レイチェル・カーソン
『沈黙の春』が出版された2年後
彼女は癌でこの世を去った。
56歳だった。
亡くなった翌年に出版された
彼女の遺作
『
センス・オブ・ワンダー(The Sense of
Wonder)』
の中でレイチェルは、
幼い甥のロジャーと
アメリカ・メイン州の森や海岸を
一緒に探索した美しき日々を回想している。
1962年に出版された
名著『沈黙の春(Silent Spring)』は、
出版されるやいなや社会を揺り動かした。
なぜなら、急速な経済発展に伴い、
農薬や化学物質が
次々と開発されていた時代に、
その乱用の危険性を先駆的に
鋭く訴える内容だったからだ。
こうした化学物質は、
動植物の食物連鎖によって
生体内に濃縮して蓄積され、
やがて環境汚染を引き起こす。
レイチェル・カーソンは、
最後は人間まで汚染されると警告したのだ。
人間が自然の生態系を大きく壊している
という彼女の告発は、
当時のアメリカ大統領をも動かし、
のちに環境保護庁が設立される
きっかけとなった。
もし、この時、彼女が警鐘を鳴らさなかったら、
地球環境は今よりもさらに
汚染が進んでいただろう。
「静かに水をたたえる池に
石を投げこんだときのように
輪を描いてひろがってゆく毒の波。
石を投げこんだ者はだれか。
死の連鎖をひき起こした者はだれなのか」
「子どもたちの世界は、_
いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激にみちあふれています。
残念なことに、わたしたちの多くは
大人になるまえに澄みきった洞察力や、
美しいもの、
畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、
あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、
すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を
もっているとしたら、
世界中の子どもに、
生涯消えることのない
『センス・オブ・ワンダー=神秘さや
不思議さに目をみはる感性』
を授けてほしいとたのむでしょう」
*センス・オブ・ワンダーより抜粋*
この本に出会った時には残念ながら彼女は
もうこの世を去った後でした
この本は写真とレイチェルの文才が
綴られた
私たちへの手紙と受けとめました
折しも娘の通う小学校の
校長先生と私たち夫婦で
少し離れた場所で
レイチェル・カーソンの映画が
上映されるのでお誘いして
一緒に見に行きました
レイチェルが子供たちを森へ誘い
自然を学ぶ内容の実写
これを見て
北海道出身の校長先生が
小学校に実は学校林があることを
発見しました
それから先生達の努力のせいで
行政に掛け合い
学校林が整備され
子供たちのフィールドワークの場に
なったことは言うまでもなく
一般市民もトレッキングできる山になり
今はこの山のマラソン大会も毎年
遠方からの参加者で賑わうように
なりました
私も校長先生と同じ
北海道で生まれた人間です
フロンティア精神
を根底に持っているのでしょう
特別なことをしている気持ちはなくて
楽しいからというのが理由でした
レイチェル・カーソンの
センス・オブ・ワンダー
がわたしを導いてくれました
そんな学校林が1冊の本を読んだ
主婦のきっかけで
蘇るなんてことが
ホントにあるって事
今では知る人もいないのですが
noteに刻んでおこうと思いました
レイチェル・カーソンは生物学者ですが
それと同時に文学的才能に恵まれた人
でした。その為に「沈黙の春」
は大統領をも動かすきっかけとなった
環境問題告発の先駆けとなった
とわたしは思います
文才は全ての他の専門分野と
融合した時に
類まれな
名書を生み出すのです
そしてそれらは何世代にも渡って
私たち人間の灯台のような光を届けてくれます
「沈黙の春」
農薬散布の為に虫がいなくなり
それらを食す鳥もいなくなり
音のない春が来るだろう
というこのタイトルの
秀逸さよ
レイチェルの功績は大きい
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