そうそう、「せんたさん」ちだよ。6本の物干しざおを存分に使ってほされた、大小合わせて13枚のタオルと4枚の半袖服、ピンチハンガーにつるされた靴下類が、安定して風に揺らめいている。大きなトイレマットが手すりに、こちらも時々風にあおられ翻っている。

今日も穏やかで気持ちのいい1日になりそうだ。
やばい、あと5分。ここから直すぞ。

ここで終了のベル。
こちらもそれぞれが印刷をして、やや長めに読み込む時間をとって、そのあと感想を述べあった。この感想もまたうれしいというか、ふむふむ、そんな風に見えるのかというおもしろさがあった。


全体の感想

ここから全体の感想や気づきになるのだけれど、時間を切って書くことの効果は、何よりもまず集中力が高まることだ。書くことに没頭できている時間は私にとってすごく「楽しい」。しかもこれは仕事でもなく、何かに応募するわけでもなく、自分で書きたくて勝手に書いているわけだから、無責任でいい。そりゃあキーボードを叩く指もよろこんで跳ねてしまうわけだ。今日はそんなスキップする女の子のような指の後ろを、頭がついていった感じだ。

一方で、人に読まれるというプレッシャーはある。プレッシャーを感じて書けない人もいるかもしれない。でも今日は、大勢ではなく2人という適度な負荷。圧倒的過ぎてつぶれることなく、じんわりと書く筋肉を鍛えてくれそうな気がする。

加えて、初参加の自分も、そのトレーニングを続けてきた人の文章を読んで、感想を述べるという、読み手としての感性を問われるプレッシャーもあった。

そこはまあ、初参加の強みというか、甘えというかで乗り切って、2時間半、とても充たされた時間になった。

大きな収穫は、文章から受ける全体の印象をもらえることもそうだが、具体的に線を引いたところと、その理由を教えてもらえたこと。自分じゃないコンテクストを持った人の、どこかにタッチした部分を教えてもらえるということは、 モノフォニーだった自分の文章に、ポリフォニーの芽が出ることになる。

さらに、他の人が、他の人の文章をどう読んだかも、聞いていておもしろい。自分とは違うところに何かを感じたり、同じところで同じように感じたり。

この文章筋トレは書くことだけでなく、読むこともまた鍛えられる、ということも発見だった。書くためには読むこと。読むためには書くこと。吸って吐くように。それを実感した。


個人的な気づき・感想

体験からの個人的な気づきとしては、今日は限られた時間だからと、構成を考えずに垂れ流しに近い状態でキーボードを打って、思いつくまま書いた内容に、偶然の一致・つながりが生まれていたということ。

大和王権とヤマト社長
ご近所さんのあだ名と猫のあだ名
スサノオノミコトに多面的なキャラが含まれていることと、花や猫にキャラを持たせたこと

これは考えていなかったからこその偶然で、今後構成をするときに、使える糸になりそうだ。もし最初から狙って書いたとしたら、こんなに短時間で書けなかっただろうし、たぶんそういう狙ったという臭いがぷんぷんしてしまっただろう。私の場合は。

あとは、毎日の瞬間のなかに、書くことの素材もヒントも潜んでいるということも実感した。本当は、日常の中でビュッフェのようにたくさんの、書くための素材や料理が並べられている。これまではそれらに見向きもせずに通りすぎて、どこか遠くの食べログ3.5以上のお店の料理について書こうとしすぎていたのかもしれない。

以前、ある作家さんが教えてくれた。

「50m先のタバコ屋に行くのも ”旅” なんだよ。作家はその50mに、ゆきてかえりし物語を見出す」と。

そのかつての作家の言葉と、3月から始めた朝の日課と、毎日書くことと、5カ月前に文章筋トレに申し込んだときの自分の関心が交差した、今日はそんな時間であった。

次回以降また参加するときは、自分から取り出した言葉を、美術商が壺を手に持ってなめまわして見るように、そんなふうに書いてみたい。

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大前みどり
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